名探偵コナン 漆黒の追跡者は、2009年に公開された劇場版『名探偵コナン』シリーズ第13作のアニメ映画である。東京で相次いで発見される七人の被害者、その小指が示す方角の先にある謎を、コナンが追う。劇場版で初めて黒の組織が全面に立ち、組織の目前でコナンの正体が揺れる緊迫の一作として位置づけられる。
00概要
『名探偵コナン 漆黒の追跡者(チェイサー)』(めいたんていコナン しっこくのチェイサー)は、青山剛昌の漫画『名探偵コナン』を原作とした日本のアニメ映画である。2009年4月18日、東宝の配給で公開された。劇場版『名探偵コナン』シリーズの第13作にあたり、監督は山本泰一郎、脚本はシリーズの中心を長く担ってきた古内一成、音楽はテレビ・劇場版を通じてシリーズを支える大野克夫が手がけた。アニメーション制作はトムス・エンタテインメント。上映時間は約110分である。
本作は、テレビアニメと原作で長く積み上げられてきた『黒の組織編』を、劇場版で初めて真正面から扱った一本である。これまでの劇場版にも組織員が顔を出す瞬間はあった。だが、ジン、ウォッカ、ベルモットといった主要メンバーに加え、新顔のアイリッシュ、組織のスナイパーであるキャンティとコルンまでが、一本の劇場版のなかで揃って動くのは本作が事実上はじめての試みである。劇場版『名探偵コナン』が翌年以降に踏み込んでいく『黒の組織編劇場版』の路線——『天空の難破船』『絶海の探偵』『純黒の悪夢』『ゼロの執行人』『緋色の弾丸』『黒鉄の魚影』——その出発点は、すべて本作にある。
もう一つの縦糸が、東京で連続して発見される七人の被害者と、それらの小指が指し示す方角の上に成立する『北斗七星』の図形である。被害者それぞれの名前には、北斗七星を構成する七つの星——天枢、天璇、天璣、天権、玉衡、開陽、揺光——のいずれかに通じる文字が隠されている。その配列が示すのは、ある一人の人物の居場所だ。劇場版『名探偵コナン』のなかでも、本作はとくに『暗号と地理』を縦糸に据えた一本に仕上がっている。
そして最大の見せ場は、終盤、組織の新顔アイリッシュがコナンの『正体』に手を伸ばす一連の場面である。劇場版で『コナン=工藤新一』の事実が組織の目の前で揺れるのは、本作がはじめてだ。本記事は、結末、北斗七星連続殺人の真相、沼淵己一郎の脱走、アイリッシュの正体と動機、東京タワーのクライマックス、キャンティとコルンの狙撃、そしてコナンの正体が組織から守られる最後の瞬間まで、全編の内容に踏み込んでいく。物語の重大な驚きを保ちたいなら、まず本編を鑑賞してから戻ってきてほしい。
主要データ
- 原題
- 名探偵コナン 漆黒の追跡者(チェイサー)
- シリーズ
- 劇場版『名探偵コナン』第13作
- 監督
- 山本泰一郎
- 脚本
- 古内一成
- 音楽
- 大野克夫
- 主題歌
- B'z「revolve」
- 日本公開
- 2009年4月18日
- 上映時間
- 約110分
- 主舞台
- 東京(米花町、警視庁、東京タワー)、大阪
- ジャンル
- ミステリー、サスペンス、アクション
01あらすじ
以下は結末までを含む全編のあらすじである。東京で次々と発見される連続殺人の被害者は七人。その小指が指し示す方角を結ぶと、夜空の『北斗七星』を描く図形が浮かび上がり、その先には、ある一人の人物の居場所が隠されている——この謎を物語の太い縦糸とし、関西から合流する服部平次の動き、さらに組織の新顔アイリッシュの介入が三本目の糸となって絡み合う。やがて事件は、東京タワーで迎えるクライマックスへと一気に収束していく。
東京で発見される連続殺人
物語は、東京の街角で発見された殺人事件の通報から始まる。被害者は、ごく普通の市民として日々を送っていた一人の男性。現場の状況には、犯人が衝動的にその場で手を下したというより、計画的にこの場所、この時刻へと被害者を呼び寄せたうえで動いたとしか思えない緻密さがにじむ。そして決定的な特徴がひとつ——被害者の左の小指が、関節のところで切断され、現場から持ち去られているのだ。
捜査一課には、目暮十三警部を中心に佐藤美和子、高木渉、千葉刑事が顔をそろえ、毛利小五郎が私立探偵としてその縁から事件にかかわる形で、コナンも現場へ足を運ぶ。連続殺人の最初の一件としてはまだ全容の見えない段階だが、現場には数日後、数週間後に同じ手口で発見される他の被害者と通じ合う小さな印が残されていた。コナンは、その小さな印——被害者の名前にひそかに含まれる『ある文字』と、小指が指して落とされた方角——をすぐに視野に入れる。
そして同じ時期、東京の別の場所で、また別の被害者が同じ手口で発見される。さらにもう一件、もう一件。被害者は職業も年齢もばらばらだが、いずれも左の小指を切断され、その小指が指し示す方角は、現場ごとに少しずつ違う方向を向いている。コナンは、警視庁が把握している複数の事件を一枚の地図の上に並べ、やがてそこに浮かび上がる図形——北斗七星——を視界の中に掴む。
北斗七星の暗号
事件のもう一つの鍵は、被害者の名前そのものに隠されている。七人の被害者の姓名には、北斗七星を構成する七つの星——天枢(てんすう)、天璇(てんせん)、天璣(てんき)、天権(てんけん)、玉衡(ぎょっこう)、開陽(かいよう)、揺光(ようこう)——のいずれかを表す文字、あるいはそれを連想させる文字が、それぞれ忍ばせてある。コナンは名前のなかの文字を順に拾い上げ、七人を北斗七星の七つの星へと対応させていく。
