東京で連続して発見される七人の被害者、その小指が示す方角の先にあるもの——そして劇場版で初めて黒の組織が全面に立ち、コナンの正体が組織の目の前で揺れる、劇場版『名探偵コナン』シリーズ第13作。
原作青山剛昌、脚本古内一成、音楽大野克夫、監督山本泰一郎。アニメーション制作はトムス・エンタテインメント、配給は東宝。上映時間は約110分。劇場版『名探偵コナン』シリーズ第13作にあたり、劇場版で初めて黒の組織を物語の前面に押し出した『黒の組織編』劇場版の事実上の出発点である。
本作は、テレビアニメ・原作で長く積み上げられてきた『黒の組織編』の登場人物——ジン、ウォッカ、ベルモット、新キャラクターの組織員アイリッシュ、組織のスナイパー・チームであるキャンティ/コルン——を、劇場版のスケールで真正面から扱った最初の一本である。物語の縦糸は、被害者の小指が指し示す方角に沿って描かれる北斗七星型の連続殺人と、劇場版で初めて顕在化するコナンの『正体露見の危機』である。
国内興行収入は約35億円。シリーズ前作までと並ぶ大型のヒットを記録しつつ、本作は『黒の組織が劇場版でこそ全面に立ちうる』ことをはじめて証明した。主題歌はB'zの書き下ろし「revolve」で、ロック・チューンが本作の硬質なサスペンスを締めくくる。
本記事は、冒頭の連続殺人の発見と被害者七名の名前に隠された手掛かり、関西側で同種の事件を追う服部平次との合流、精神鑑定で施設に収容されていた沼淵己一郎の脱走、組織の新顔アイリッシュの介入、東京タワーでのクライマックスと、コナンの正体がアイリッシュの目前で確定しかける瞬間、そしてキャンティとコルンの狙撃によるアイリッシュの最期までを、重大なネタバレを前提に順を追って記述する。
目次 36項目 開く
概要
『名探偵コナン 漆黒の追跡者(チェイサー)』(めいたんていコナン しっこくのチェイサー)は、青山剛昌の漫画『名探偵コナン』を原作とした日本のアニメ映画で、2009年4月18日に東宝の配給で日本公開された。劇場版『名探偵コナン』シリーズの第13作にあたり、監督は山本泰一郎、脚本はシリーズの長年の中心執筆者である古内一成、音楽はテレビ・劇場版を通じてシリーズを支える大野克夫が担当した。アニメーション制作はトムス・エンタテインメント。上映時間は約110分である。
本作は、テレビアニメ・原作で長く積み上げられてきた『黒の組織編』を、劇場版で初めて真正面から扱った一本である。これまでの劇場版にも組織員が顔を出す瞬間はあったが、ジン・ウォッカ・ベルモットといった主要メンバーに加え、新顔のアイリッシュ、組織のスナイパーであるキャンティとコルンまでが、同じ一本の劇場版のなかで揃って動くのは本作が事実上はじめての試みである。劇場版『名探偵コナン』が翌年以降に踏み込んでいく『黒の組織編劇場版』の路線——『天空の難破船』『絶海の探偵』『純黒の悪夢』『ゼロの執行人』『緋色の弾丸』『黒鉄の魚影』——のすべての出発点が、本作にある。
もう一つの縦糸が、東京で連続して発見される七人の被害者と、それらの小指が示す方角の上に成立する『北斗七星』の図形である。それぞれの被害者の名前には、北斗七星を構成する七つの星——天枢、天璇、天璣、天権、玉衡、開陽、揺光——のいずれかに通じる文字が隠されており、その配列が示すのは、ある一人の人物の居場所である。劇場版『名探偵コナン』のなかでも、本作はとくに『暗号と地理』を縦糸に据えた一本に仕上がっている。
そして最大の見せ場は、終盤で組織の新顔アイリッシュが、コナンの『正体』に手を伸ばす一連の場面である。劇場版で『コナン=工藤新一』の事実が組織の目の前で揺れるのは、本作がはじめてである。本記事は、結末、北斗七星連続殺人の真相、沼淵己一郎の脱走、アイリッシュの正体と動機、東京タワーのクライマックス、キャンティとコルンの狙撃、そしてコナンの正体が組織から守られる最後の瞬間までを含む全編の内容に踏み込んでいく。物語の重大な驚きを保ちたい場合は、まず本編を鑑賞してから戻ってきてほしい。
- 原題
- 名探偵コナン 漆黒の追跡者(チェイサー)
- シリーズ
- 劇場版『名探偵コナン』第13作
- 監督
- 山本泰一郎
- 脚本
- 古内一成
- 音楽
- 大野克夫
- 主題歌
- B'z「revolve」
- 日本公開
- 2009年4月18日
- 上映時間
- 約110分
- 主舞台
- 東京(米花町、警視庁、東京タワー)、大阪
- ジャンル
- ミステリー、サスペンス、アクション
あらすじ
以下は結末までを含む全編のあらすじである。物語は、東京で発見される七人の連続殺人の被害者と、それぞれの小指が指し示す方角の上に成立する『北斗七星』の図形——その先にある一人の人物の居場所——を縦糸に、関西から合流する服部平次の動きと、組織の新顔アイリッシュの介入が三本目の縦糸として絡まり、最後に東京タワーのクライマックスへと収束していく。
東京で発見される連続殺人——七つの星のはじまり
物語は、東京の街角で発見されるある殺人事件の通報から始まる。被害者は、ごく普通の市民として日々を送っていた一人の男性だった。現場の状況は、犯人がその場で衝動的に手を下したというよりは、計画的にこの場所へ、この時刻に、被害者を呼び寄せたうえで動いたとしか考えられない緻密さを帯びている。そして決定的な特徴がひとつ——被害者の左の小指が、関節のところで切断され、現場から持ち去られている。
捜査一課には、目暮十三警部を中心に佐藤美和子、高木渉、千葉刑事といった顔ぶれが入り、毛利小五郎が私立探偵としてその縁から事件に関わる形で、コナンも現場へ足を運ぶことになる。連続殺人の最初の一件としてはまだ判らない段階だが、現場には数日後・数週間後に同じ手口で発見される他の被害者と通底する小さな印が残されている。コナンは、その小さな印——被害者の名前にひそかに含まれる『ある文字』と、小指が向けて落とされた方角——をすぐに視野に入れる。
