名探偵コナン 天空の難破船は、2010年に公開された劇場版アニメ『名探偵コナン』シリーズ第14作である。鈴木次郎吉が威信を懸けて建造した全長二百五十メートルの超大型飛行船『ベルツリー1号』の処女航海を舞台に、青いサファイア『レディスカイ』を狙う怪盗キッドの予告状と、生物兵器の奪取を目論むバイオテロ集団『赤いシャム猫』による乗っ取りが同時に勃発する。キッドとコナンの共闘、新一と蘭の関係も描かれ、シリーズ屈指の人気作として知られる。
00概要
『名探偵コナン 天空の難破船(てんくうのロストシップ)』は、青山剛昌の漫画『名探偵コナン』を原作とした日本のアニメ映画で、2010年4月17日に東宝の配給で公開された。劇場版シリーズ第14作にあたり、監督は山本泰一郎、脚本は古内一成、音楽は大野克夫が手がけている。アニメーション制作はトムス・エンタテインメント、上映時間は102分である。『天空の難破船』というタイトルは、本作の主要舞台となる超大型飛行船『ベルツリー1号』が空の上で『難破』寸前まで追い詰められていく終盤の光景をそのまま言い表したものであり、サブタイトルの英語表記『Lost Ship』もまた同じ意味を担っている。
舞台のひとつとなるのは、鈴木財閥総帥・鈴木次郎吉が威信を懸けて建造した全長二百五十メートル級の超大型飛行船『ベルツリー1号』である。次郎吉みずからが最大の出資者として進めてきた、この飛行船の処女航海。そこへ毛利探偵事務所、鈴木園子、阿笠博士、少年探偵団、目暮警部、白鳥警部、佐藤刑事、高木刑事、千葉刑事といった劇場版の常連メンバーが、招待客と警備の双方として乗り込む。やがて機内では、青いサファイア『レディスカイ』のお披露目が行われる——という導入である。
中心人物は江戸川コナンと、彼を狙うかのように予告状を送りつけてくる怪盗キッド/黒羽快斗である。本作のキッドは劇場版シリーズのなかでも珍しく、上映時間の大半を『工藤新一の姿』で過ごす。蘭の隣で笑いかけ、コナンと小声で言葉を交わし、機内の事件に協力する『新一』。その正体は最初から観客にだけ明かされており、そのうえで本作は『工藤新一に化け続けるキッドの覚悟』と『そうとは知らぬままキッドを信じていく蘭』という二つの感情線を、同じ飛行船の中で同時に走らせていく。
これと並走する第二の物語が、バイオテロ集団『赤いシャム猫』による『ベルツリー1号』の乗っ取りである。彼らの真の狙いは、機内にひそかに持ち込まれていた生物兵器の奪取にあった。その存在を察知して飛行船に乗り込み、機長・桂木沙織と乗員乗客を人質に取って機体の制御権を奪う。怪盗キッドの華やかな予告状と、テロ集団の冷たい銃口——『盗む者』と『奪う者』、『傷つけない者』と『無差別に害をなす者』が、同じ機体の上下に並んで動き出す。この構成こそが本作の核である。
公開後の興行は、最終的に約32.0億円、観客動員約257万人を記録した。前作『漆黒の追跡者』からさらに成績を伸ばし、劇場版『名探偵コナン』が30億円台の興行を本格的に視野に入れる、その節目の一本となった。主題歌はGARNET CROWの『Over Drive』。本記事は、結末、真犯人の正体、生物兵器の正体、そしてラストの屋上のキスの主体まで含め、全編の内容に踏み込む。物語の重大な驚きを保ちたいなら、まず本編を鑑賞してから読み進めることを勧めたい。
主要データ
- 原題
- 名探偵コナン 天空の難破船
- シリーズ
- 劇場版『名探偵コナン』第14作
- 監督
- 山本泰一郎
- 脚本
- 古内一成
- 音楽
- 大野克夫
- 主題歌
- GARNET CROW「Over Drive」
- 日本公開
- 2010年4月17日
- 上映時間
- 102分
- ジャンル
- ミステリー、サスペンス、怪盗もの、アクション、ディザスター
01あらすじ
以下は結末までを含む全編のあらすじである。物語が動き出すきっかけは、鈴木財閥総帥・鈴木次郎吉のもとに届いた怪盗キッドからの予告状だ。舞台となるのは、超大型飛行船『ベルツリー1号』。その処女航海の場で、青いサファイア『レディスカイ』がお披露目される。やがて工藤新一に変装したキッドが姿を現すが、機内では思わぬ事態が待ち受けていた。バイオテロ集団『赤いシャム猫』が飛行船を乗っ取り、船内に隠された生物兵器の奪取をもくろむのだ。さらに蘭が機外へ落下し、キッドがハンググライダーで間一髪の救助に向かう。そしてコナンとキッドは即席の協力関係を結び、反撃に転じていく。墜落寸前の機体を都内の球形ドームへといかに着陸させるのか——クライマックスへ一気に収束していく展開から目が離せない。
予告状
物語は、鈴木財閥総帥・鈴木次郎吉のもとへ一通の予告状が届く場面から動き出す。差出人は怪盗キッド。鈴木家が建造した世界最大級の超大型飛行船『ベルツリー1号』——その処女航海の機内でお披露目される青いサファイア『レディスカイ』を頂戴する、という文面が、シルクハットとモノクルの絵柄とともに記されている。全長およそ二百五十メートル、複数の階層に客室と展望デッキを備えた飛行船そのものを舞台に、空の上で大泥棒との一夜を演じてみせる。いかにも芝居がかった構図だ。
次郎吉は予告状を逆手に取る。自らの飛行船を、キッドを誘い込む罠として使おうというのだ。処女航海の招待客には、毛利小五郎・蘭、コナン、鈴木園子のほか、報道陣、宝飾の目利き、財界関係者が顔を揃える。現場の警備は目暮十三警部と白鳥任三郎警部のラインで固められ、佐藤美和子刑事と高木渉刑事、千葉刑事もそれぞれの持ち場で機内警備に加わる。さらに阿笠博士と少年探偵団も招待を受け、コナンの周囲には劇場版『名探偵コナン』の主要レギュラーがほぼ全員、機内に並ぶ。シリーズの中でも特にラインナップの厚い一本だ。
発進前夜、空港の格納庫で行われた最終整備の様子が観客に示される。整備士の手で点検される巨大な気嚢、艦橋に並ぶ計器類、客室から展望デッキへと続く長い廊下、そして屋上にあたる『キャットウォーク』——機体のあらゆる場所が、後半の事件のための舞台として丁寧に紹介されていく。鈴木次郎吉は処女航海の指揮を執るベテラン女性機長・桂木沙織に絶大な信頼を寄せており、その落ち着いた所作が、本作の機内の秩序を支える視覚的な軸となる。観客には、ここまでの段取りの細やかさそのものが、後半に襲いかかる『難破』の予感として静かに刻まれていく。