そして決定的なのが、小指の指す方角だ。被害者から切り取られた小指は、それぞれの現場で特定の方角を指して残されていた。コナンは七人を地図のうえに北斗七星の配置どおりに置き、それぞれの小指が指す方角を一本ずつ線として延ばしていく。やがて線は地図のうえの一点へと収束する——東京の中心部のある場所、すなわち犯人が次に狙うであろう「八つ目の標的」が暮らしているはずの一点である。
観客には、コナンの推理の組み立てthat地図と七つの星と七本の方角線の重ね合わせとして、視覚的に手渡される。被害者の名前、現場の地理、そして小指の方角——この三層の情報を一つの図形に圧縮した本作の暗号は、シリーズの劇場版のなかでもとりわけ手応えのある仕上がりだ。
関西からの合流
時を同じくして、大阪では服部平次が、東京と同じ手口の事件を一件、独自に追っていた。被害者の小指が切断され、名前のなかには北斗七星に通じる文字が含まれている——大阪のこの事件こそ、東京で続く連続殺人の、七つの星のうちの一つにあたるものだった。平次はそれを自らの捜査で見抜き、東京へと飛ぶ。
東京で平次はコナンと並んで現場を踏み、二人で被害者七名の名前と方角線を一枚の地図の上に並べていく。関西での捜査で掴んだ手がかり——犯人の身体的特徴、現場周辺の目撃証言、被害者と犯人が接触した経緯——を平次が持ち込み、コナンはそれを東京側の捜査資料と突き合わせて、ようやく犯人像を一人の人物へと絞り込んでいく。平次の登場は、本作の捜査劇に関西側からのもう一つの視点を加える。
平次に同行するもう一人が、遠山和葉である。和葉は平次の捜査の同伴者であると同時に、自らが事件の小さな目撃者として、現場で重要な手がかりに気づく場面も任されている。コナン、蘭、平次、和葉の四人が同じ画面に揃う場面の温度感は、本作のサスペンスの張りつめた硬さを和らげる役割も果たしている。
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沼淵己一郎
捜査の過程で、警視庁の資料の中から過去のある事件が浮かび上がる。およそ七年前、本作と酷似した手口——左の小指を切断し、現場から持ち去る——で連続殺人を犯したとして逮捕された男がいた。沼淵己一郎(ぬまぶち こいちろう)。逮捕後の精神鑑定の結果、責任能力の判定が問題となり、精神医療の施設に収容されていた人物である。
本作の事件が発覚する少し前、その沼淵が施設から脱走したという情報が警視庁に届く。七年前と現在、二つの事件の手口が一致する点を踏まえ、コナンと平次は現在の犯人と沼淵のつながりを疑い始める。捜査が進むにつれ、現場周辺の目撃証言の中に沼淵らしき長身の男の姿が浮かび上がる。本作の連続殺人を実際に手にかけているのは、沼淵己一郎その人である可能性が極めて高い——そんな像が次第に立ち上がってくる。
ただし、本作の構造は「沼淵の単独犯」だけでは閉じない。彼を施設の外へ連れ出した者が別にいて、本作の連続殺人の道具として沼淵を操っている——その疑いが、コナンの中で次第に確信へと変わっていく。事件の真の主犯は、沼淵己一郎の背後に立つ、もう一人の人物なのである。
アイリッシュ
本作で初めて登場する黒の組織の新顔が、長身に黒のスーツをまとった男・アイリッシュである。組織のなかでは比較的新しい立場に身を置きながら、ジン、ウォッカと並んでも引けを取らない実力を備え、独自の判断で動く強い意志をあわせ持つ。今回彼に課せられた任務は、組織が長年の懸念の中心に据えてきた『シェリー』——すなわち灰原哀/宮野志保——の現在の居場所を突き止めることにある。
アイリッシュは、本作の連続殺人と並行する形で、東京の各所で独自の動きを見せる。沼淵己一郎を施設から連れ出し、北斗七星の構図に従って七人の連続殺人の実行役に仕立てたのも、アイリッシュ自身だ。七つの方角線が収束する一点に、彼はシェリーの居場所が浮かび上がると睨む。本作の連続殺人そのものが、シェリーをあぶり出すための巨大な『地図』として組み立てられているのである。
もう一つ、本作のアイリッシュ像を支えるのが、その容姿と来歴のある側面だ。彼は、かつて警察組織に在籍していた人物——長年シリーズで描かれてきた『警察学校組』に属するある男性に、酷似した容貌を持つ。劇場版の物語のなかで、彼自身がその来歴をはっきり語ることはない。観客は彼の佇まいのうちに、シリーズの本筋で語られてきた過去の人物の影を、ふと重ねて見ることになる。
ジンとウォッカ
本作で描かれる黒の組織側の構図は、単独で暴走するアイリッシュと、それを監視するジン、ウォッカ、ベルモットの疑念のうえに成り立っている。アイリッシュは幹部級の人物だが、その動きが組織の利害をはみ出しているのではないか——ジンら古参の側は、早い段階からそう疑い始める。
ジンとウォッカは、アイリッシュの独自行動を遠くから見張り、必要とあればその場で処分することも辞さない。そのために組織が終盤に呼び寄せるのが、長距離からの狙撃を担うキャンティとコルンの二人だ。組織のスナイパー・チームが劇場版に登場するのは、本作がはじめてである。
ベルモットもまた、組織の一員として独自の位置に立つ。ジンともアイリッシュとも違う角度から、本作の事件の輪郭を見つめている。シリーズを通して彼女だけが知り続けてきた『コナンと灰原哀の正体』が、終盤の動きとどう交差するのか。その含みが、彼女の登場するすべての場面に重く影を落としている。
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灰原哀の異変
並行して、阿笠博士の家を拠点に過ごす灰原哀の側にも、本作のサスペンスを貫く太い縦糸が走る。組織の一員でありながら組織から逃げ続ける彼女は、追跡の手が自分に及び始めたとき、その気配を独特の体感として察知する——本作でもその性質を見せる。コナンが連続殺人の謎を解いていく数日のあいだ、彼女は自分の身に何かが迫っていることを、身体の奥で正確につかみ取っている。