そして同じ時期、東京の別の場所で、また別の被害者が同じ手口で発見される。さらにもう一件、もう一件。被害者は職業も年齢もばらばらだが、いずれも左の小指を切断され、その小指が指し示す方角は、それぞれの現場ごとに少しずつ違う方向を向いている。コナンは、警視庁が把握している複数の事件を一つの地図の上に並べ、ようやくそこに浮かび上がる図形——北斗七星——を視界の中に掴む。
北斗七星の暗号——七つの名前と七つの方角
事件のもう一つの鍵は、被害者の名前そのものに隠されている。七人の被害者の姓名のいずれかには、北斗七星を構成する七つの星——天枢(てんすう)、天璇(てんせん)、天璣(てんき)、天権(てんけん)、玉衡(ぎょっこう)、開陽(かいよう)、揺光(ようこう)——のうちのいずれかの星の文字、あるいはそれを連想させる文字が忍ばせてある。コナンは、これらの名前の中の文字を順に並べ、七人を北斗七星の七つの星に対応させていく。
そして決定的なのが小指の指す方角である。被害者の切り取られた小指は、それぞれの現場で、特定の方角を指して残されている。コナンは、七人を地図のうえで北斗七星の七つの星に対応する位置に置き、それぞれの小指の方角を線として延長していく。線は、地図のうえで一点に収束する——東京の中心部のある場所、つまり犯人が次に狙うであろう『八つ目の標的』が暮らしているはずの一点である。
観客に対しては、コナンの推理の組み立てが、地図と七つの星と七本の方角線の重ね合わせとして、視覚的に手渡される。本作の暗号は、被害者の名前と現場の地理と小指の方角という三層の情報を一つの図形に圧縮した、シリーズの劇場版のなかでもとりわけ暗号として手応えのあるものに仕上がっている。
関西からの合流——服部平次が見ていた事件
並行して、大阪では服部平次が東京と同じ手口の事件を一件、独自に追っていた。被害者の小指が切断されている、名前の中に北斗七星に通じる文字が含まれている——大阪の事件は、東京の連続殺人の七つの星のうちの一つに対応する一件であり、平次はそのことに自分の手で気づき、東京へと飛んでくる。
東京で平次は、コナンと並んで現場を歩き、二人で被害者七名の名前と方角線を一つの地図の上に並べる。平次は、関西での捜査で掴んでいたいくつかの情報——犯人の身体的特徴、現場周辺の目撃証言、被害者と犯人の接触の経緯——を持ち込み、コナンはそれと東京側の捜査資料を組み合わせて、犯人像をようやく一人の人物に絞り込んでいく。平次の登場は、本作の捜査劇に関西側からのもうひとつの視点を加える役を担う。
もう一人、本作で平次に同行するのが遠山和葉である。和葉は、平次の捜査の同伴者であると同時に、和葉自身が事件の小さな目撃者として現場で重要な手掛かりに気づく場面も担っている。コナン・蘭・平次・和葉の四人が一緒の画面に揃う場面の温度感は、本作のサスペンスの硬さを和らげる役割も果たしている。
沼淵己一郎——七年前の事件と精神鑑定
捜査の過程で、警視庁の資料の中からひとつの過去の事件が浮上する。およそ七年前、本作と酷似する手口——左の小指を切断し、現場から持ち去る——で連続殺人を行ったとして逮捕された男がいた。沼淵己一郎(ぬまぶち こいちろう)という名のその男は、逮捕後の精神鑑定の結果、責任能力の判定の問題から精神医療の施設に収容されていた。
本作の事件発覚の少し前、沼淵が収容されていた施設から脱走したという情報が、警視庁の手元に届く。コナンと平次は、七年前の事件と現在の事件の手口の一致を踏まえて、現在の犯人と沼淵の関係を疑い始める。捜査が進むにつれ、現場周辺の目撃証言の中に沼淵らしき長身の男の姿が浮上し、本作の連続殺人を物理的に実行している人物は、沼淵己一郎本人である可能性が極めて高い、という像が立ち上がってくる。
ただし、本作の構造は『沼淵が単独で動いている』だけでは閉じない。彼を施設の外へ連れ出した人物が別にいて、彼を本作の連続殺人の道具として使っている——という疑いが、コナンの目の中で次第に確信に変わっていく。本作の事件の真の主犯は、沼淵己一郎の背後に立っている、もう一人の人物である。
アイリッシュ——黒の組織の新顔
本作で初めて登場する黒の組織の新顔が、長身に黒のスーツをまとった男・アイリッシュである。彼は組織のなかでも比較的新しい立場の人物で、ジン・ウォッカと並んでも引けを取らない実力と、独自の判断で動く強い意志の双方を持っている。本作で彼に与えられた任務は、組織が長年の懸念の中心に置いてきた『シェリー』——すなわち灰原哀/宮野志保——の現在の居場所を確定することにある。
アイリッシュは、本作の連続殺人と並行する形で、東京のあちこちで独自の動きを取る。沼淵己一郎を施設から連れ出し、北斗七星の構図に従って彼を七人の連続殺人の実行役として使ったのも、アイリッシュ自身である。七つの方角線が収束する地点に、彼はシェリーの居場所が浮かび上がると睨んでおり、本作の連続殺人そのものが、シェリー探索のための巨大な『地図のあぶり出し』として組み立てられている。
もう一つ、本作のアイリッシュの造形を支えるのが、彼の容姿と来歴のある側面である。アイリッシュは、警察組織にかつて在籍していた人物——長年シリーズで描かれてきた『警察学校組』に属していた、ある男性に酷似した容貌を持つ。劇場版の物語の中では、彼自身がその来歴をはっきりと語ることはなく、観客は彼の佇まいの中に、シリーズの本筋で語られてきた過去の人物の影を、ふっと重ねて見ることになる。
ジンとウォッカ——アイリッシュへの不信
本作の黒の組織側の構図は、アイリッシュ単独の暴走に対する、ジン・ウォッカ・ベルモットの監視と疑念のうえに成立する。アイリッシュは、組織の幹部級ではあるが、彼の動きが組織の利害をはみ出している可能性が、ジンを中心にした古参の側からは早い段階で疑われ始める。