工藤新一として現れたキッド
処女航海の出発当日、毛利探偵事務所の前に思いがけない人物が現れる。長らく連絡の途絶えがちだった工藤新一が、ふらりと姿を見せ、『一緒に飛行船に乗らないか』と蘭を誘うのだ。蘭は呆然と立ち尽くしたのち、複雑な面持ちで頷く。コナンは『新一』の様子に違和感を覚えるが、決定的な証拠をつかむより先に、出航の時刻が迫ってくる。
この『新一』が怪盗キッドの変装であることは、観客にはごく早い段階で明かされる。キッドが工藤新一の姿を選んだのは、ただの偶然ではない。屋外での予告状直前の予行偵察で、彼はすでに本作の事件——『ベルツリー1号』の機内に密かに持ち込まれた生物兵器の存在——を察知しており、ある事情から自分自身の素顔のままでは動けない局面が訪れると見越していたのである。蘭の隣に立つため、そして機内の情勢が一変したときにコナンと並んで動くため、彼は最も都合のよい『顔』として工藤新一を選んだ。
機内のキッド/新一は、本作の見どころの中心のひとつとなる。蘭との久しぶりの会話、コナンへ短く飛ばす皮肉、機長・桂木沙織への礼儀正しい挨拶、招待客のなかの不審な視線への目配り——本来の黒羽快斗のすました口調と、テレビアニメの新一の声に近い柔らかな口調とを、山口勝平が同じ俳優として行き来してみせる。その聴覚的な楽しみが、本作の前半を支えている。コナンは『新一』の正体を内心で確信しながらも、テロの予感を背景に、しばらくはあえて隣の男の正体を暴かない道を選ぶ。
ベルツリー1号、空へ
飛行船の出航は、空港の滑走路ではなく専用係留塔からの『離桟』として描かれる。地上スタッフが係留索を一本ずつ解いていくのに合わせ、機体はゆっくりと高度を上げていく。客室の窓の外で街並みが小さくなっていく数分間は、本作でもっとも晴れやかな時間だ。やがて機内のホールではレディスカイのお披露目の準備が始まり、鈴木次郎吉が招待客を前に短い挨拶を述べる。その口調には、怪盗キッドの予告状を逆手に取り、自らの飛行船の上で大泥棒を捕らえてみせるという誇りがにじむ。
離陸後の機内では、コナンと少年探偵団が機体のあちこちを自由に探検する場面が続く。エンジンルームの巨大な動力、気嚢を支えるフレーム構造、機長席のある艦橋、屋上にあたる『キャットウォーク』、客室と展望デッキをつなぐ長い廊下——。これらの場所はすべて、後半の事件で繰り返し使われることになる。観客はこの探検の時間に乗じて、機内のレイアウトを頭の中で組み立てていく。シリーズの中でもとくに『閉じた舞台の構造』を丁寧に提示する作りであり、後半の追跡劇の説得力を支える基盤となっている。
巡航高度に達したころ、招待客の中で表情を変えていく一人の男が映し出される。鈴木次郎吉の旧知の研究者でも、報道陣の一人でもない。目立たない服装の中年として、それまで観客の前に何度か顔を出していた人物だ。本作の影の犯人——バイオテロ集団『赤いシャム猫』のリーダーである彼が、機内の通信設備と人員配置を最終確認していく数十秒間。晴れやかな祝祭の真下で、それは静かに進行していく。
乗っ取り
レディスカイのお披露目に予告された時刻、機内の照明が一斉に絞られた。再び光が戻ったとき、ガラスケース中央のサファイアは消え、残されていたのは怪盗キッドのシルエットの署名と、一輪の青い花だけだった。会場がどよめく。だが、その動揺が静まるより早く、機内の各所でほぼ同時に銃声と短い悲鳴が立て続けに上がった。バイオテロ集団『赤いシャム猫』の数名が招待客と乗員に紛れて乗り込んでおり、艦橋・通信室・主要客室の三点をほぼ同時に制圧していたのである。
リーダーは黒い目出し帽をかぶった長身の男で、声には欧州系のアクセントが残る。艦橋に踏み込むと、機長・桂木沙織にハンドガンを突きつけ、機体の進路と高度をすべて自分たちの指示通りに変えるよう要求する。同じころ客室では招待客が一箇所に集められていく。毛利小五郎、蘭、コナン、新一に化けたキッド、園子、阿笠博士、少年探偵団、目暮警部、白鳥警部、佐藤刑事、高木刑事、千葉刑事——本作の主要人物たちが、人質として機内中央のホールに座らされる。
リーダーは集まった人質に向かい、自分たちの狙いは宝石ではないと冷ややかに告げる。彼らが探しているのは、本作のためにひそかに機内へ持ち込まれた、ある『古いガラスのケース』の中身——過去にある国家機関が極秘で開発し、その後封印されたとされる生物兵器の保管容器である。鈴木家のレディスカイの裏で、もう一つの『極秘の積み荷』が同じ機体に積まれていた事実が、ここで観客にも明かされる。表向き『青いサファイア』を狙ったかに見えた怪盗キッドの予告。だがその文面の裏で、本作の真の事件——生物兵器の暴露と奪取——の発火点もまた、同時に動き出していたのである。
生物兵器
『赤いシャム猫』のリーダーは、かつてある国の生物兵器研究機関に籍を置いていた研究者のひとりだ——観客にはその素性が少しずつ明かされていく。彼が中心となって扱っていた病原体は、感染力と致死率のいずれもが極めて高い改変型ウイルスで、コードネームは『シャム猫』。これが彼らの名乗りの由来である。研究機関の閉鎖とともに試料はすべて破棄されたはずだった。だが、ごく少量が一本のアンプルとして外へ流れ出し、巡り巡って『ベルツリー1号』の処女航海に合わせて空輸されてくる。彼はその事実を突き止めていた。
組織の名にあえて『赤い』を冠したのは、政治的な意味合いというより、彼ら自身が研究機関の旧名と結びついた個人的な遺恨を抱えているからだ——劇中ではその含意が繰り返し示される。リーダーにとって、このアンプルは単なる戦利品ではない。自らの過去そのものの清算であり、同時に、世界への声明として、もう一度この病原体を表に引きずり出すための象徴でもある。
機長・桂木沙織が冷静に時間を稼ぐ間、コナンは毛利小五郎の隣に座らされた状態から少しずつ自由を取り戻していく。阿笠博士のキック力増強シューズ、腕時計型麻酔銃、探偵バッジ型トランシーバー——それらを頼りに、機内のレイアウトを頭の中で組み直す。一方、新一に変装したままのキッドも、人質の輪からさりげなく抜け出し、機体下部の整備通路へと姿を消す。盗む者の頭脳と探偵の頭脳が、無言のうちに役割を分担し、同じ機体を裏側から動かしはじめる数分間。ここが本作最初のターニングポイントだ。
落下する蘭、ハンググライダーのキッド