彼女は阿笠博士の家を一時離れ、少年探偵団の歩美・元太・光彦とも距離を置こうと考える。だが、コナンと阿笠博士は彼女を引き留め、そのまま家で暮らし続けさせる道を選ぶ。組織のスナイパーや実働部隊に居場所を掴まれた瞬間、阿笠博士の家そのものが攻撃の標的になりかねない。その懸念を終始背負いながら、コナンは連続殺人の捜査を進めていく。
中盤、コナンは『七つの方角線が収束する地点』が阿笠博士の家——すなわち灰原哀の居場所——に極めて近い一帯であることに気づく。そして、本作の連続殺人がシェリーをあぶり出すための巨大な地図づくりにほかならないという全体像を、自分の中で組み立て直す。連続殺人の捜査と、阿笠博士の家を組織から守ること。ここから両者は、本作のただ一つの課題として同時に走り始める。
東京タワー
本作のクライマックスは、東京タワーへと収束していく。コナンは北斗七星の暗号が示す一点と、アイリッシュの動きをどう先回りするかを頭の中で組み立て、決着の舞台に東京タワーを選び取る。一方のアイリッシュもまた、コナンの動きと七つの方角線が交わる収束点を読み解いたうえで、自らの任務の最終局面を演じる場として東京タワーへと向かう。
東京タワーの内部、そして展望台周辺で、コナンとアイリッシュは、シリーズ全体を見渡しても屈指の、互いの距離が極端に近い数分間の対峙を繰り広げる。アイリッシュは目暮警部の姿を借りるなど、巧みな変装と立ち回りで自分の側の任務を進めようとし、コナンは少年探偵団や蘭、現場に居合わせた客たちの安全を一身に背負いながら、それをひとつずつ食い止めにかかる。本作の東京タワー一帯のシークエンスは、劇場版『名探偵コナン』の歴史のなかでも、アクションと推理が最も濃密に絡み合う時間帯のひとつだ。
そしてこの対峙のさなか、アイリッシュはコナンの正体——縮んだ姿の工藤新一であるという事実——へと、あと一歩のところまで踏み込んでくる。コナンが現場で何気なく落とした小さな証拠——指紋の付いた一枚のコインや小物——を、アイリッシュは自らの手に拾い上げ、そこから「コナン=新一」を確定する寸前の地点にまで到達する。劇場版において、組織の人間の目の前で、これほど物理的な距離までコナンの正体が迫られるのは、本作がはじめてのことだ。
アイリッシュの最後
アイリッシュの単独行動がついに組織の利害を逸脱したと判断したジンは、組織のスナイパー・チームであるキャンティとコルンに、アイリッシュの処分を命じる。二人は東京タワー周辺の高所からアイリッシュを長距離で捕捉し、正確に狙撃する。終盤、アイリッシュの身体に組織の放った弾丸が突き立つ。
致命傷を負ったアイリッシュは、コナンの正体を確定する一歩手前で、手の中の小さな証拠に最後の意思を働かせる。自らの手で証拠を握り潰し、あるいは指紋を消す動きを取り、コナンの正体を組織に明け渡さない選択をしたうえで、地上へと崩れ落ちていく。最後にアイリッシュがコナンへ向ける短い視線と、彼が口にする一言は、本作でもっとも記憶される瞬間のひとつだ。
組織から離れた地点で死を選んだアイリッシュ。その背景には、警察学校組のある人物に酷似した容貌を持つ彼が、コナンの中に何を見たのかという、本作では完全には明かされない含みが残されている。本作以後のシリーズで警察学校組と組織の関係が繰り返し描かれていくなかで、アイリッシュの最後のあの一秒は、長年のシリーズを通じて何度も振り返られる短いシーンとして記憶されていくことになる。
決着
アイリッシュの死とほぼ同じ頃、本作で北斗七星連続殺人の実行役を担った沼淵己一郎の身柄も、警視庁によって確保される。沼淵は、アイリッシュに施設から連れ出され、七人の被害者を自らの手にかける役を負わされた人物である。その彼が、再び警察の手の内へと戻ることになる。捜査一課の目暮警部、白鳥任三郎、佐藤美和子、高木渉、千葉刑事は、それぞれの立場から、この連続殺人の表向きの幕引きを担っていく。
コナンの正体は、アイリッシュの最後の一手によって、組織の手に渡らぬまま守られる。ジン、ウォッカ、ベルモット、キャンティ、コルンには、アイリッシュが何を掴みかけていたのかは伝わらない。本作以後のシリーズで、コナンが『工藤新一として組織に狙われる』状況は、ここで一段階手前へと押し戻された地点から、再び動き出していくことになる。
本作の最後の数分間、コナンは蘭、小五郎、阿笠博士、灰原哀、少年探偵団、服部平次、遠山和葉のもとへ戻り、東京タワーを背景にした静かな夜の街角へと帰っていく。表向きは『連続殺人事件の解決』として処理された出来事の裏側で、アイリッシュという一人の組織員が下した選択と、コナンの正体が組織の目前で揺れたという事実だけが、観客の側に残される。本作の幕は、その含みを抱えたまま、B'zの主題歌『revolve』のロック・チューンへと繋がっていく。
登場要素
本作に登場・言及される主な要素を、劇場版『名探偵コナン』の標準的な分類に沿って整理する。固有名詞は鑑賞の手がかりにすぎず、初見ですべてを暗記する必要はない。
- 江戸川コナン/工藤新一
- 毛利蘭
- 毛利小五郎
- 阿笠博士
- 灰原哀
- 少年探偵団(吉田歩美・小嶋元太・円谷光彦)
- 服部平次
- 遠山和葉
- 鈴木園子
- 目暮十三警部
- 白鳥任三郎
- 佐藤美和子
- 高木渉
- 千葉刑事
- アイリッシュ(黒の組織の新顔の幹部級、本作のもう一人の主役)
- 沼淵己一郎(北斗七星連続殺人の実行役、過去の連続殺人で精神医療施設に収容されていた男)