ジンとウォッカは、アイリッシュの独自行動を遠くから見張りつつ、必要であればその場で処分することも辞さない姿勢を取る。組織はそのために、長距離からの狙撃を担当するキャンティとコルンの二人を、本作の終盤に呼び寄せる。本作で組織のスナイパー・チームが劇場版に登場するのは、これがはじめてである。
ベルモットもまた、本作の中で組織側の一員として独自の位置に立つ。彼女は、ジンともアイリッシュとも違う角度から、本作の事件の輪郭を観察している。シリーズの中で彼女が知り続けている『コナンと灰原哀の正体』が、本作の終盤の動きとどう交差するのか——その含みが、本作の彼女のすべての場面に重く乗っている。
灰原哀の異変——『感じる』組織の気配
並行して、阿笠博士の家を中心に過ごす灰原哀の側にも、本作のサスペンスの大きな縦糸が走る。組織の一員として組織から逃げ続けている彼女は、自分の身に組織の追跡の手が及び始めたとき、独特の体感としてその気配を察知する性質を本作でも見せる。本作の彼女は、コナンが連続殺人の謎を解いていく数日のあいだ、自分のうえに何かが迫っていることを、自分の身体の中で正確に把握している。
彼女は、阿笠博士の家を一時離れ、少年探偵団の歩美・元太・光彦と距離を取ることまで考えるが、コナンと阿笠博士は、彼女を引き留めて家のうえで生活を続けさせる選択を取る。彼女が組織のスナイパーや実働部隊に居場所を掴まれた瞬間に、阿笠博士の家自体が攻撃対象になる可能性も含めて、コナンは終始その懸念を背負った状態で連続殺人の捜査を進める。
本作の中盤、コナンは『七つの方角線が収束する地点』が、阿笠博士の家——すなわち灰原哀の居場所——に極めて近い一帯であることに気づき、本作の連続殺人がシェリー探索のための巨大な地図のあぶり出しであるという全体像を、自分の中で組み立て直す。連続殺人の捜査と、阿笠博士の家を組織から守ることが、ここから本作の同じ一つの課題として走り始める。
東京タワー——コナンとアイリッシュの直接対峙
本作のクライマックスは、東京タワーへと集約される。コナンは、北斗七星の暗号の収束点と、アイリッシュの動きの先回りの双方を頭の中で組み立てて、決着の場として東京タワーを選ぶ位置に立つ。アイリッシュもまた、コナンの動きと七つの方角線の収束点を踏まえて、自分の任務の最終局面の場として東京タワーへ向かう。
東京タワーの内部・展望台周辺で、コナンとアイリッシュは、シリーズ全体のなかでも特に距離の近い対峙の数分間を共有する。アイリッシュは、目暮警部の姿を借りるなど、巧みな変装と立ち回りで彼の側の任務を進めようとし、コナンはそれを少年探偵団の身体・蘭の身体・現場の客たちの身体の重みのうえで、ひとつずつ食い止めにかかる。本作の東京タワー一帯のシークエンスは、劇場版『名探偵コナン』の歴史のなかでも、アクションと推理の双方が最も濃密に組み合わさる時間帯のひとつである。
そしてこの対峙のあいだに、アイリッシュは、コナンの正体——縮んだ姿の工藤新一であるという事実——に手を伸ばす一歩手前まで踏み込んでくる。コナンが現場で何気なく落とした小さな証拠——指紋の付いた一枚のコインや小物——を、アイリッシュは自分の手元へと拾い上げ、そこから『コナン=新一』を確定する直前の地点にまで到達する。劇場版で組織員の目の前で、これほどコナンの正体が物理的な距離で接近するのは、本作がはじめての出来事である。
アイリッシュの最後——キャンティとコルンの狙撃
アイリッシュの単独行動が組織の利害をはみ出していることを最終的に判断したジンは、組織のスナイパー・チームであるキャンティとコルンに対して、アイリッシュの処分を命じる。二人は、東京タワーの周辺の高所からアイリッシュを長距離で捕捉し、的確に彼を狙撃する。本作の終盤、アイリッシュの身体には組織の側から放たれた弾丸が突き立つ。
致命傷を負ったアイリッシュは、コナンの正体を確定する一歩手前の地点で、自分の手の中の小さな証拠の上に最後の意思を働かせる。彼は、自分の手で証拠を握り潰し、あるいは指紋を消す動きを取り、コナンの正体を組織側に明け渡さない選択を取ったうえで、地上へと崩れ落ちていく。アイリッシュが本作の最後にコナンに対して見せる短い視線と、彼が口にする一言は、本作のもっとも記憶される瞬間のひとつである。
アイリッシュが組織から離れた地点で死を選んだことの背景には、彼自身の来歴——警察学校組のある人物に酷似した容貌を持つ彼が、コナンの中に何を見たのか——という、本作では完全には明かされない含みが残されている。本作以後のシリーズで、警察学校組と組織の関係が繰り返し描かれていく流れの中で、アイリッシュの最後のあの一秒は、長年のシリーズの中で何度も振り返られる短いシーンとして記憶されていくことになる。
決着——連続殺人の終わりとコナンの守られた正体
アイリッシュの死とほぼ同じタイミングで、本作の北斗七星連続殺人の実行役であった沼淵己一郎の身柄も、警視庁の手によって確保される。沼淵は、アイリッシュによって施設から連れ出され、本作の七人の被害者を物理的に手にかける役を担わされた人物として、もう一度警察の手の中に戻ることになる。捜査一課の目暮警部、白鳥任三郎、佐藤美和子、高木渉、千葉刑事は、本作の連続殺人の表向きの幕引きをそれぞれの位置で担う。
コナンの正体は、アイリッシュの最後の一手によって、組織の側へ明け渡されないままで守られる。ジン・ウォッカ・ベルモット・キャンティ・コルンの側には、アイリッシュが何を掴みかけていたかは伝わらず、本作以後のシリーズで、コナンの『工藤新一として組織から狙われる』状況は、本作で一段階手前に押し戻された地点から再び動き続けることになる。