中盤最大の見せ場は、機体の屋上にあたる「キャットウォーク」での落下劇である。テロリストの一人に追い詰められた毛利蘭は、足場を失い、機体側面から夜空へと放り出される。眼下にあるのは、雲を貫いて見下ろす夜の街明かりだけ。命綱は一本もない。悲鳴を上げる間もなく、落下が始まる——その一瞬、機体の反対側から、白いマントの細い影がすっと滑り出た。
怪盗キッド/黒羽快斗だ。新一の姿のまま、シルクハットだけを置き換え、小型のハンググライダーを広げて夜空へ飛び出す。気流を読み、機体の風下側へ回り込みながら、落下する蘭の身体を一息で抱き止める。雲間を滑空するキッドの細い影と、その腕に抱えられた蘭の長い髪の流れ——この一枚は、本作のキービジュアルのなかでもっとも有名なカットとして、後年まで繰り返し参照されることになる。
蘭は当然、自分を抱き止めた相手を「工藤新一」だと思う。その目に映っているのは、確かに見慣れた新一の顔である。一方のキッドにも、ここで素性を明かせない理由が幾重にも積み重なっていた。新一として蘭を抱え直したまま、彼は機体側面の張り出しに着地し、短く息を整える。蘭は涙の混じった声で「新一」に礼を言い、新一は新一として、ぎこちなく蘭の肩に手を置く。コナンは別の場所から、この場面を遠目に見るしかない。新一の姿でしか蘭を抱きしめられない自分自身と、新一の姿でそれをやってのけたキッドとの間で、ただ無言のまま立ち尽くすのだった。
反撃
機内に戻った『新一』とコナンは、人気のない通路で目を合わせる。互いの正体を確かめ合う、わずか数秒——コナンはついに、新一の姿をした男が怪盗キッドであると認める。キッドの側も、コナンの正体が工藤新一であることをとうに見抜いている。本作の二人は、ここで初めて『敵対する怪盗と名探偵』ではなく、『同じ機体を救うために動く即席の協力者』として並び立つ。劇場版『名探偵コナン』のなかでも、これほどはっきりとキッドとコナンが共闘する場面は珍しい。本作最大のカタルシスのひとつである。
コナンは機体の構造図を頭のなかで再現し、生物兵器のアンプルがどの保管庫に納められているか、テロリストの監視がどの動線に集中しているかを、順に確認していく。頼りになるのは、阿笠博士のトランシーバー越しに加わる少年探偵団の協力だ。光彦の地図的な記憶力、元太の力ずく、歩美の機転、灰原の冷静な分析、そして通信を担う博士——シリーズおなじみの面々の役回りが、本作では機内のあちこちで小さな見せ場として連なる。
キッドは新一の姿のまま、機体下部の整備通路から外壁を伝い、艦橋裏側へと回り込む。そこで機長・桂木沙織と短く言葉を交わす。沙織は相手が怪盗キッドであることを薄々察しながら、あえてそれ以上は追及しない。そのうえで彼に必要な情報——テロリストのリーダーが手にする起爆装置の種類、機体の燃料残量、最寄りの安全な着陸候補地——を簡潔に手渡してみせる。プロの女性機長と紳士然とした大泥棒が交わす数秒のやり取りを、脚本の細部の冴えを示すもっとも好きな場面に挙げるファンも多い。
墜落寸前の機体
コナンとキッドの動きを察したテロリストのリーダーは、計画の最終段階に踏み出す。艦橋の制御を強引に奪い、機体の高度をわざと下げて都心へと向かわせる。爆破装置と生物兵器のアンプルを抱えたまま、機体ごと都心の中心部へ突っ込ませる——自らの過去の研究と無関係ではないと見なしてきた組織や人々を、まとめて巻き込もうという企てだ。本作のクライマックスは、ここからの十数分に及ぶ長い緊張で組み立てられている。
コナンは、阿笠博士の腕時計型麻酔銃に残った最後の一発を、艦橋へ突入したキッドの背後から狙い澄まして撃ち込み、リーダーの動きを一瞬で封じる。キッドは新一の姿のまま、桂木沙織機長とともに操舵を引き継ぎ、墜落寸前まで高度を落とした機体を、都心に立ち並ぶビル群を避けて、東京湾岸の球形のドーム型施設の屋根へと滑り込ませていく。気嚢の半分以上が損傷し、機体側面から白いガスを吐き続ける飛行船が、ゆっくりと、しかし確実にドームの広い天蓋へ身を横たえていく。この長尺のショットは、シリーズのなかでも特筆すべきディザスター演出のひとつである。
ドーム上に不時着した『ベルツリー1号』からは、招待客と乗員が避難ロープで順に地上へ降ろされていく。鈴木次郎吉は招待主としての責任を最後まで手放さない。毛利小五郎・蘭・園子・阿笠博士・少年探偵団・目暮警部・白鳥警部・佐藤刑事・高木刑事・千葉刑事は、それぞれの持ち場で人質の誘導と負傷者の手当てにあたる。生物兵器のアンプルは、機体に残ったコナンと『新一』の手で慎重に回収され、警察と専門機関へと託される。本作最大の脅威——『赤いシャム猫』が暴こうとした過去の生物兵器そのもの——は、ここで再び封印されることになる。
リーダーは、コナンの麻酔銃と着地時の衝撃の合わせ技でついに動きを止め、機長・桂木沙織と警察の手で身柄を確保される。最後に短く吐かれる『俺たちの世紀末』という趣旨の独白が、観客の胸に残る。本作のテロリストは単なる無差別の悪役ではなく、自らの過去の研究との決着を、20世紀の延長線上で果たそうとした人物だった——その像を強く印象づける一言だ。劇場版『名探偵コナン』のゲスト悪役のなかでも、もっとも背中の重い人物像の一人として、本作のリーダーは記憶に残る。
屋上のキス
事件が落ち着いた直後、ドームの屋根に静かに立つ蘭のもとへ、新一の姿のままのキッドがゆっくりと歩み寄る。本来の声をぎこちなく抑え、新一が口にしてもおかしくない短い言葉を選びながら、自分のせいで命の危険にさらしてしまった蘭への詫びと、そして礼を、続けて告げる。蘭は何かを察したような、しかし確信は持てない複雑な面持ちで、新一の顔を見つめ返す。
そして、本作最大のサプライズが起きる。キッドは新一の姿のまま、蘭の頬に短く唇を寄せるのだ。本物の新一からのキスではないことを、観客はむろん知っている。蘭が後にこの瞬間をどう受け止めたのかは、本作のなかで明確には語られない。だが、その場で見せた小さな涙と、固まったまま動けない両手——それだけで、物語の感情的な核は十分に立ち上がる。