- ジン(黒の組織の最古参の幹部級)
- ウォッカ(ジンの相棒)
- ベルモット(変装に長けた組織の女幹部)
- キャンティ(黒の組織のスナイパー)
- コルン(黒の組織のスナイパー)
- 七人の被害者(名前に北斗七星の文字を含む市民)
- 捜査一課の関係者と現場の関係者多数
- 事件の主犯:黒の組織の新顔アイリッシュ。シェリー(灰原哀/宮野志保)の現在の居場所を確定するため、被害者の名前と小指の方角を北斗七星の図形に重ね合わせる連続殺人を計画
- 実行役:沼淵己一郎。過去に同種の連続殺人で精神医療施設に収容されていた男を、アイリッシュが施設から連れ出して本作の連続殺人の道具として使用
- 東京タワーの最終局面:アイリッシュがコナンの正体に手を伸ばす一歩手前まで踏み込むが、組織側のジンの判断によりキャンティとコルンが彼を長距離から狙撃
- アイリッシュの最後の選択:致命傷を負ったあと、コナンの正体を確定する小さな証拠を自分の手で処理し、組織にコナンの正体を明け渡さない選択を取って絶命
- 結果:北斗七星連続殺人は表向き解決、コナンの正体は組織から守られたまま本作の幕が下りる
- 東京の街角(連続殺人の各現場)
- 警視庁および捜査一課(事件捜査の中心)
- 毛利探偵事務所と米花町の街角(小五郎・蘭・コナンの日常)
- 阿笠博士の家(灰原哀の居場所、本作の地理的な収束点に近い一帯)
- 大阪(服部平次の生活圏、関西側の事件の現場)
- 東京タワー(クライマックスの集中点)
- 黒の組織の通信・行動拠点(複数の屋外と屋内)
- 北斗七星の図形と七つの星の漢字(天枢・天璇・天璣・天権・玉衡・開陽・揺光)
- 被害者の左の小指の切断と現場における方角の指示
- 七人の被害者の名前に隠された星の文字
- アイリッシュの変装術(目暮警部の姿などを巧みに借りる)
- コナンが現場で何気なく落とした指紋付きの小さな証拠(コイン・小物)
- 阿笠博士発明のキック力増強シューズ、蝶ネクタイ型変声機、腕時計型麻酔銃、伸縮サスペンダー、犯人追跡メガネ、ターボエンジン付きスケートボード
- キャンティとコルンの長距離狙撃ライフル
- 主題歌:B'z「revolve」(書き下ろし)
- コナン:高山みなみ
- 工藤新一:山口勝平
- 毛利蘭:山崎和佳奈
- 毛利小五郎:小山力也
- 阿笠博士:緒方賢一
- 灰原哀:林原めぐみ
- 吉田歩美:岩居由希子
- 小嶋元太:高木渉
- 円谷光彦:大谷育江
- 服部平次:堀川りょう
- 遠山和葉:宮村優子
- ジン:堀之紀
- ウォッカ:立木文彦
- ベルモット:小山茉美
- アイリッシュ:田中秀幸
- キャンティ:佐藤夕美子
- コルン:木下浩之
- 沼淵己一郎:石塚運昇
- 目暮十三警部:茶風林
- 白鳥任三郎:井上和彦
- 佐藤美和子:湯屋敦子
- 高木渉:高木渉
- 千葉刑事:千葉一伸
- 鈴木園子:松井菜桜子
13主要登場人物
本作は、シリーズおなじみのレギュラー陣に加え、黒の組織のメンバーが劇場版ではかつてないほど一挙に顔をそろえる。コナン、蘭、小五郎、阿笠博士、灰原哀、少年探偵団、そして服部平次と遠山和葉。それぞれの持ち場で連続殺人の捜査と組織の動きの双方に関わっていく。一方、ジン、ウォッカ、ベルモット、アイリッシュ、キャンティ、コルンが組織側の布陣を固め、両者の構図がせめぎ合う。
江戸川コナン/工藤新一
本作のコナンは、北斗七星連続殺人の暗号解読と、灰原哀の居場所を組織から守ること、二つの課題を同時に背負って物語を進めていく。彼自身、かつて黒の組織に毒薬APTX4869を飲まされ、身体を縮められた被害者でもある。それだけに組織側の動き、とりわけアイリッシュの存在は、彼の判断のすべてに重い圧力をかけ続けるのだ。
彼の見せ場は、推理とアクションの両面に均等に置かれている。被害者七人の名前に含まれる文字と小指の指す方角を一枚の地図のうえで北斗七星の図形に重ねていく推理の組み立て、そして東京タワー一帯で繰り広げられる立ち回り——その双方だ。キック力増強シューズでの移動、サッカーボールの精密な蹴り出し、蝶ネクタイ型変声機による状況のコントロール。コナンがこれほど多彩なガジェットを丁寧に使い分ける一本は、劇場版シリーズの中でも珍しい。
高山みなみのコナン、そして山口勝平の工藤新一の声は、本作でも長年の蓄積を踏まえた安定の演技を見せる。すべてを言葉にしないキャラクターだからこそ、ラスト、アイリッシュが地上へ崩れ落ちていく数秒間の重さを、彼は観客のために黙って引き受ける。その役割を担っているのだ。
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服部平次/遠山和葉
西の高校生探偵・服部平次は、本作で関西から東京の事件へと合流する。大阪で同種の連続殺人を独自に追っていた平次は、その捜査でつかんだ手掛かりを携えて上京し、コナンと肩を並べながら、七人の被害者の名前と方角線を一枚の地図のうえに並べていく。二人が並び立つ場面の多さが、本作の捜査劇の温度を一段と押し上げている。
遠山和葉は、平次の捜査に同行する相棒であると同時に、現場のささやかな手掛かりにいち早く気づく目撃者でもある。和葉自身が危険な現場に身を置く場面もあり、平次が彼女を守ろうと動き出すわずか数秒は、シリーズおなじみのファンへのもうひとつの贈り物として組み込まれている。
堀川りょうの平次、宮村優子の和葉。その声は本作でも、シリーズおなじみの軽妙さと深さを併せ持つ。のちの劇場版『業火の向日葵』『から紅の恋歌』へとつながっていく平次と和葉の物語のうえで、本作の二人の登場は、関西組のレギュラーが劇場版で担うべき役割の輪郭を、あらためて確かめる一本にもなっている。