本作の最後の数分間、コナンは蘭・小五郎・阿笠博士・灰原哀・少年探偵団・服部平次・遠山和葉の側へと戻り、東京タワーを背景にした静かな夜の街角へと帰っていく。表向きは『連続殺人事件の解決』として処理された本作の出来事の裏に、アイリッシュという一人の組織員の選択と、コナンの正体が組織の目の前で揺れたという事実が、観客の側にだけ残される。本作の幕は、その含みを抱えたまま、B'zの主題歌『revolve』のロック・チューンへと繋がっていく。
登場要素
本作に登場・言及される主な要素を、劇場版『名探偵コナン』の標準的な分類に沿って整理する。固有名詞は鑑賞の手がかりであり、初見ですべてを暗記する必要はない。
レギュラー陣
- 江戸川コナン/工藤新一
- 毛利蘭
- 毛利小五郎
- 阿笠博士
- 灰原哀
- 少年探偵団(吉田歩美・小嶋元太・円谷光彦)
- 服部平次
- 遠山和葉
- 鈴木園子
- 目暮十三警部
- 白鳥任三郎
- 佐藤美和子
- 高木渉
- 千葉刑事
事件関係者・ゲスト
- アイリッシュ(黒の組織の新顔の幹部級、本作のもう一人の主役)
- 沼淵己一郎(北斗七星連続殺人の実行役、過去の連続殺人で精神医療施設に収容されていた男)
- ジン(黒の組織の最古参の幹部級)
- ウォッカ(ジンの相棒)
- ベルモット(変装に長けた組織の女幹部)
- キャンティ(黒の組織のスナイパー)
- コルン(黒の組織のスナイパー)
- 七人の被害者(名前に北斗七星の文字を含む市民)
- 捜査一課の関係者と現場の関係者多数
犯人と動機(重大ネタバレ)
- 事件の主犯:黒の組織の新顔アイリッシュ。シェリー(灰原哀/宮野志保)の現在の居場所を確定するため、被害者の名前と小指の方角を北斗七星の図形に重ね合わせる連続殺人を計画
- 実行役:沼淵己一郎。過去に同種の連続殺人で精神医療施設に収容されていた男を、アイリッシュが施設から連れ出して本作の連続殺人の道具として使用
- 東京タワーの最終局面:アイリッシュがコナンの正体に手を伸ばす一歩手前まで踏み込むが、組織側のジンの判断によりキャンティとコルンが彼を長距離から狙撃
- アイリッシュの最後の選択:致命傷を負ったあと、コナンの正体を確定する小さな証拠を自分の手で処理し、組織にコナンの正体を明け渡さない選択を取って絶命
- 結果:北斗七星連続殺人は表向き解決、コナンの正体は組織から守られたまま本作の幕が下りる
舞台
- 東京の街角(連続殺人の各現場)
- 警視庁および捜査一課(事件捜査の中心)
- 毛利探偵事務所と米花町の街角(小五郎・蘭・コナンの日常)
- 阿笠博士の家(灰原哀の居場所、本作の地理的な収束点に近い一帯)
- 大阪(服部平次の生活圏、関西側の事件の現場)
- 東京タワー(クライマックスの集中点)
- 黒の組織の通信・行動拠点(複数の屋外と屋内)
トリック・小道具
- 北斗七星の図形と七つの星の漢字(天枢・天璇・天璣・天権・玉衡・開陽・揺光)
- 被害者の左の小指の切断と現場における方角の指示
- 七人の被害者の名前に隠された星の文字
- アイリッシュの変装術(目暮警部の姿などを巧みに借りる)
- コナンが現場で何気なく落とした指紋付きの小さな証拠(コイン・小物)
- 阿笠博士発明のキック力増強シューズ、蝶ネクタイ型変声機、腕時計型麻酔銃、伸縮サスペンダー、犯人追跡メガネ、ターボエンジン付きスケートボード
- キャンティとコルンの長距離狙撃ライフル
主題歌・主要声優
- 主題歌:B'z「revolve」(書き下ろし)
- コナン:高山みなみ
- 工藤新一:山口勝平
- 毛利蘭:山崎和佳奈
- 毛利小五郎:小山力也
- 阿笠博士:緒方賢一
- 灰原哀:林原めぐみ
- 吉田歩美:岩居由希子
- 小嶋元太:高木渉
- 円谷光彦:大谷育江
- 服部平次:堀川りょう
- 遠山和葉:宮村優子
- ジン:堀之紀
- ウォッカ:立木文彦
- ベルモット:小山茉美
- アイリッシュ:田中秀幸
- キャンティ:佐藤夕美子
- コルン:木下浩之
- 沼淵己一郎:石塚運昇
- 目暮十三警部:茶風林
- 白鳥任三郎:井上和彦
- 佐藤美和子:湯屋敦子
- 高木渉:高木渉
- 千葉刑事:千葉一伸
- 鈴木園子:松井菜桜子
主要登場人物
本作は、シリーズおなじみのレギュラー陣に加え、黒の組織のメンバーが劇場版でかつてないほど一挙に揃って動く構成を取る。レギュラー陣のコナン・蘭・小五郎・阿笠博士・灰原哀・少年探偵団・服部平次・遠山和葉は、それぞれの位置で連続殺人の捜査と組織の動きの両方に関わっていき、ジン・ウォッカ・ベルモット・アイリッシュ・キャンティ・コルンが、本作の組織側の構図を支える。
江戸川コナン/工藤新一(高山みなみ/山口勝平)
本作のコナンは、北斗七星連続殺人の暗号解読と、灰原哀の居場所を組織から守ることという、二つの課題を同時に背負った状態で物語を進める。彼自身が黒の組織にかつて毒薬APTX4869を飲まされて身体を縮められた被害者でもあるため、本作の組織側の動き、とりわけアイリッシュの存在は、本作の彼の判断のすべてに重い圧力を与え続ける。
本作の彼の見せ場は、被害者七人の名前の中の文字と小指の方角を一つの地図のうえで北斗七星の図形に重ねていく推理の組み立てと、東京タワー一帯のアクションの両面に均等に置かれている。キック力増強シューズによる移動、サッカーボールでの精密な蹴り出し、蝶ネクタイ型変声機での状況コントロール——本作のコナンは、シリーズの劇場版の中でも特に多くのガジェットを丁寧に使い分ける一本になっている。
高山みなみのコナンと、山口勝平の工藤新一の声は、本作でもシリーズの長年の蓄積を踏まえた安定した演技を見せる。本作の彼は、決して全てを言葉にしないキャラクターとして、本作のラスト、アイリッシュが地上へ崩れ落ちていく数秒間の重さを、観客のために黙って引き受ける役を担っている。
服部平次/遠山和葉(堀川りょう/宮村優子)