離れた場所からこの一部始終を見つめるコナンの背中もまた、本作の感情線のもう一方の主役だ。新一の姿でしか蘭の隣に立てない自分自身と、新一の姿で蘭にキスをしてみせたキッドの後ろ姿——その二つの間に挟まれ、コナンは黙ったまま長い数秒を耐える。蘭への思いを抱えながら、新一として最も自然に蘭の隣に立つ瞬間を、よりにもよって自分以外の人物に演じられてしまった。その事実は、本作以降の劇場版『コナン』が繰り返し参照していく、新一・コナン・蘭・キッドの四角関係の出発点の一つとなった。
夜が明けるころ、不時着したドームの周囲に集まった登場人物——コナン、毛利小五郎、蘭、園子、阿笠博士、少年探偵団、目暮警部、白鳥警部、佐藤刑事、高木刑事、千葉刑事、鈴木次郎吉、そして桂木沙織機長——のもとに、新一の姿のままのキッドはもう現れない。残されたのは、機体の残骸のなかから拾い上げられた青いサファイア『レディスカイ』と、誰かが置いていったような白い羽根が一枚。レディスカイは「盗まれなかったほうの結末」として、本作最後の数十秒で改めて鈴木次郎吉の手元へと戻されていく。本作の幕は、夜明けの東京湾の空と、まだ煙の残るドームの屋根の絵で静かに閉じる。
登場要素
本作に登場・言及される主な要素を、劇場版『名探偵コナン』ならではの分類に沿って整理しておく。ここに挙げる固有名詞はあくまで鑑賞の手がかりであり、初見ですべてを覚えておく必要はない。
- 江戸川コナン/工藤新一
- 毛利蘭
- 毛利小五郎
- 鈴木園子
- 阿笠博士
- 吉田歩美
- 小嶋元太
- 円谷光彦
- 灰原哀
- 目暮十三警部
- 白鳥任三郎警部
- 佐藤美和子刑事
- 高木渉刑事
- 千葉刑事
- 鈴木財閥(鈴木次郎吉が指揮する企業群)
- ベルツリー1号運航スタッフ(艦橋・客室・整備)
- 報道陣・宝飾関係者の招待客
- 対バイオテロを担当する関係機関
- 鈴木次郎吉(鈴木財閥総帥/『ベルツリー1号』の最大の出資者)
- 桂木沙織(『ベルツリー1号』機長/声:黒木瞳)
- 怪盗キッド/黒羽快斗(本作では大半を工藤新一の姿で過ごす)
- 服部平次・遠山和葉(劇中で本作の事件を間接的に追う側として短く登場)
- バイオテロ集団『赤いシャム猫』のリーダー(声:渡部篤郎)
- 『赤いシャム猫』のメンバー数名
- ベルツリー1号の招待客たち(報道・財界・宝飾・芸能)
- 本作の連続事件の真犯人は、過去にある国家機関で生物兵器の研究に関わっていた経歴を持つ男を中心とするバイオテロ集団『赤いシャム猫』である
- リーダーは欧州系の口調の長身の男で、本作では一見『無害な乗客の一人』として招待客の中に紛れ込んでいる(声:渡部篤郎)
- 動機の核は、過去に自らが関わり、その後封印されたとされる改変型ウイルス(コードネーム『シャム猫』)のアンプルを、機内に密かに持ち込まれていた状態で奪取し、20世紀末以来の自らの過去と研究機関への遺恨に決着をつけることである
- 青いサファイア『レディスカイ』はあくまで怪盗キッドの予告状の表面上の対象であり、本作の真の事件——生物兵器の奪取——とは別の文脈で動いている
- 怪盗キッド/黒羽快斗は工藤新一に変装して機内に乗り込み、テロリストの計画を察知したうえで、コナンと無言の協力体制を組み、最終的にはレディスカイそのものを盗まずに残し、敵を彼自身のやり方で追い詰める役割を担う
- ラストで毛利蘭の頬にキスをするのは新一に変装したままのキッドであり、本物の工藤新一ではない
- 超大型飛行船『ベルツリー1号』(全長およそ二百五十メートル、複数階層の客室・展望デッキ・キャットウォークを備える)
- ベルツリー1号の艦橋(機長・桂木沙織の指揮所)
- ベルツリー1号の中央ホール(レディスカイのお披露目会場、人質劇の中心)
- ベルツリー1号の屋上『キャットウォーク』(蘭の落下とキッドのハンググライダー救助の場面)
- 東京湾岸の球形ドーム型施設(クライマックスの不時着先)
- 毛利探偵事務所周辺・空港・係留塔(出航前の都市描写)
- 怪盗キッドの予告状とシルエットの署名
- 青いサファイア『レディスカイ』とお披露目用の透明ガラスケース
- コナンの腕時計型麻酔銃と蝶ネクタイ型変声機
- 阿笠博士特製のキック力増強シューズと探偵バッジ型トランシーバー
- 怪盗キッドのモノクル・シルクハット・白いマント・小型ハンググライダー
- 生物兵器のアンプルとその保管容器(コードネーム『シャム猫』)
- テロリストが用いる起爆装置と機内の自動操縦切り替え機構
- 工藤新一そっくりに造られたキッドの変装一式
- 主題歌:GARNET CROW「Over Drive」(作詞:AZUKI七/作曲:中村由利/編曲:古井弘人)
- コナン:高山みなみ
- 工藤新一:山口勝平
- 毛利蘭:山崎和佳奈
- 毛利小五郎:小山力也
- 鈴木園子:松井菜桜子
- 阿笠博士:緒方賢一
- 灰原哀:林原めぐみ
- 吉田歩美:岩居由希子
- 小嶋元太:高木渉
- 円谷光彦:大谷育江
- 目暮十三:茶風林
- 白鳥任三郎:井上和彦
- 佐藤美和子:湯屋敦子
- 高木渉:高木渉
- 千葉刑事:千葉一伸
- 服部平次:堀川りょう
- 遠山和葉:宮村優子
- 怪盗キッド/黒羽快斗:山口勝平
- 鈴木次郎吉:永井一郎
- 桂木沙織機長:黒木瞳
- 『赤いシャム猫』のリーダー:渡部篤郎
12主要登場人物
本作のおもな登場人物は、おなじみのレギュラー陣に何人かの顔が加わって構成されている。コナン、蘭、小五郎、園子、阿笠博士、少年探偵団、灰原哀、目暮警部、白鳥警部、佐藤・高木・千葉の各刑事——ここに鈴木次郎吉と、ベルツリー1号機長の桂木沙織が並ぶ。そして本作のために用意されたのが、二人の『顔のない男』だ。工藤新一に変装した怪盗キッドと、招待客に化けた『赤いシャム猫』のリーダー。前者は他人の顔で蘭の隣に立つ盗む者であり、後者は他人の顔で機内に紛れる奪う者である。この人物配置の対称性そのものが、物語のテーマを支えている。
江戸川コナン/工藤新一
本作のコナンは、表で起こる怪盗キッドの予告状騒ぎと、その裏で進む生物兵器テロ集団による乗っ取りという、性格の異なる二つの事件を同時に背負わされる。劇場版第14作という後期に差しかかった本作で印象的なのは、『新一に変装したキッド』という、シリーズ屈指の厄介な相手とコナンが隣り合わせになる点だ。