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アイリッシュ
本作の事実上のもう一人の主役だ。黒の組織に新たに登場する幹部級の長身の男で、シェリー(灰原哀/宮野志保)の現在の居場所を突き止める任務を組織から託されている。沼淵己一郎を施設から連れ出し、本作で起こる七件の連続殺人を北斗七星の図形になぞらえて計画した中心人物である。
彼の人物像を支えるのは、警察学校組のある男性とよく似た容貌と、組織のなかで独自の判断に従って動く強い意志である。劇場版のなかで彼自身が来歴をはっきり語る場面はなく、観客はその佇まいに、シリーズ本編で長年語られてきた過去の人物の影をふと重ねて見ることになる。東京タワー周辺で見せる立ち回り、そして致命傷を負ってからの最後の選択が、本作のクライマックスの感情の中心を引き受けている。
声を担当する田中秀幸は、長年にわたり実写・アニメの両分野で第一線の演技を積み重ねてきた声優である。本作のアイリッシュが見せる低い声のレジスターと、組織員としての冷たさのなかに滲む人間味を、ひとりの人物のなかで違和感なく繋いでみせた。本作のアイリッシュは、シリーズの劇場版ゲストキャラクターのなかでも、長く語り継がれる一人となった。
ジン・ウォッカ・ベルモット
黒の組織の中心メンバーが、劇場版でそろって画面に立つ。ジンは組織の最古参に近い幹部級として、本作でも組織側の判断の中心に立ち続ける。その相棒であるウォッカは、現場での実行役を担う。変装に長けた女幹部ベルモットは、ジンともアイリッシュとも違う角度から、本作の事件の輪郭を見つめる位置に立つ。
ジンとウォッカの関係は、本作でもシリーズが長年積み上げてきたものをそのまま受け継いでいる。ジンの冷徹な判断、ウォッカの実直な実行、そしてアイリッシュの単独行動を遠くから見張りつつ、必要とあれば組織の側からその場で処分することも辞さない――この二人の役回りは、シリーズの本筋を劇場版へと持ち込む重要な軸として機能している。
ベルモットは本作でも、『コナンと灰原哀の正体』を知る数少ない人物として、ジンともアイリッシュとも違う独自の距離から全体を眺めている。その佇まいに走る含みは、本作以後のシリーズ全体で繰り返し回収されていく。注目したい人物だ。
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キャンティ・コルン
黒の組織のスナイパー・チーム。二人が揃って劇場版に登場するのは、本作が事実上のはじめてである。シリーズの本筋で長年積み上げられてきた組織のスナイパー像を、劇場版のスケールで真正面から扱う初の試みでもある。本作で二人が請け負うのは、組織の側から見たアイリッシュの『処分』。東京タワー一帯の高所から、長距離狙撃でその任務を果たす。
二人の射撃シーンは、本作のクライマックスの数分間を物理的に支える鋭利なアクションとして組まれている。佐藤夕美子演じるキャンティ、木下浩之演じるコルンの声は、組織のスナイパーとしての冷静さと、長年シリーズで描かれてきた組織員特有の温度感の両方を、低めのレジスターのなかに丁寧に重ねていく。
灰原哀/宮野志保
元黒の組織の科学者・宮野志保。APTX4869の開発に関わった人物である。組織から逃げ続けながら、阿笠博士の家で「灰原哀」として日々を送っている。本作の北斗七星連続殺人で、七つの方角線が収束する地点——それは阿笠博士の家、すなわち彼女の居場所——に極めて近い一帯だ。組織の手が自分の上に確実に伸び始めている。彼女はその気配を独特の体感としてとらえたまま、物語を進めていく。
彼女は一度、阿笠博士の家を離れることまで考える。だがコナンと阿笠博士に引き留められ、そのまま家での生活を続ける道を選ぶ。クライマックスでは、彼女の居場所をめぐる組織側の動きが、東京タワー一帯の決着と並行して走り続ける。林原めぐみの演技は、組織の科学者としての冷静さと、子どもとして仲間に向ける小さな表情の揺らぎを、同じ一人の人物の中に違和感なく重ねてみせる。
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目暮警部・佐藤美和子・高木渉・白鳥任三…
本作の連続殺人捜査を担うのは、警視庁捜査一課の常連たちである。目暮十三警部、佐藤美和子、高木渉、白鳥任三郎、千葉刑事——いずれもシリーズおなじみの顔ぶれであり、その耳に馴染んだ声が、捜査会議に現場検証、聞き込みと、刻まれていく捜査のリズムを支える。表向きの事件の枠組みは、こうして手堅く組み上げられていく。アイリッシュが本作のなかで“目暮警部の姿”を借りる場面の意外性も、彼らが普段から積み重ねてきた確かな存在感があってこそ生きてくる。
茶風林、湯屋敦子、高木渉、井上和彦、千葉一伸——長年シリーズを支えてきたキャストの声が、本作でも事件の表向きの輪郭をかたちづくる。観客が安心して身をゆだねられる温度のなかで、物語の土台はしっかりとまとめ上げられている。
舞台と用語
物語の主な舞台となるのは、東京の街並みと警視庁捜査一課、毛利探偵事務所、阿笠博士の家、そしてクライマックスの東京タワーだ。途中には、関西で同種の事件を追う服部平次の拠点として大阪も織り込まれ、コナン、蘭、平次、和葉の四人が東京と大阪を行き来する場面が続く。東京タワーは、連続殺人の暗号が収束する地点としての象徴性と、夜景の中でそびえる物理的なスケールを併せ持つ舞台として選ばれている。