西の高校生探偵・服部平次は、本作で関西から東京の事件へ合流する形で登場する。大阪で同種の連続殺人の一件を独自に追っていた彼は、その捜査を通じて掴んだ手掛かりを東京の捜査に持ち込み、コナンと並んで七人の被害者の名前と方角線を一つの地図のうえに並べる作業を進めていく。コナンと平次が肩を並べる場面の数の多さは、本作の捜査劇の温度感を一段階押し上げている。
遠山和葉は、平次の捜査の同伴者であると同時に、本作の現場で重要な小さな手掛かりに気づく目撃者の役も担う。和葉自身が本作の中で危険な現場に立つ場面もあり、平次が和葉の身を守るために動く瞬間の数秒間は、本作のシリーズおなじみのファンへのもうひとつの贈り物として組まれている。
堀川りょうの平次と、宮村優子の和葉の声は、本作でもシリーズおなじみの軽妙さと深さを併せ持つ。本作以後の劇場版『業火の向日葵』『から紅の恋歌』へとつながっていく平次・和葉の物語のうえで、本作の二人の登場は、関西側のレギュラーが劇場版で果たすべき役割の輪郭を改めて確かめる一本にもなっている。
アイリッシュ(田中秀幸)
本作の事実上のもう一人の主役。黒の組織の新顔の幹部級として登場する長身の男で、シェリー(灰原哀/宮野志保)の現在の居場所を確定する任務を組織から託されている。沼淵己一郎を施設から連れ出し、本作の七人の連続殺人を北斗七星の図形にあてはめて計画した中心人物である。
彼の造形を支えるのは、警察学校組のある男性に酷似した容貌と、組織の中での独自の判断で動く強い意志である。劇場版の中で彼自身がその来歴をはっきり語る場面はなく、観客は彼の佇まいの中に、シリーズの本筋で長年語られてきた過去の人物の影をふっと重ねて見ることになる。本作で彼が東京タワーの周辺で見せる立ち回りと、致命傷を負ってからの最後の選択は、本作のクライマックスの感情の中心を引き受けている。
声を担当する田中秀幸は、長年にわたり実写・アニメの両分野で第一線の演技を積み重ねてきた声優で、本作のアイリッシュの低い声のレジスターと、組織員としての冷たさの中に滲む人間味の両方を、ひとりの人物の中に違和感なく繋いでいる。本作のアイリッシュは、シリーズの劇場版ゲストキャラクターのなかでも、長く語り継がれる一人となった。
ジン・ウォッカ・ベルモット(堀之紀・立木文彦・小山茉美)
黒の組織の中心メンバーが、劇場版で揃って画面に立つ。ジンは組織の最古参の幹部級として、本作の組織側の判断の中心に立ち続ける。ウォッカは彼の相棒として、現場での実行担当を担う。ベルモットは変装に長けた女幹部として、ジンともアイリッシュとも違う角度から、本作の事件の輪郭を観察する位置に立つ。
ジンとウォッカの関係性は、本作でもシリーズの長年の蓄積をそのまま受け継いでいる。ジンの冷徹な判断、ウォッカの実直な実行、そしてアイリッシュの単独行動を遠くから見張りつつ、必要であれば組織の側からその場で処分することも辞さない姿勢を取る本作の二人の役回りは、シリーズの本筋色を劇場版に持ち込む重要な軸として機能している。
ベルモットは、本作でも『コナンと灰原哀の正体』を知る数少ない人物として、ジンともアイリッシュとも違う独自の距離で全体を眺めている。彼女の佇まいの中に走る含みは、本作以後のシリーズ全体で繰り返し回収されていく。
キャンティ・コルン(佐藤夕美子・木下浩之)
黒の組織のスナイパー・チーム。劇場版に二人が揃って登場するのは本作が事実上のはじめてであり、シリーズの本筋で長年積み上げられてきた組織のスナイパー像を、劇場版のスケールで真正面から扱う初の試みでもある。本作で二人が請け負うのは、組織の側から見たアイリッシュの『処分』であり、東京タワー一帯の高所からの長距離狙撃でその任務を果たす。
二人の射撃シーンは、本作のクライマックスの数分間を物理的に支える鋭利なアクションとして組まれている。佐藤夕美子のキャンティ、木下浩之のコルンの声は、組織のスナイパーとしての冷静さと、長年シリーズで描かれてきた組織員特有の温度感の両方を、低めのレジスターのなかに丁寧に重ねている。
灰原哀/宮野志保(林原めぐみ)
元黒の組織の科学者・宮野志保で、APTX4869の開発に関わった人物。組織から逃げ続けながら、阿笠博士の家で『灰原哀』として日々を送る。本作の北斗七星連続殺人の七つの方角線が収束する地点は、阿笠博士の家——すなわち彼女の居場所——に極めて近い一帯であり、本作の彼女は、自分の上に組織の手が確実に伸び始めている状況を、独特の体感として把握したままで物語を進めることになる。
本作の彼女は、阿笠博士の家を一時離れることまで考えるが、コナンと阿笠博士に引き留められ、家の上での生活を続ける選択を取る。本作のクライマックスでは、彼女の居場所をめぐる組織の側の動きが、東京タワー一帯の決着と並行して走り続ける構造になっている。林原めぐみの演技は、組織の科学者としての冷静さと、子どもとして仲間に向ける小さな表情の揺らぎを、同じ一人の人物の中に違和感なく重ねている。
目暮警部・佐藤美和子・高木渉・白鳥任三郎・千葉刑事
警視庁捜査一課の常連メンバーが、本作の連続殺人捜査を担う。目暮十三警部、佐藤美和子、高木渉、白鳥任三郎、千葉刑事——いずれもシリーズおなじみの声で、捜査会議・現場検証・聞き込みのリズムの中に、本作の連続殺人を表向きの捜査の枠で支えていく。アイリッシュが本作の中で『目暮警部の姿』を借りる場面の意外性も、彼らの普段の存在感の上に成立している。
茶風林・湯屋敦子・高木渉・井上和彦・千葉一伸——シリーズの長年のキャストの声は、本作でも本作の事件の表向きの輪郭を、観客に対して安心して手渡せる温度のなかでまとめ上げている。
舞台と用語
本作の主要な舞台は、東京の街角と警視庁捜査一課、毛利探偵事務所、阿笠博士の家、そしてクライマックスの東京タワーへと移る。途中には、関西側で同種の事件を追う服部平次の生活圏として大阪が織り込まれ、コナン・蘭・平次・和葉の四人が東京と大阪の双方を行き来する場面が並ぶ。東京タワーは、本作の連続殺人の暗号の収束点としての象徴性と、夜景の中での物理的なスケールの双方を兼ね備えた舞台として選ばれている。