彼が本作で繰り返し選ぶのは、新一の姿で蘭の傍らにいるキッドを、その場で素人くさく見破ろうとはせず、むしろ機体全体を救うための『道具』として一時的に受け入れていく道である。新一としてキッドが蘭にキスをする。その背中を遠目に見据えながら、即座に糾弾するのではなく、機内の人々の命を優先する。この選択をくだす数秒間こそ、本作のコナンのもっとも辛い見せ場の一つだろう。終盤の『ベルツリー1号』では、阿笠博士のキック力増強シューズと、腕時計型麻酔銃に残された最後の一発を、最も決定的な瞬間まで温存する形で使い切る。
関連リンク
怪盗キッド/黒羽快斗
本作の怪盗キッドは、上映時間のほとんどを工藤新一の姿で過ごすという、シリーズの中でも特に意欲的な造形で描かれる。シルクハットとモノクル、白いマント、小型のハンググライダーといった『正装』が登場するのは、序盤の予告状の夜と、中盤の落下救助のわずか数十秒に限られる。それ以外の場面は新一の顔と、新一にしては丁寧すぎる所作の隙間から、観客にだけキッドの輪郭をそっと匂わせていく。
山口勝平はここで、極めて難しい仕事を引き受けている。コナン本来の声である工藤新一と、怪盗キッド/黒羽快斗の声を、同じ俳優として『一つの身体の中』で同時に並走させるのだ。本作の新一の口調は、本来の新一よりほんの少し丁寧で、ほんの少し優雅で、ほんの少しキッドの匂いを残している。観客は耳でその差を感じ取りながら、新一の顔の下に潜むキッドの呼吸へ、少しずつ確信を深めていく。
本作のキッドが他の劇場版のキッドと違うのは、彼が単なる『盗む側の人物』にとどまっていない点にある。予告状の通りにレディスカイを一度は奪い去りながら、最終的には本来あるべき場所へ静かに残す。さらに『ベルツリー1号』の墜落寸前の艦橋で機長と並んで操舵を執るという、人を救う側へ深く踏み込んだ振る舞いを見せる。ラストで蘭の頬に短くキスをするキッドの背中は、彼自身が新一の代理として果たしてしまった『一度きりの行為』の重みを、観客に強く印象づける。
関連リンク
毛利蘭・毛利小五郎・鈴木園子
本作の毛利蘭は、長く連絡の途絶えていた『工藤新一』が突然目の前に戻ってくる、という場面から物語を歩みはじめる。新一の手を取って『ベルツリー1号』に乗り込み、機内では隣に並び、機体側面から落下したところを新一の腕に抱き止められ、最後はドームの屋根の上で新一の唇に頬を触れられる——わずかひと夜のうちに、蘭は新一との関係の温度を一段引き上げられる。だが観客にとって、その『新一』はすべて怪盗キッドの変装にほかならない。山崎和佳奈の声は、その複雑な距離感をまるごと引き受け、本作の蘭をシリーズのなかでもとりわけ切ない位置に立たせている。
毛利小五郎は本作で、声優交代の直後となる小山力也の声で動く。鈴木次郎吉の旧知の名探偵として『ベルツリー1号』の処女航海に招かれ、招待客でありながら機内警備の補佐にも回る役どころを引き受ける。眠りの小五郎の派手な見せ場よりも、テロリストの銃口にも動じないベテラン探偵の落ち着きが、本作の彼の核心だ。小山力也の重みのある声が、そのまま機内の大人たちの精神的な支柱となっている。
鈴木園子は、大叔父・次郎吉のそばに立ちつづける家族として、本作の感情の重心のひとつを担う。レディスカイのお披露目の場では叔父の手を握り、人質劇のさなかには蘭の手を強く握り直し、終盤の不時着では負傷者の介抱に率先して回る。怪盗キッドにロマンチックな関心を寄せつづける『キッド好き』としての園子像も、本作の彼女の表情のなかで楽しげに受け継がれている。
関連リンク
鈴木次郎吉と桂木沙織機長
鈴木次郎吉は、本作のもう一人の主役と呼んでいい存在だ。怪盗キッドからの予告状を受け、自らの威信を懸けた『ベルツリー1号』の処女航海を、キッドを誘い込む罠として使う——その豪胆な経済人としての顔がまず際立つ。一方で、過去の劇場版『世紀末の魔術師』以来、キッドと長い因縁を抱えてきた骨董愛好家としての顔も併せ持つ。この二つの顔を、永井一郎の重厚な声がひとつに引き受ける。機内のいくつかの場面で見せる次郎吉の表情は、レディスカイそのものよりも、キッドとの「一対一の知恵比べ」をこそ楽しみにしているかのようだ。
本作のために用意された最大のゲストキャラクターが、『ベルツリー1号』の機長・桂木沙織である。声を担当するのは黒木瞳。長年の運航経験を重ねたベテラン機長として艦橋に常駐し、テロリストに銃口を突きつけられても声色ひとつ崩さない、凛とした女性として描かれる。沙織は、リーダーの要求を最小限の妥協でかわしながら、機体の燃料・高度・進路という現実的な選択肢を頭の中で更新し続ける。そして最終局面では、キッドと並んで墜落寸前の機体の操舵を執るのだ。黒木瞳の落ち着いた声と、シリーズの華やかな声陣との対比は、機内の現実感を強く支える要素のひとつとなった。
赤いシャム猫のリーダー
本作の真の敵『赤いシャム猫』を率いるのは、かつてある国家機関の生物兵器研究に関わった経歴を持つ男だ。声を演じるのは渡部篤郎。欧州系のアクセントをわずかに残した低い声で、招待客に紛れたときの「無害な乗客」の顔と、艦橋へ踏み込んだときの「冷たい指揮官」の顔、その二面を巧みに演じ分ける。
彼を突き動かすのは、レディスカイへの執着でも、政治的な主張でもない。かつて自ら研究に携わり、その後封印されたとされる改変型ウイルス(コードネーム「シャム猫」)のアンプルを、巡り巡って『ベルツリー1号』の積み荷の中から取り戻すこと。そして、自らの過去と研究機関への遺恨に決着をつけることだ。集団の名に「赤い」をあえて冠したのも、政治的な意味合いからではなく、かつての研究機関の旧名と結びついた個人的な遺恨を象徴する選択だった——その含意は、劇中で繰り返し示される。
終盤、彼が漏らす「俺たちの世紀末」という趣旨の独白。それは、本作のテロリスト像が単なる無差別の悪役ではなく、20世紀の生物兵器研究の延長線上で個人的な決着を求めていた人物だったことを、観客に強く印象づける。劇場版『名探偵コナン』のゲスト悪役のなかでも、もっとも背中の重い人物像の一人として、本作のリーダーは記憶に残るだろう。
舞台と用語
物語の舞台は、空港の係留塔から飛び立った超大型飛行船『ベルツリー1号』の機内である。客室や中央ホール、艦橋、整備通路、屋上のキャットウォークと場面を移しながら、やがてクライマックスでは不時着先となる東京湾岸の球形ドーム型施設へと舞台を移していく。劇場版『名探偵コナン』のなかでも、ほぼ全編を一隻の巨大な機体に閉じ込めたまま進行させる構成は珍しい。シリーズの“閉じた舞台”ものを代表する一本として、本作はしばしば名前が挙がる。