用語の面では、「黒の組織」「シェリー」「APTX4869」、そして組織のコードネーム(ジン、ウォッカ、ベルモット、アイリッシュ、キャンティ、コルンといった酒の名)、さらに「北斗七星」「警視庁捜査一課」が物語の鍵を握る。これらの用語は、原作やテレビアニメ本編で長く親しまれてきた『黒の組織編』の語群を、初見の観客にも無理なく呑み込めるよう、順を追って提示していく作りになっている。
22制作
劇場版『名探偵コナン』シリーズは、1997年の『時計じかけの摩天楼』に幕を開けて以来、毎年一本のペースで春の劇場を彩る恒例企画として定着してきた。本作はその第13作にあたる。原作やテレビアニメ本編で長年にわたり描かれてきた『黒の組織編』を、劇場版で初めて真正面から扱った一作であり、シリーズにとって大きな節目となった。
企画と脚本
脚本を手がけたのは古内一成。劇場版『名探偵コナン』シリーズで長年中心を担ってきた書き手であり、第1作『時計じかけの摩天楼』から続く語り口の核を支えてきた人物だ。本作の脚本は、シリーズ本筋の色合いを劇場版のスケールに収めつつ、初めて触れる観客にも物語が成立するよう、暗号と動機の組み立てに丁寧な工夫を凝らしている。
原作者の青山剛昌は、劇場版『名探偵コナン』の各作で監修・キャラクター原案として深く関わってきた。本作で多くの時間が割かれたのは、原作やテレビアニメ本編で長く積み上げてきた黒の組織編のキャラクターたちを、劇場版のスケールに耐える構図へと並べ直す作業だ。新キャラクターであるアイリッシュの造形、そして彼が警察学校組のある人物に酷似した容貌を持つという設定は、本作の脚本の核として早い段階で固められた。
一作完結でありながら本筋に通じる温度を宿す——劇場版シリーズが長年掲げてきたこのバランスを、本作はもう一段階だけ前へ進めている。冒頭の連続殺人の発見から、ラストの東京タワーのクライマックスまで、その構成は終始、黒の組織との距離の近さと、コナンの正体の揺れ、その双方の上に置かれている。
監督と演出
監督は山本泰一郎。テレビアニメ『名探偵コナン』のシリーズディレクターを長年務め、劇場版でも本作を含む複数の作品でメガホンを取ってきた。本作での演出が際立つのは、東京の街角と東京タワーという、スケールの異なるふたつの空間を連続して描きながら、その移り変わりを観客の視界の中で違和感なく繋いでみせる手付きだ。
もうひとつの演出上の特徴は、暗号と地理を視覚的に提示する丁寧さにある。被害者七人の名前に潜む文字、それぞれの現場で小指が指し示す方角、地図の上に延長された七本の線——こうした情報を、長々とした台詞ではなく、地図と図形を重ね合わせる映像表現によって観客の側へと整理して手渡していく。シリーズの劇場版の中でも、暗号を画面で見せるという方向に最も大きく振り切った一本といえる。
翌2010年の『天空の難破船』からは静野孔文が監督を引き継ぎ、シリーズの劇場版は新たな世代へと舵を切っていく。本作は、山本泰一郎が劇場版の指揮を執った最後の一作であり、シリーズの語り口を次代へと受け渡す節目に位置する重要な作品でもある。
アニメーション制作
アニメーション制作はトムス・エンタテインメント。テレビシリーズと作画スタッフを共有しつつ、劇場版に向けて密度を高めた仕上がりが光る。最大の見せどころは、東京の街角で起こる連続殺人現場の作画と、終盤、東京タワー一帯で繰り広げられるクライマックスの作画だ。とりわけ東京タワーの内部、展望台周辺、さらには周辺地区を高所から見下ろす俯瞰など、本作終盤の作画は、シリーズのなかでも屈指の密度を誇る一連の場面である。
アイリッシュの長身のシルエットと、ジン、ウォッカ、ベルモット、キャンティ、コルンら黒のスーツの群像が同じ画面に並び立つ場面の作画も、本作の見どころのひとつだ。組織員の動きを劇場版のスケールで丁寧に積み上げていく方向で整えられた作画は、のちの『天空の難破船』『絶海の探偵』『純黒の悪夢』『ゼロの執行人』『緋色の弾丸』『黒鉄の魚影』へと連なる「黒の組織編劇場版」の作画スタイルの土台を築いている。
音楽と主題歌
音楽を手がけたのは大野克夫。『太陽にほえろ!』『傷だらけの天使』などのドラマ音楽で広く知られる作曲家であり、テレビアニメ『名探偵コナン』のメインテーマから劇場版の劇伴まで、長年シリーズを支え続けてきた中心人物である。本作の劇伴は、北斗七星の暗号を解いていく場面の緊張、関西から合流する平次・和葉の場面の軽やかさ、そして東京タワーのクライマックスの硬質さ——性格の異なる場面の数々を、ひとつの音楽的な弧として組み上げている。
主題歌はB'zの書き下ろし「revolve」。稲葉浩志と松本孝弘によるロックユニットB'zは、日本のロックバンドとして長く第一線を走り続けてきた代表的な存在であり、本作もまた劇場版『名探偵コナン』の主題歌を担う一作として名を連ねる。硬質なサスペンスの後味を一曲のロック・チューンへとまとめ上げる楽曲で、ラストの東京タワーの夜景から続くスタッフロールまでを、力強く締めくくる役を担っている。
キャストと声の演出
高山みなみのコナン、山口勝平の新一、山崎和佳奈の蘭、小山力也の小五郎——シリーズおなじみのレギュラー陣に加え、本作では堀川りょうの服部平次、宮村優子の遠山和葉、堀之紀のジン、立木文彦のウォッカ、小山茉美のベルモットと、シリーズの本筋を支える声がいちどに画面へ揃う。
新キャラクター・アイリッシュを演じた田中秀幸は、実写とアニメの両分野で長く第一線に立ってきた声優である。アイリッシュの低い声域と、組織員らしい冷たさのなかに滲む人間味。その両方を、ひとりの人物のなかに違和感なく繋いでみせた。組織のスナイパー、キャンティとコルンを演じた佐藤夕美子と木下浩之も、劇場版で初登場する狙撃手の姿を、低く落ち着いた声のなかに丁寧に立ち上げている。そして沼淵己一郎を演じた石塚運昇の重い声は、連続殺人の暴力の手触りを観客へ直接届ける役割を担う。