用語面では、「黒の組織」「シェリー」「APTX4869」「組織のコードネーム(ジン、ウォッカ、ベルモット、アイリッシュ、キャンティ、コルンなどの酒名)」「北斗七星」「警視庁捜査一課」が物語の鍵となる。本作の用語は、原作・テレビアニメ本編で長く読み・観られてきた『黒の組織編』の用語群を、初見の観客にも理解できる形で順に呈示するよう設計されている。
制作
劇場版『名探偵コナン』シリーズは1997年の『時計じかけの摩天楼』に始まり、年に一本のペースで春興行を担う恒例企画として定着していた。本作はその第13作にあたり、シリーズが原作・テレビアニメ本編で長く積み上げてきた『黒の組織編』を、劇場版で初めて真正面から扱うことになった大型の節目の一作である。
企画と脚本
脚本は古内一成が担当した。古内一成は劇場版『名探偵コナン』シリーズの長年の中心執筆者であり、第1作『時計じかけの摩天楼』から続く語り口の核を支え続けてきた人物である。本作の脚本は、シリーズの本筋色を劇場版のスケールに収めながら、初見の観客にも物語が成立するような暗号と動機の組み立てに丁寧な工夫を凝らしている。
原作者の青山剛昌は、劇場版『名探偵コナン』の各作で監修・キャラクター原案として深く関わってきた。本作では、原作・テレビアニメ本編で長く積み上げられてきた黒の組織編のキャラクター群を、劇場版のスケールに耐える構図に並べ直す作業に多くの時間が割かれており、新キャラクターであるアイリッシュの造形と、彼が警察学校組のある人物に酷似した容貌を持つという設定は、本作の脚本の核として早い段階で確立された。
シリーズの劇場版が長年掲げてきた『一作完結だが本筋に通じる温度がある』というバランスを、本作はもう一段階だけ前に進めている。冒頭の連続殺人の発見から、ラストの東京タワーのクライマックスまで、本作の構成は終始、黒の組織との距離の近さと、コナンの正体の揺れの双方の上に置かれている。
監督と演出
監督は山本泰一郎。山本泰一郎は、テレビアニメ『名探偵コナン』のシリーズディレクターを長く務めてきた人物で、劇場版でも本作を含む複数の作品で監督を担当している。本作の彼の演出は、東京の街角と東京タワーという、地理的にスケールの異なる空間の連続を、観客の視界の中で違和感なく繋ぐ手付きに大きな強みを発揮している。
本作の演出のもうひとつの特徴は、暗号と地理を視覚的に手渡す丁寧さである。被害者七人の名前の中の文字、それぞれの現場における小指の方角、地図のうえに延長された七本の線——本作は、この情報を観客の側に整理して手渡すことを、長台詞ではなく地図と図形の重ね合わせの映像表現で実現している。シリーズの劇場版の中でも、本作の演出は『暗号を画面で見せる』方向に最も強く振れた一本のひとつである。
翌2010年の『天空の難破船』からは静野孔文が監督を引き継ぎ、シリーズの劇場版は新しい世代へと舵を切ることになる。本作は、山本泰一郎が劇場版の指揮を執った最後の一作として、シリーズの語り口の継承の節目にも置かれた重要な作品である。
アニメーション制作
アニメーション制作はトムス・エンタテインメント。テレビシリーズと共通する作画スタッフ陣が、劇場版用に密度を上げて挑んでいる。本作の最大の見せどころは、東京の街角の連続殺人現場の作画と、ラストの東京タワー一帯のクライマックスの作画である。とくに東京タワーの内部・展望台周辺・周辺地区の高所からの俯瞰など、本作の終盤の作画は、シリーズの中でも特に密度が高い一連の場面のひとつである。
アイリッシュの長身のシルエットと、ジン・ウォッカ・ベルモット・キャンティ・コルンの黒のスーツの群像が同じ画面のうえに並ぶ場面の作画は、本作のもうひとつの見どころである。組織員の動きを劇場版のスケールで丁寧に積み上げる方向で整えられた本作の作画は、以後の『天空の難破船』『絶海の探偵』『純黒の悪夢』『ゼロの執行人』『緋色の弾丸』『黒鉄の魚影』へと続く『黒の組織編劇場版』の作画スタイルの土台を作っている。
音楽と主題歌
音楽は大野克夫が担当した。大野克夫は『太陽にほえろ!』『傷だらけの天使』などのドラマ音楽で広く知られる作曲家で、テレビアニメ『名探偵コナン』のメインテーマから劇場版の劇伴まで、シリーズを長年支え続けてきた中心人物である。本作の劇伴は、北斗七星の暗号を解いていく場面の緊張、関西から合流する平次・和葉の場面の軽さ、東京タワーのクライマックスの硬さ——という性格の違う場面群を、ひとつの音楽的な弧として組み上げている。
主題歌はB'zの書き下ろし「revolve」。稲葉浩志と松本孝弘によるロックユニットB'zは、日本のロックバンドとして長く第一線で活動してきた代表的な存在で、劇場版『名探偵コナン』の主題歌を担当する作品の一つとして本作が並ぶ。本作の硬質なサスペンスの後味を、ロック・チューンの形式で一曲のなかにまとめ上げる楽曲であり、ラストの東京タワーの夜景と続くスタッフロールの全体を、力強く締めくくる役を担う。
キャストと声の演出
高山みなみのコナン、山口勝平の新一、山崎和佳奈の蘭、小山力也の小五郎——シリーズおなじみのレギュラー陣に加えて、本作では堀川りょうの服部平次、宮村優子の遠山和葉、堀之紀のジン、立木文彦のウォッカ、小山茉美のベルモットなど、シリーズの本筋色を支える声の中心が一挙に画面に揃う。
新キャラクター・アイリッシュの声を担当した田中秀幸は、長年にわたり実写・アニメの両分野で第一線の演技を積み重ねてきた声優で、本作のアイリッシュの低い声のレジスターと、組織員としての冷たさの中に滲む人間味の両方を、ひとりの人物の中に違和感なく繋いでいる。組織のスナイパー、キャンティとコルンを担当した佐藤夕美子と木下浩之も、劇場版で初登場する組織のスナイパーの像を、低めの落ち着いた声のなかに丁寧に組み立てた。沼淵己一郎を担当した石塚運昇の重い声は、本作の連続殺人の暴力の手触りを、観客の側に直接届ける役を担っている。