鍵を握る用語も多い。『怪盗キッド/黒羽快斗』『鈴木財閥/鈴木次郎吉』『ベルツリー1号』、そして『レディスカイ』『赤いシャム猫』『シャム猫(改変型ウイルスのコードネーム)』『工藤新一への変装』である。前者の三つは劇場版『名探偵コナン』のシリーズで繰り返し参照される固有名詞の組み合わせであり、後者の四つは本作のために用意された独自の設定だ。なかでも『ベルツリー1号』は、本作以降の劇場版でも鈴木次郎吉と怪盗キッドの因縁を象徴する固有名詞として、ふたたび姿を見せることがある。
19制作
劇場版『名探偵コナン』シリーズは、1997年公開の第1作『時計じかけの摩天楼』から数えて、本作で14作目を迎えた。怪盗キッドの登場作としては、第3作『世紀末の魔術師』、第8作『銀翼の奇術師』に続く三度目の本格参戦となる。なかでも本作は、キッドが工藤新一に変装したまま物語の大半を過ごすという、シリーズ屈指の大胆な趣向を凝らした一本だ。
企画と脚本
脚本を手がけたのは古内一成。テレビアニメ『名探偵コナン』のシリーズ構成を長く務め、劇場版でも初期から執筆を重ねてきた、シリーズの中核を担うライターである。本作で古内が選んだのは、怪盗キッドが工藤新一に変装したまま物語の大半を進めるという、シリーズ屈指の挑戦的な造形だった。観客には早い段階で「新一の正体がキッドである」ことを明かし、それでいて蘭にだけは気付かせない。この構成を、機内という閉ざされた空間の中でじっくりと組み上げてみせた手腕は、シリーズの脚本史においても特筆に値する。
本作の大きな選択は、二つの事件を一隻の飛行船の中で完全に同時進行させる二本柱の構成にある。表向きは、青いサファイア「レディスカイ」を狙う怪盗キッドの予告状をめぐる事件。その裏では、生物兵器の奪取をもくろむバイオテロ集団「赤いシャム猫」が機内を乗っ取ろうとしている。原作者の青山剛昌はプロット段階から監修として深く関わり、細部の調整を重ねた。キッドが盗む者でありながら最後まで人を傷つけないという、原作以来の人物像から外れないように——その一線を守る形で、本作のキッドは動いている。
監督と演出
監督は山本泰一郎。テレビアニメ『名探偵コナン』のシリーズディレクターを長く務め、劇場版でも複数の作品でメガホンを取ってきた人物だ。本作で山本が採る画面構成は、巨大な飛行船という閉じた空間を、客室、中央ホール、艦橋、整備通路、屋上のキャットウォークと、高さの異なる場所を登場人物の位置関係でつないでいく「縦の演出」に重心を置いている。
とりわけ屋上キャットウォークで蘭が落下し、キッドがハンググライダーで救助に向かう数十秒間は、本作でもっとも名高いシークエンスのひとつである。夜空、雲、機体の側面、落下していく細い影、そして救助に滑り込む白いマント。それらが長尺の連続カットで丁寧に組み上げられている。クライマックスの「都内ドームへの不時着」もまた、機体の大きさと都市の大きさを画面の中で同時に立ち上げてみせる、シリーズ屈指のディザスター演出として記憶に残る。
アニメーション制作
アニメーション制作はトムス・エンタテインメント。シリーズで長くタッグを組んできたスタジオが、本作でも背景美術・作画・3Dの三本柱を支えた。離陸前の係留塔、客室と中央ホールの装飾、艦橋の計器類、整備通路の鋼材、屋上キャットウォークの手すり、墜落寸前の機体側面から吹き出すガス、そして不時着先となる球形ドーム型施設の天蓋——本作の背景美術は、シリーズの中でも特に密度の高い設計が成されている。
クライマックスの不時着シーンの作画は、本作の動画・美術・撮影の見せ場である。気嚢の半分以上を損傷し、機体側面から白いガスを吐き続けながら、ゆっくりと、しかし確実にドームの天蓋へ身体を横たえていく飛行船の長尺ショットは、本作の制作陣が最も時間を割いた数十秒間のひとつであるとしばしば紹介されている。同時に、その不時着の前後を通り抜けていく登場人物の動きの描き分け——コナンの軽さ、新一に化けたキッドの優雅さ、桂木沙織機長の凛とした立ち姿、毛利小五郎の落ち着き、少年探偵団のばたばたとした足取り——も、丁寧に分担されている。
音楽と主題歌
音楽を手掛けるのは大野克夫。シリーズ全体のメインテーマを担ってきた作曲家であり、本作の劇伴でも、離陸前の祝祭感、屋上での緊張、テロリスト侵入時の不安、艦橋での対峙、そして不時着のクライマックスまでを、過剰な強調を避けたシリーズらしい上品な筆致で繋いでみせる。とりわけ屋上キャットウォークで蘭が落下し、キッドが救助する場面。その背後に流れる旋律は、本作中盤の感情の高まりを支える一曲だ。
主題歌はGARNET CROWの『Over Drive』(作詞:AZUKI七/作曲:中村由利/編曲:古井弘人)。GARNET CROWは、コナン劇場版およびテレビアニメ『名探偵コナン』と長く縁の深いビーイング系ロックバンドである。本作のために書き下ろされた『Over Drive』は、暴走する機体と加速する登場人物たちの感情を、同時に走らせるイメージで作られた。エンディングでこの楽曲が静かに流れ始めるとき、登場人物たちがひと夜のうちに駆け抜けた距離が、観客のなかにもう一度立ち上がってくる。
キャストと声の演出
高山みなみのコナン、山口勝平の新一、山崎和佳奈の蘭、小山力也の小五郎、松井菜桜子の園子、緒方賢一の阿笠博士、林原めぐみの灰原哀、岩居由希子・大谷育江・高木渉の少年探偵団、茶風林の目暮十三、井上和彦の白鳥任三郎、湯屋敦子の佐藤美和子、高木渉の高木刑事、千葉一伸の千葉刑事——シリーズのレギュラー陣が、いつもながら安定した演技を聞かせる。本作は毛利小五郎役の声優交代後の初期の劇場版にあたり、小山力也の重みのある声が、機内の大人たちの精神的な支柱としてなじんでいく時期の一本でもある。
とりわけ山口勝平は、コナン本来の声である工藤新一と、怪盗キッド/黒羽快斗を、ほぼ同時に同じ顔の上で演じ分ける。シリーズの中でも飛び抜けて難しい役どころだ。新一の口調、キッドの口調、そして「新一に化けたキッドの口調」という三段階を、上映時間102分のなかで観客の耳に違和感なく届け切る。この仕事こそ、本作の聴覚的な核といえる。