アクションとサスペンス演出
本作のアクションは、東京の街角で起きる連続殺人現場の検証と、終盤の東京タワー一帯で繰り広げられるクライマックスという二大山場に集約される。終盤の東京タワーのシークエンスは、劇場版『名探偵コナン』の歴史を振り返っても、アクションと推理の双方が最も濃密に絡み合う時間帯のひとつといえる。
サスペンス演出の妙は、組織側の動きと警視庁側の動きを並行して走らせ、それをコナンの推理の進行と一致させていく構成の整え方にある。アイリッシュの単独行動、ジンの監視、キャンティとコルンの招集、コナンの暗号解読、平次の合流、灰原哀の異変、そして目暮警部の身柄を借りた変装——並行して走るこれらいくつもの線を、観客を混乱させることなく最後の一点へと収束させる手付きにこそ、本作の強みがある。
29公開と興行
本作は2009年4月18日に日本で公開され、春興行の柱として大ヒットを記録した。国内興行収入はおよそ35億円。劇場版『名探偵コナン』シリーズが持つ安定した興行力を、さらにもう一段確かなものにした。前年の『戦慄の楽譜』に続く大型ヒットであり、シリーズが10作を超えてもなお、毎春の興行で確実に観客を動員する位置にあることを内外に示した一作である。
公開時、本作の中心に据えられた要素は数多い。劇場版で『黒の組織』が全面に立つこと、新キャラクター・アイリッシュの存在、北斗七星連続殺人の暗号、そして東京タワーのクライマックス。いずれも劇場での再鑑賞を強く促す材料となった。原作・テレビアニメで長年積み重ねられてきた『黒の組織編』を、劇場のスケールで真正面から扱うはじめての一作であり、長年のファンほど何度も劇場に足を運ぶ傾向が見られた。
海外でも順次公開され、東アジアを中心に評価と興行を得た。劇場版『名探偵コナン』が長く積み上げてきた海外ファン層に、本作は『黒の組織編劇場版』の出発点として強く受け入れられた。以降の『黒の組織編劇場版』が海外で受容されていく、その土台を準備した一本でもある。
受賞・選定の場でも本作の存在感は大きく、アニメ関連の年度賞では作品本編と主題歌の両面で言及されることが多かった。なかでもB'zの『revolve』は、公開以降も長く聴き継がれる代表曲のひとつとして、広く知られていく。
30批評・評価・文化的影響
本作の評価軸は大きく三つに分けられる。ひとつは劇場版『名探偵コナン』としての本筋色の強さ、ひとつは新キャラクター・アイリッシュの造形、そしてもうひとつはコナンの正体が組織の目の前で揺れるという初めての構図である。第一の軸については、シリーズが長年積み重ねてきた黒の組織編を、劇場版のスケールで初めて真正面から扱った一本として評価が定まった。第二の軸では、警察学校組のある人物に酷似した容貌という含みを抱えた一人の組織員の像が、シリーズのなかでも特に強く記憶に残る一例となっている。
第三の軸は、本作以後のシリーズへと受け継がれていく。コナンの正体と組織の距離の近さが、繰り返し物語の中心に据えられていくのだ。『天空の難破船』『絶海の探偵』『純黒の悪夢』『ゼロの執行人』『緋色の弾丸』『黒鉄の魚影』——本作以降の黒の組織編劇場版すべての出発点として、本作はそのリストの基準点であり続けている。
本作が確立した、劇場版に黒の組織を全面に押し出すという手法は、その後のシリーズ全体の方針にも影響を及ぼした。後年の劇場版でも、特定の組織員を中心に据えつつ、シリーズの本筋色の強い題材を真正面から扱う構成が幾度も試みられている。その基準のひとつとして、本作の手付きはいまなお参照され続けているのだ。
文化的な影響も大きい。B'zの『revolve』は今なお広く聴き継がれ、本作以降は『アイリッシュ』『北斗七星』『東京タワー』『キャンティ』『コルン』といったキーワードが、長年のファンのみならず一般の観客にとっても劇場版『名探偵コナン』の重要な題材として記憶されるようになった。
舞台裏とトリビア
本作は、劇場版『名探偵コナン』シリーズの第13作にあたる。10作を超えてなお、毎春の興行で確実に観客を動員する位置にあることを示した一本だ。
本作は、山本泰一郎が劇場版の監督を務めた最後の作品でもある。翌2010年の『天空の難破船』からは静野孔文が監督を引き継ぎ、シリーズの劇場版は新しい世代へと舵を切っていく。語り口の継承の節目に置かれた、重要な一本である。
新キャラクター・アイリッシュの造形は、警察学校組のある人物によく似た容貌という含みを抱えており、本作以後のシリーズで繰り返し参照されることになる。彼自身がその来歴をはっきり語る場面はなく、観客はその含みを抱えたまま幕切れを見届ける。
B'zの主題歌『revolve』は、硬質なサスペンスの後味をロック・チューンで締めくくる役を担う。B'zが劇場版『名探偵コナン』の主題歌を手がけた作品の一つとして、本作はシリーズの音楽史にも重要な位置を占めている。
興行収入が約35億円に達したことは、劇場版『名探偵コナン』が春興行で毎年安定して大型のヒットを生み出すブランドとして完全に定着したことを、改めて裏付けた。本作以降、シリーズは興行記録を毎年のように更新し続けていく。
32テーマと解釈
本作の中心テーマは「追跡」である。連続殺人の犯人を追うコナン、シェリーの居場所を追うアイリッシュ、そのアイリッシュの動きを追いながらコナンの正体に迫るジンとウォッカ——複数の「追跡」が同じ街の上に幾重にも重なり、それが物語の縦糸となって走り続ける。タイトルの『漆黒の追跡者(チェイサー)』は、この構造全体を最も端的に言い表している。
