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メイドインアビス百科事典ANNA MOVIES

人物

ベラフ

読み:ベラフ

ガンジャ決死隊の言語担当ベラフについて、美を「眼」で捉える価値観、イルミューイとの交流、食人への罪悪感、成れ果て化、ミーティ、ファプタへ託した記憶を解説する。

ネタバレ範囲:テレビアニメ『烈日の黄金郷』全話および原作の成れ果て村編の結末を含みます。

ガンジャ隊時代のベラフ公式人物ビジュアル
言語と文字に精通し、交渉を担ったガンジャ隊時代のベラフ。

ベラフとは

ベラフは、黄金郷を求めてアビスへ来たガンジャ決死隊の一員である。言語と文字に精通し、未知の土地で通訳や交渉を担う。ワズキャンが進路を決め、ヴエコが人の痛みへ敏感に応答する一方、ベラフは観察と言葉によって相手の内面を理解しようとする。隊の武力ではなく、異文化と接触するための能力を代表する人物だ。

深界六層での壊滅的な危機を経て、ベラフは成れ果て村イルぶるの住人となる。細長い巨大な身体と複数の眼を持つ姿へ変わり、村では価値を大量に蓄えた有力者として存在する。人間時代と成れ果て後を別人として分けるのではなく、同じ記憶と罪悪感がどのように形を変えたかを追う必要がある。

ガンジャ隊での役割

ガンジャ隊は異国から島へ渡り、現地の言葉もアビスの規則も知らない状態で出発した。ベラフは言葉の対応を見つけ、記録を取り、交渉を成立させる。知識は単なる教養ではなく、水、食料、道案内を得るための生存技術だった。公式紹介でも、通訳と交渉をこなす人物として位置付けられている。

この役割は、後に村の記憶を伝える行為へつながる。ベラフは事実を言葉へ変え、別の者へ渡す人物である。村の成立後に沈黙していたように見えても、最後には自分が見たガンジャ隊とイルミューイの記憶をファプタへ渡し、過去を知らない娘へ母の姿を伝える。

美しさとは眼

ベラフは美しさを外形の整い方だけでなく、「眼」に表れるものとして捉える。ここでいう眼は器官の形より、何を見て、どのように世界へ向き合うかを示す。イルミューイが集団から疎外されていても、ベラフはその眼に価値を見いだす。身体的な有用性や地位とは別の基準で相手を見る人物だった。

成れ果て後のベラフが多数の眼を持つ姿になることは、この価値観と無関係ではない。ただし、姿が願いを単純に具現化したと断定するより、村が欲望と価値を身体へ反映する仕組みの中で読むべきだ。人間時代の言葉が、変化後の造形と最後の行為に反響している。

イルミューイとの関係

イルミューイは故郷で子どもを産めないと見なされ、捨てられた少女である。ガンジャ隊の案内役となった彼女に対し、ベラフは言葉を学ぶ対象としてだけでなく、一人の人格として接する。ヴエコほど直接的な養育関係ではないが、隊の中でイルミューイの眼と存在を肯定した。

だからこそ、水もどきで隊が倒れ、欲望の揺籃から生まれたイルミューイの子どもを食料にする展開は、ベラフの価値観を根底から壊す。大切だと認めた相手の子どもを食べなければ生きられない。生存の必要が行為の残酷さを消さず、彼は回復後も耐え難い罪として抱える。

水もどきと食人

六層で見つけた水は、飲んだ者の身体を内部から変形させる擬態生物だった。隊員が次々に衰弱する中、イルミューイが欲望の揺籃で産んだ子どもをワズキャンが調理し、食べた者は症状から回復する。ベラフも生き延びるために口にする。

この食事を「仕方がなかった」の一言で終えると、ベラフのその後が理解できない。彼は自分が救われた結果より、救いの材料にされた生命と母の苦痛を見続ける。生存を喜べず、自分の身体そのものを罪の証拠と感じる点で、隊の現実的な指導者ワズキャンと対照的である。

身体を差し出す

イルミューイの身体が村の入口となったとき、ベラフは彼女の前で自らの身体と価値を差し出す。目、手足、内臓まで捧げようとする行為は、食べた分を返せば罪が消えるという等価交換ではない。失われた子どもは戻らず、イルミューイが受けた苦痛も取り消せない。

それでもベラフにとって、自分だけが元の身体で生き続けることはできなかった。村は申し出を受け取り、彼を成れ果てへ変える。贖罪の願いは自己破壊と結び付き、同時に新たな生存を与えられる。望んだ死とも、完全な赦しとも違う結果である。

成れ果てとしてのベラフ

成れ果て化したベラフは、長大な身体、白い外殻、複数の眼を持ち、村の奥に住む。強い力と莫大な価値を持つ一方、ガンジャ時代の活動的な通訳とは異なり、閉じた空間で記憶と欲望に向き合う。外見の美しさと内面の罪をめぐる人物像が、村の価値によって別の形へ作り直されている。