ゲスト声優では、機長・桂木沙織役の黒木瞳と、『赤いシャム猫』のリーダー役の渡部篤郎の二人が、本作の品格を支える二枚看板として起用された。黒木瞳の落ち着いた声と、渡部篤郎の低い声は、シリーズのレギュラー陣の華やかさと心地よく対比し、機内の現実感を一段と強めてみせる。さらに、鈴木次郎吉を演じた永井一郎の重厚な声が、お披露目の口上から不時着後のレディスカイの受け取りまでを、一本の太い線で繋いでいる。
アクションとサスペンス演出
本作のアクション設計は、機内の制圧、屋上キャットウォークでの落下と救助、整備通路の追跡、艦橋の制御争い、墜落寸前の不時着という、複数のスケールの場面を順に並べていく形を採る。派手な爆発に頼らず、観客の緊張を、銃口の角度、足元の鋼材の軋み、無線越しの誰かの呼吸、桂木沙織機長の手元の小さな操作、雲の中を抜ける機体の影といった細かな身振りの連続で維持していく演出は、シリーズのサスペンスの一つの到達点を示している。
クライマックスの不時着シーンは、シリーズの中でも特筆すべきディザスター演出のひとつである。気嚢の損傷と高度の低下、機体側面から吐き出される白いガス、桂木沙織機長と新一に化けたキッドの並んだ操舵、コナンの麻酔銃の最後の一発、客室の招待客の沈黙、そして都内のドームの天蓋への着地——それぞれが緻密に組み合わされ、本作のクライマックスの数分間を、息を継がせない長い緊張として観客に届ける。
26公開と興行
本作は2010年4月17日に日本で全国公開され、最終的に約32.0億円の興行収入を記録した。観客動員数は約257万人とされる。前作『漆黒の追跡者(チェイサー)』をさらに上回る成績で、劇場版『名探偵コナン』が30億円台の興行を本格的に視野に入れる節目の一本となった。怪盗キッドが劇場版に再登場し、工藤新一へと変装するという極端な造形、そしてGARNET CROW『Over Drive』の主題歌起用が大きな話題を呼び、シリーズの観客層が一段と広がった年でもあった。
公開直後から本作は、シリーズのなかでも『キッドが新一に化けたまま、ほとんどの時間を過ごす作品』『ラストの蘭への屋上のキスが、本物の新一ではなくキッドだった作品』として、ファンの会話のなかで繰り返し語られる一本となった。テレビ放送は公開翌年以降、日本テレビ系『金曜ロードショー』および後継の枠で何度も流れ、その後も劇場版『名探偵コナン』が毎年春に公開される時期に合わせて、過去のキッド作品の代表例としてたびたび再放送されてきた。
後年には小説版や関連書籍も刊行され、劇場版を文章で追い直したい読者にも門戸が開かれた。配信でも、ディズニープラスをはじめとする複数の動画配信サービスで長く視聴できる状態が続き、シリーズの怪盗キッド作品を一気に観たいファンにとっては、いまなお欠かせない一本として参照され続けている。
27批評・評価・文化的影響
本作の評価軸は、大きく三つに分かれる。第一に、劇場版『名探偵コナン』に怪盗キッド/黒羽快斗を再び投入したうえで、上映時間の大半を「工藤新一の姿で過ごすキッド」という極端な造形に振り切った、その構造的な意義である。本作以降、劇場版シリーズのキッド登場作は、単に「盗む者が現れる話」ではなく、「新一・コナン・蘭・キッドの四角関係そのものを揺らす話」として組まれることが増えていく。『業火の向日葵』『紺青の拳』『100万ドルの五稜星』に至るまで、本作はつねにその線上で参照されてきた。
第二に、機長・桂木沙織と「赤いシャム猫」のリーダーという、本作のために用意されたゲスト二枚看板の存在感だ。黒木瞳の声と渡部篤郎の声に支えられたゲスト陣は、シリーズの中でもとりわけ印象に残る造形となった。後年のゲスト声優起用の路線に対しても、本作はひとつの基準点として参照され続けている。
第三に、ラストの屋上のキスの主体が、新一に化けたキッドであったという「最大のサプライズ」そのものの、文化的な広がりである。本作のラストの数秒間は、公開当時から現在に至るまで、コナン劇場版を語るうえで必ず話題に上がる代表的なシーンの一つであり、シリーズの恋愛要素の歴史を語る際にも繰り返し言及されてきた。GARNET CROW『Over Drive』のメロディと組み合わさったこのラストは、本作の題名を聞いただけで蘭の頬と新一の唇の絵が同時に立ち上がる——そんな形で、楽曲と映像が一体化した記憶を観客の側に残している。
舞台裏とトリビア
本作は、劇場版『名探偵コナン』のなかでも、怪盗キッドが上映時間のほぼ全編を工藤新一の姿で過ごすという、きわめて珍しい趣向を採った一本である。原作および同じ青山剛昌のスピンオフ『まじっく快斗』のキッド像を踏まえつつ、それを劇場版『コナン』の枠組みのなかでここまで大胆に「他人に化け続けるキッド」として描き切った例は、シリーズでも本作とごく一部の作品に限られる。
もう一つの大きな見どころは、ラストで蘭の頬にキスをするのが本物の工藤新一ではなく、新一に変装したままの怪盗キッドだという事実そのものだ。蘭がそのキスを「工藤新一からのキス」として受け止めているのか、それともキッドの仕業だと薄々勘づいているのか、本作では明言されない。この曖昧さこそ本作のラストの強さであり、シリーズのなかで幾度も語り直されてきた論点でもある。
本作のゲスト声優の二枚看板——機長・桂木沙織役の黒木瞳と、「赤いシャム猫」のリーダー役の渡部篤郎——は、それぞれ俳優としてのキャリアのなかでも繰り返し語られるアニメ出演となった。機長を演じる黒木瞳の凛とした声と、リーダー役の渡部篤郎の低い声は、本作のゲスト声優起用の方針を示す一つの基準として、以降のシリーズへと受け継がれていく。
主題歌「Over Drive」を歌うGARNET CROWは、コナンの劇場版およびテレビアニメ『名探偵コナン』とりわけ縁の深いバンドで、本作以外にも複数の関連楽曲を手がけている。本作の「Over Drive」は、暴走する機体と加速する登場人物たちの感情を同時に走らせるイメージで書かれた疾走感あふれるロックで、シリーズの主題歌史のなかでも特に強い印象を残す一曲だ。
29テーマと解釈
本作の中心テーマは「他人の顔で隣に立つこと」である。怪盗キッドは工藤新一の顔を借りて蘭の隣に並び、『赤いシャム猫』のリーダーは無害な乗客の顔を借りて招待客のなかへ紛れ込む。前者は人を傷つけずに守るために、後者は人を欺いて奪うために、同じ「他人の顔」という手段を選ぶ。本作のタイトル『天空の難破船』は、まさに「他人の顔の下に潜む二人」が同じ機体の上下で並ぶ、ひと夜のことを指している。