アクションとサスペンス演出
本作のアクションは、東京の街角での連続殺人現場の検証と、終盤の東京タワー一帯のクライマックスの二大山場に集約される。本作の終盤の東京タワーのシークエンスは、劇場版『名探偵コナン』の歴史のなかでも、アクションと推理の双方が最も濃密に組み合わさる時間帯のひとつである。
サスペンス演出の特徴は、組織側の動きと警視庁側の動きを並行して走らせながら、それをコナンの推理の進行と一致させていく構成の整え方にある。アイリッシュの単独行動、ジンの監視、キャンティ/コルンの招集、コナンの暗号解読、平次の合流、灰原哀の異変、目暮警部の身柄を借りた変装——本作は、これらの並行する複数の線を、観客の側で混乱させずに最後の一点へ集める手付きにこそ強みを持っている。
公開と興行
本作は2009年4月18日に日本で公開され、春興行の柱として大ヒットを記録した。国内興行収入はおよそ35億円に達し、劇場版『名探偵コナン』シリーズの安定した興行力をもう一段確かなものにした。前年の『戦慄の楽譜』に続く大型のヒットであり、シリーズが10作を超えてもなお毎春の興行で確実な観客動員を生む位置にあることを内外に示した一作となった。
公開時、本作の中心に据えられた『黒の組織が劇場版で全面に立つ』『新キャラクター・アイリッシュの存在』『北斗七星連続殺人の暗号』『東京タワーのクライマックス』は、いずれも劇場でのリピート鑑賞を強く促す材料となった。原作・テレビアニメで長年積み重ねられてきた『黒の組織編』を、劇場のスケールで真正面から扱うはじめての一作として、長年のファンほど何度も劇場に足を運ぶ傾向が見られた。
海外でも順次公開され、東アジアを中心に評価と興行を得た。劇場版『名探偵コナン』が長く積み上げてきた海外ファン層に対して、本作は『黒の組織編劇場版』の出発点として強く受容され、本作以降の『黒の組織編劇場版』の海外受容を準備する一本ともなった。
受賞・選定の場面でも本作は強く扱われ、アニメ関連の年度賞において、作品本編・主題歌の両面で言及されることが多かった。B'zの『revolve』は、本作公開以降も長く聴き継がれる代表曲のひとつとして、広く知られていく。
批評・評価・文化的影響
本作の評価軸は大きく三つに分かれる。ひとつは『劇場版『名探偵コナン』としての本筋色の強さ』、ひとつは『新キャラクター・アイリッシュの造形』、もうひとつは『コナンの正体が組織の目の前で揺れるという初めての構図』である。前者については、シリーズの長年の黒の組織編の積み重ねを劇場版のスケールで初めて真正面から扱った一本として評価が確定し、二つ目の軸では、警察学校組のある人物に酷似した容貌を持つという含みを抱えた一人の組織員の像が、シリーズの中でも特に強く記憶される一例となった。
三つ目の軸については、本作以後のシリーズで、コナンの正体と組織の距離の近さが繰り返し中心の題材として扱われていくことになる。『天空の難破船』『絶海の探偵』『純黒の悪夢』『ゼロの執行人』『緋色の弾丸』『黒鉄の魚影』——本作以降の『黒の組織編劇場版』のすべての出発点として、本作はそのリストの基準点として記憶され続ける。
本作で確立された『劇場版に黒の組織を全面に立たせる方法』は、その後のシリーズ全体の方針に対しても影響を与えている。後年の劇場版でも、特定の組織員を中心に据えながら、シリーズの本筋色の強い題材を真正面から扱う構成が繰り返し試みられるが、その基準のひとつとして本作の手付きは参照され続けている。
文化的影響としては、B'zの『revolve』が広く聴き継がれていること、本作以降『アイリッシュ』『北斗七星』『東京タワー』『キャンティ』『コルン』といったキーワードが、長年のファンだけでなく一般の観客にとっても劇場版『名探偵コナン』の重要な題材として記憶されるようになったことが大きい。
舞台裏とトリビア
本作は、劇場版『名探偵コナン』シリーズの第13作にあたる。シリーズが10作を超えてなお、毎春の興行で確実な観客動員を生む位置にあることを示した一本である。
本作は、山本泰一郎が劇場版の監督を務めた最後の一作にあたる。翌2010年の『天空の難破船』からは静野孔文が監督を引き継ぎ、シリーズの劇場版は新しい世代へと舵を切る。本作は、シリーズの劇場版の語り口の継承の節目に置かれた重要な作品である。
新キャラクター・アイリッシュの造形は、警察学校組のある人物に酷似した容貌を持つという含みを抱えた点で、本作以後のシリーズで繰り返し参照されることになる。本作の中で彼自身がその来歴をはっきり語る場面はなく、観客はその含みを抱えたまま本作の幕を見届ける構造になっている。
B'zの主題歌『revolve』は、本作の硬質なサスペンスの後味をロック・チューンの形式で締めくくる役を担う。B'zが劇場版『名探偵コナン』の主題歌を担当する作品の一つとして、本作はシリーズの音楽史の中で重要な一本に置かれている。
本作の興行収入が約35億円に達したことは、劇場版『名探偵コナン』が春興行のなかで毎年安定して大型のヒットを生み出すブランドとして完全に確立していることを、改めて裏付けた。本作以降、劇場版『名探偵コナン』はシリーズの興行記録を毎年のように更新し続ける位置に立つことになる。
テーマと解釈
本作の中心テーマは『追跡』である。コナンが連続殺人の犯人を追う一方で、アイリッシュがシェリーの居場所を追い、ジン・ウォッカがアイリッシュの動きを追い、コナンの正体を追う組織の影が物語の縦糸として走り続ける——本作の物語は、複数の『追跡』が同じ街のうえに重なる構造として組み上げられている。タイトルの『漆黒の追跡者(チェイサー)』は、その全体を最も直接に要約している。