彼は村の規則を理解し利用するが、ワズキャンのように共同体の未来を設計し続けるわけではない。過去を忘れたのではなく、記憶を抱えたまま時間を止めている。リコ一行の来訪が、その停滞へ再び選択を持ち込む。

ミーティを求めた理由

ボンドルドが村へ来た際、ベラフは不死のミーティを見て強く求める。村は本物から複製したミーティを作り、その対価としてベラフの身体と価値の大部分を受け取る。ベラフは複製されたミーティを食べ続けるが、ミーティは再生するため失われない。

この欲望は残虐な嗜好だけでは説明できない。食べても失われず、食べる側が一方的に生き残る罪を完成させない存在は、イルミューイの子どもを食べた記憶と反転している。ベラフは同じ行為を繰り返しながら、今度は相手を消滅させない関係へ閉じこもる。ナナチがミーティを取り戻すため自分を差し出すと、過去の構図が別の形で再現される。

ナナチとの取引

ナナチはベラフのもとにいるミーティを見て、仲間の旅から離れてでも一緒にいる道を選ぶ。ベラフはナナチの価値を受け取り、取引として成立させる。村の精算は暴力的な奪取を禁じるが、当事者が喪失へ囚われていることまで救わない。

やがて村の崩壊が始まると、複製ミーティは村の力に依存していたため消える。ベラフはナナチへガンジャ隊の記憶を見せ、再び外へ送り出す。彼がナナチを所有し続けるのではなく、過去を知る者として次の役割を渡すことが、停滞からの最後の変化になる。

ファプタへ渡した記憶

ファプタはイルミューイの最後の子として、村を滅ぼし兄姉の価値を取り返す使命を持つ。しかし母が人間だった頃、誰に愛され、何を望んだかを直接は知らない。ベラフは自身の身体を削りながら、その記憶を匂いと像としてファプタへ渡す。

これは復讐を否定する説教ではない。ベラフ自身も村の成立へ加担し、その恩恵で生きた者である。だから答えを命じるのではなく、ファプタが持っていなかった過去を返す。記憶を得たファプタは、母の命令だけでなく、村人が積み上げた価値も見た上で次の行動を選べるようになる。

最期の選択

村の境界が壊れ、原生生物が侵入する中、ベラフはファプタを守るために力を使う。巨体と蓄えた価値は、長く自分の欲望を満たすために使われていたが、最後には記憶を未来へ渡す時間を作るために費やされる。

彼の死は過去の罪を帳消しにしない。むしろ、自分が見たものを隠さず、次の世代へ渡し、相手の選択を守る行為によって人物像を閉じる。言葉と眼を重んじた人間時代の役割が、成れ果ての姿で回収される。

ワズキャンとの対照

ワズキャンは隊の生存を優先し、イルミューイの子どもを食べる決断を実行する。ベラフは同じ食事によって救われながら、その結果を受け入れられない。両者は善悪の記号ではなく、共同体を生かす判断と、その判断が一人へ与えた損害を忘れない感覚をそれぞれ極端に担う。

村の成立後も、ワズキャンは未来の可能性を読み、ベラフは過去の記憶へ閉じこもる。どちらか一方だけでは、ガンジャ隊の選択を説明できない。生存には決断が必要だったという事実と、その決断が正しかったとは言い切れない事実が、二人の対照によって残される。

記憶を持つ責任

ベラフは多くを見て言葉へ変えられる人物だからこそ、忘れることができない。知識は危機を救う力になる一方、理解した加害をなかったことにできなくする。成れ果て村で長く生きることは、罪悪感から解放される時間ではなく、記憶と欲望が循環する時間だった。

最後に記憶をファプタへ渡す行為は、自分の苦しみを相手へ押し付ける危険も含む。それでも母を知らないファプタが選ぶには情報が必要だった。ベラフは結論ではなく記憶を渡し、その使い方を相手へ委ねる。通訳として培った、他者が理解できる形へ変換する役割の最終形である。

アニメでの表現

テレビアニメ『烈日の黄金郷』では、斎賀みつきが人間時代と成れ果て後のベラフを演じる。静かな語り、食事を拒む場面の崩れ、ナナチやファプタへ記憶を渡す場面が、外形の大きな変化の中に同じ人物がいることを音声でつなぐ。

映像版の人物画や場面カットはベラフ本人の形態を確認する資料になるが、原作記事ではアニメの色彩や間を設定として扱わない。原作の出来事と映像の演出効果を区別した上で、両媒体がどの行動を強調したかを比較する。

ベラフが示す「価値」

ベラフの価値は、村で保有する量だけでは測れない。美しさを見抜く眼、言葉を渡す能力、罪を忘れないこと、最後に記憶を手放すことが、彼固有の価値を形作る。身体を差し出すだけでは他者への償いにならないが、記憶を独占せず相手へ返す行為は未来に影響する。

アビスでは生存のために他者を犠牲にする状況が起こる。ベラフはその事実に耐えられず壊れ、村の仕組みの中で欲望へ沈み、それでも最後に他者の選択を増やす。善人か加害者かの一語では括れない経過そのものが、成れ果て村編の倫理を担っている。

公式情報