もうひとつのテーマは「過去の研究と現在の責任」だ。『赤いシャム猫』のリーダーを突き動かす動機の核は、かつて自らが関わった生物兵器研究の延長線上にある個人的な決着であり、本作はその構造を、子ども向け推理アニメの劇場版のなかで誠実に描ききった。20世紀の科学研究が残した負の遺産を、21世紀初頭の春の空の上でもう一度観客の目の前へ引きずり出す——その身振りは、シリーズのなかでもとりわけ大胆な選択だった。
そして三つ目のテーマが「新一とキッドと蘭、三者の距離」である。新一の姿でしか蘭の隣に並べないコナンと、その新一の姿で蘭にキスをしてみせたキッドの背中。そのあいだに挟まれて立ち尽くすコナンの後ろ姿は、シリーズの恋愛要素のなかでもとりわけ切ない一枚だ。屋上のキスは、新一・コナン・蘭・キッドの四角関係の歴史のなかでもっとも踏み込んだ一歩のひとつであり、以降の劇場版がしばしば立ち返ってくる原点となった。
ラストカットが夜明けの東京湾の空と、まだ煙の残るドームの屋根を映し出すとき、エンディングで静かに流れ始める『Over Drive』のイントロが、登場人物たちがひと夜のうちにくぐり抜けた長い緊張と、それでも空のうえに残された美しさを、観客の側へもう一段深く立ち上げる。本作が長く愛されてきた理由は、派手な飛行船ディザスターと怪盗劇を組み合わせた面白さだけではない。新一・コナン・蘭・キッドの感情の機微を、ひとつの機体のなかに過不足なく束ねきった、脚本の誠実さにある。
30見る順番
劇場版『名探偵コナン』は基本的に一作完結であり、本作も初見の観客に特別な予備知識を求めないサスペンス/怪盗ものとして組まれている。原作のごく基本的な人物関係さえ押さえておけば十分に楽しめる。コナンが工藤新一の縮んだ姿であること、毛利蘭が新一の幼馴染であること、毛利小五郎が蘭の父で探偵を営んでいること、鈴木園子が蘭の親友で鈴木財閥の令嬢であること、そして少年探偵団と灰原哀の存在、目暮警部以下警視庁の刑事陣——この程度の前提で、物語は無理なく追える。
本作の見どころのひとつが、怪盗キッドの劇場版三度目の本格参戦である。さらにキッドを追いたいなら、まず前にあたる第3作『世紀末の魔術師』、第8作『銀翼の奇術師』を遡り、そのうえで本作の後に第19作『業火の向日葵』、第23作『紺青の拳』、第27作『100万ドルの五稜星』といったキッド登場作へ進むと分かりやすい。鈴木次郎吉が劇場版で本格的に動き続ける作品としても、本作の延長線上で『業火の向日葵』『紺青の拳』を観る流れが自然だ。
シリーズの公開順に沿って観るなら、前作の劇場版第13作『漆黒の追跡者(チェイサー)』を観たうえで本作で怪盗キッドの劇場版再登場に立ち会い、次の劇場版第15作『沈黙の15分(クォーター)』へ進む流れが最も分かりやすい。前作・本作・次作の三作は、いずれも劇場版『名探偵コナン』の中期を支える代表作として並んでおり、シリーズ中期の空気を一気に味わう三本立てとしてもおすすめしたい組み合わせである。
31よくある質問
「あらすじだけ知りたい」なら、押さえるべき大枠はこうだ。怪盗キッドの予告状とともに、鈴木次郎吉の超大型飛行船『ベルツリー1号』が処女航海へと飛び立つ。青いサファイア『レディスカイ』のお披露目が進むさなか、バイオテロ集団『赤いシャム猫』が機体を乗っ取り、機内にひそかに持ち込まれた生物兵器のアンプルを狙う——これだけ知っていれば十分だ。蘭は屋上で機体側面から落下しかけるが、工藤新一に変装した怪盗キッドのハンググライダーに救われる。クライマックスでは、墜落寸前の機体が東京湾岸の球形ドーム型施設へ不時着し、リーダーが確保される。
「結末・ネタバレを知りたい」なら、核となるのは次の点だ。本作の真犯人はバイオテロ集団『赤いシャム猫』のリーダーで、過去に生物兵器研究へ関わった経歴を持つ男である。その動機は、改変型ウイルス(コードネーム『シャム猫』)の奪取と、自らの過去への決着にあった。レディスカイは盗まれることなく、最終的に鈴木次郎吉の手元へ戻る。機体は球形ドーム型施設へ不時着し、登場人物に死者は出ない。そしてラスト、毛利蘭の頬にキスをするのは新一に変装したままの怪盗キッドであり、本物の工藤新一ではない。
「犯人は誰か」という問いへの答えはこうだ。本作の真犯人は、招待客に紛れていたバイオテロ集団『赤いシャム猫』のリーダー(声:渡部篤郎)であり、かつてある国家機関の生物兵器研究に関わった経歴を持つ男として描かれる。「動機」はこう整理できる。自らが関わった改変型ウイルス『シャム猫』のアンプルが機内へ持ち込まれていると察知し、それを奪い取ることで、自身の過去と研究機関への遺恨に決着をつけること——これが核心だ。青いサファイア『レディスカイ』は、あくまで怪盗キッドの予告状における表向きの標的にすぎない。
「初見でも見られるか」という問いには、本作は単体で完結しており、初めてでも問題なく楽しめると答えられる。前作『漆黒の追跡者』の事件と本作の事件は基本的に独立しているため、両作の順番を入れ替えて観ても本作の理解に支障はない。怪盗キッドの劇場版での描かれ方を一気に追いたいなら、本作の前に『世紀末の魔術師』『銀翼の奇術師』へ遡ってから進むのが、最もまとまった見方となる。「主題歌は誰の曲か」という問いには、GARNET CROWの『Over Drive』(作詞:AZUKI七/作曲:中村由利/編曲:古井弘人)が劇場版の主題歌として全面起用された、と答えられる。
「ゲスト声優は誰か」という問いには、ベルツリー1号機長・桂木沙織役の黒木瞳と、『赤いシャム猫』のリーダー役の渡部篤郎、この二人がゲスト声優の二枚看板として起用された、と答えられる。「興行はどうだったか」という問いには、興行収入約32.0億円・観客動員約257万人を記録し、劇場版『名探偵コナン』が30億円台の興行を本格的に視野へ入れる節目の一本となった、というのが基本となる答えだ。
32参考資料・脚注
作品名、画像、キャラクター名、および各種権利は、それぞれの権利者に帰属する。公開年や興行成績、配信状況、外部評価は変動しうるため、視聴前に公式サイトおよび各データベースの最新情報を確認してほしい。本記事の本文は、各種の公開情報をもとに、Anna Movies独自の日本語記事として構成したものである。