26ストーリー解説
第25話から続く形で、第三新東京市での戦いはすでに後景に退き、画面は人類補完計画が進行する精神世界へと完全に移る。碇シンジの心の内側を舞台に、姿の見えない無数の声がシンジに問いを投げかけ、「あなたは何者か」「なぜエヴァに乗るのか」を執拗に掘り下げていく、対話劇として物語は始まる。
声たちはシンジの自己嫌悪を暴き出す。彼がエヴァに乗るのは父・碇ゲンドウに認められたいから、他人に必要とされたいからであり、操縦という役割を失えば自分には何の価値もないと思い込んでいる、と突きつけられる。シンジは「他人がいないと自分の形が分からない」と怯え、誰からも必要とされない恐怖に縮こまる。

それに対し声たちは、価値や世界は一つではなく、見る角度によっていくらでも変わりうると説く。エヴァのパイロットであることだけがシンジを規定するのではない、と示すために、別の可能性の世界――もしシンジがごく普通の少年だったら、という仮定のシーンが実演として立ち上がっていく。
舞台は一転、母・碇ユイが生きている平和な日常へ。寝坊したシンジを母が起こし、隣家の幼なじみとして惣流・アスカ・ラングレーがパンをくわえ「遅刻遅刻ー!」と飛び込んでくる、絵に描いたようなラブコメ的朝の登校風景が描かれる。エヴァも使徒も存在しない、明るく賑やかな別世界のシンジがそこにいる。

学園では葛城ミサトが先生として登場し、転校生として綾波レイが教室に紹介される。鈴原トウジや相田ケンスケも普通の同級生として軽口を叩き合い、シンジは照れながらもごく当たり前の青春の中にいる。これは「同じシンジでも、置かれた状況次第でまったく違う人生がありうる」ことを示す実演として提示される。
日常劇が途切れると再び内省へ戻り、シンジは「これも自分なのだ」と気づかされる。現実は無数にありうる可能性の一つにすぎず、世界の見え方は自分自身が決めている――本当は自由だったのに、自分で自分を縛り、つらい世界しか見ようとしてこなかったのだ、という認識へ導かれていく。

さらにATフィールドが、他者を恐れて誰もが心に張る壁の象徴として語られる。簡素な線画だけの空間でシンジは、立ち上がること、歩くこと、世界には苦痛だけでなく優しさもありうることを一つずつ確かめていく。他者の存在は自分を傷つけもするが、自分を満たしてくれるものでもあると理解していく。
やがてシンジは自分を肯定する。「僕は僕だ」「僕はここにいてもいいんだ」と声に出し、それまで殺風景だった線画の世界に色彩が満ち、明るく彩られていく。エヴァに乗れなくても、特別でなくても、自分は自分のままで存在していいのだという結論に、シンジ自身がようやくたどり着く。

最後にシンジは真っ白な空間で、レイ、アスカ、ミサト、ゲンドウ、ユイ、赤木リツコ、加持リョウジ、渚カヲル、トウジ、ケンスケ、洞木ヒカリら全ての登場人物に取り囲まれ、口々に「おめでとう」と祝福され拍手を送られる。シンジは「ありがとう」と応え、「父に、ありがとう。母に、さようなら。そして全てのチルドレンに、おめでとう」の言葉とともに物語は幕を閉じる。