もうひとつのテーマは『暗号と地理』である。被害者七人の名前の中の文字、それぞれの現場における小指の方角、地図のうえに延長された七本の線が一点に収束する地理——本作は、暗号と地理を一体のものとして組み立てた一本である。北斗七星という具体的な図形を物語の中心に据えるという選択は、劇場版『名探偵コナン』の暗号劇のひとつの到達点でもある。
そして本作のもう一つの大きなテーマは『正体』である。コナンが工藤新一であるという事実が、アイリッシュの目の前で物理的な距離まで接近する数分間は、シリーズの本筋色を劇場版のスケールで観客の側に手渡す瞬間として組まれている。本作以後のシリーズで、組織との距離の近さがどう描かれていくかを考えるうえでも、本作の終盤の数分間は基準点として記憶され続ける。
もうひとつ見逃せないのが『面影』というモチーフである。アイリッシュが警察学校組のある人物に酷似した容貌を持つこと、その含みが、本作のラスト数十秒間に静かに重なってくること——本作の人物造形は、ひとりの組織員の中に、長年シリーズで語られてきた別の人物の面影を一瞬だけ重ねるという、繊細な手付きで整えられている。
見る順番(補助)
劇場版『名探偵コナン』は基本的に一作完結だが、本作は『黒の組織編劇場版』の出発点となる一本である。初見で本作から入っても物語は追えるが、テレビアニメや原作で『黒の組織編』『灰原哀』『警察学校組』のいずれかを少しでも知っていると、アイリッシュの含みと、コナンの正体が組織の前で揺れる数分間の温度が、何倍にも沁みる。
おすすめは、シリーズ最初期の代表作『時計じかけの摩天楼』、灰原哀が劇場版で重要な位置を担う『天国へのカウントダウン』、黒の組織と公安・FBI・CIAの四勢力を真正面から扱う『純黒の悪夢』を踏まえてから本作を観る順番。前後作群と並べると、本作で『黒の組織を劇場版に全面に立たせる』という題材が劇場版シリーズの中でどのような位置に置かれているかが、より立体的に見えてくる。鑑賞後は、翌作『天空の難破船』へ進み、本作で開かれた『黒の組織編劇場版』の路線がどのように展開していくかを追うのも一つの楽しみである。
黒の組織と灰原哀の物語を中心に追いたい場合は、テレビアニメおよび原作の関連エピソード、本作、そしてシリーズの黒の組織関連の劇場版を並べると、シリーズが長年このテーマをどう描き重ねてきたかが見えてくる。本作はそのリストの中で、劇場版が初めて組織を物語の中心に据えた重要な節目である。
- 前作『名探偵コナン 戦慄の楽譜(フルスコア)』(劇場版第12作・2008)でクラシック音楽を中心に据えた一作
- 本作シリーズ第13作で黒の組織と警視庁の対決を中心に、コナンが正体露見の危機に追い込まれる物語を描いた一作
- 次作『名探偵コナン 天空の難破船(ロスト・シップ)』(劇場版第14作・2010)で怪盗キッドと巨大飛行船を真正面から扱う一作へ
よくある質問(補助)
「あらすじだけ知りたい」場合は、東京で発見される七人の連続殺人と、それぞれの小指が示す方角の上に成立する北斗七星の図形——その先にある一人の人物の居場所——を縦糸に、関西から合流する服部平次の動きと、組織の新顔アイリッシュの介入が三本目の縦糸として絡まり、最後に東京タワーのクライマックスへと収束していく、という流れを押さえれば十分である。「結末・ネタバレを知りたい」場合は、連続殺人の表向きの実行役が沼淵己一郎であり、彼を施設から連れ出して計画の中心に立たせた真の主犯が黒の組織の新顔アイリッシュであること、東京タワーのクライマックスでアイリッシュがコナンの正体に手を伸ばす一歩手前まで踏み込むが、組織のスナイパー・キャンティとコルンの長距離狙撃によって絶命し、コナンの正体は組織から守られたまま本作の幕が下りる、という結末が核となる。
「アイリッシュとは何者か」という問いには、黒の組織の新顔の幹部級で、シェリー(灰原哀/宮野志保)の現在の居場所を確定する任務を組織から託された人物である、と答える。彼は警察学校組のある人物に酷似した容貌を持つという含みを抱えているが、本作の中で彼自身がその来歴をはっきり語る場面はない。「動機」については、組織から託された任務の遂行を中心としつつ、最後の瞬間にコナンの正体を組織側に明け渡さない選択を取るという、彼自身の感情の延長線上の選択がもう一つの動機として描かれている。
「初見でも見られるか」という問いには、本作は単体で完結しているため初見でも問題なく楽しめる、と答えられる。ただし、『黒の組織編』『灰原哀』『警察学校組』のいずれかをテレビアニメや原作で少しでも知っていると、アイリッシュの含みと、コナンの正体が組織の前で揺れる数分間の温度が圧倒的に違ってくる。「見る順番」は、シリーズ最初期の代表作と灰原哀の劇場版、そして本作以後の『黒の組織編劇場版』とを並べて観るのがもっとも安定する。
「主題歌『revolve』は本作のために書き下ろされたのか」「アイリッシュは本作以降も登場するのか」「本作以後の『黒の組織編劇場版』はどう展開するのか」といった頻出の問いに対しては、それぞれ本記事の制作・舞台裏・見る順番の各章で詳述している。本作のもっとも重い問いは、むしろ『一人の組織員が任務の最後の瞬間に、組織と個人のどちらに体重を掛けるのか』であり、観客一人ひとりの答えが本作の最後のピースになる。
参考資料・脚注
作品名、画像、キャラクター名、各種権利はそれぞれの権利者に帰属する。公開年・興行・配信状況・外部評価は変動しうるため、視聴前に公式および各データベースの最新表示を確認されたい。本記事の本文は各種公開情報をもとに、Anna Movies用の独自の日本語文章として構成している。
参照・確認先
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