もうひとつのテーマは「暗号と地理」である。被害者七人の名前に含まれる文字、それぞれの現場で小指が指し示す方角、地図上に延ばした七本の線が一点へと収束する地理——本作は、暗号と地理を分かちがたく結びつけて組み上げた一本だ。北斗七星という具体的な図形を物語の中心に据えた選択は、劇場版『名探偵コナン』が積み重ねてきた暗号劇のひとつの到達点でもある。
そして本作のもう一つの大きなテーマが「正体」である。コナンが工藤新一であるという事実が、アイリッシュの目の前で物理的な距離にまで近づく数分間。ここはシリーズ本筋の緊張を劇場版のスケールで観客に手渡す、特別な瞬間として組まれている。本作以降のシリーズで組織との距離の近さがどう描かれていくかを考えるうえでも、終盤のこの数分間は基準点として記憶され続けるはずだ。
さらに見逃せないのが「面影」というモチーフである。アイリッシュが警察学校組のある人物に酷似した容貌を持つこと、その含みが、ラストのわずか数十秒に静かに重なってくる——本作の人物造形は、ひとりの組織員のなかに、長年シリーズで語られてきた別の人物の面影を一瞬だけ重ねてみせる、繊細な手付きで整えられている。
33見る順番
劇場版『名探偵コナン』は基本的に一作完結だが、本作は『黒の組織編劇場版』の出発点となる一本である。本作から観ても物語は十分に追えるものの、テレビアニメや原作で「黒の組織編」「灰原哀」「警察学校組」のいずれかに少しでも触れていれば、アイリッシュに込められた含み、そしてコナンの正体が組織を前にして揺れる数分間の緊張が、何倍にも深く沁みてくるはずだ。
おすすめしたいのは、シリーズ最初期の代表作『時計じかけの摩天楼』、灰原哀が劇場版で重要な役回りを担う『天国へのカウントダウン』、そして黒の組織と公安・FBI・CIAという四つの勢力を真正面から描く『純黒の悪夢』を押さえたうえで本作へと向かう順番である。前後の作品群と並べてみると、「黒の組織を劇場版の全面に立たせる」という本作の題材が、劇場版シリーズのなかでどのような位置を占めているのか、より立体的に浮かび上がってくる。鑑賞後は翌作『天空の難破船』へと進み、本作で切り開かれた「黒の組織編劇場版」の路線がどう展開していくのかを追うのも、一つの楽しみといえるだろう。
黒の組織と灰原哀の物語を軸に追いたいなら、テレビアニメと原作の関連エピソード、本作、そしてシリーズの黒の組織関連の劇場版を並べてみるとよい。シリーズが長年にわたってこのテーマをいかに描き重ねてきたかが見えてくる。本作はそのなかで、劇場版が初めて組織を物語の中心に据えた重要な節目に位置づけられる作品である。
34よくある質問
「あらすじだけ知りたい」という人は、次の流れを押さえれば十分だ。東京で七人が次々と殺され、それぞれの遺体の小指が指し示す方角を結ぶと、夜空の北斗七星が浮かび上がる。その先に隠されているのは、ある一人の人物の居場所だ。これを縦糸として、関西から合流する服部平次の動き、さらに組織の新顔アイリッシュの介入が三本目の縦糸として絡み合い、物語は東京タワーのクライマックスへと一気に収束していく。一方、「結末・ネタバレまで知りたい」という人のために核心を記す。連続殺人の表向きの実行役は沼淵己一郎。だが彼を施設から連れ出し、計画の中心に据えた真の主犯こそ、黒の組織の新顔アイリッシュである。東京タワーでのクライマックス、アイリッシュはコナンの正体に手を伸ばす一歩手前まで踏み込む。しかし組織のスナイパー、キャンティとコルンの長距離狙撃に倒れて絶命。コナンの正体は組織から守られたまま、本作は幕を下ろす。
「アイリッシュとは何者か」。その答えは、黒の組織の新顔であり幹部級の人物、そしてシェリー(灰原哀/宮野志保)の現在の居場所を突き止める任務を組織から託された男、ということになる。彼は警察学校組のある人物に酷似した容貌を持つが、その来歴を本人がはっきり語る場面は本作にはなく、含みだけが残される。動機の中心はあくまで組織から託された任務の遂行だ。だが最後の瞬間、コナンの正体を組織側に明け渡さないという選択を取る。これは彼自身の感情の延長線上にあるもう一つの動機として描かれている。
「初見でも楽しめるのか」。本作は単体で完結しているため、初めて観る人でも問題なく楽しめる。ただし『黒の組織編』『灰原哀』『警察学校組』のいずれかをテレビアニメや原作で少しでも知っていれば、アイリッシュの含み、そしてコナンの正体が組織の前で揺れる数分間の緊張感は、まるで違って迫ってくる。観る順番としては、シリーズ最初期の代表作と灰原哀が活躍する劇場版、さらに本作以後の『黒の組織編劇場版』を並べて観るのがもっとも安定した道筋だ。
「主題歌『revolve』は本作のために書き下ろされたのか」「アイリッシュは本作以降も登場するのか」「本作以後の『黒の組織編劇場版』はどう展開するのか」——こうした頻出の疑問については、本記事の制作・舞台裏・観る順番の各章でそれぞれ詳しく触れている。だが本作がもっとも重く投げかける問いは別にある。一人の組織員が、任務の最後の瞬間に組織と個人のどちらへ体重を掛けるのか。その答えを観客一人ひとりがどう受け取るか——それこそが本作の最後のピースとなる。
35参考資料・脚注
作品名、画像、キャラクター名、および各種権利は、それぞれの権利者に帰属する。公開年や興行成績、配信状況、外部からの評価は変動する場合があるため、視聴前に公式情報および各データベースの最新の表示を確認されたい。なお本記事の本文は、各種の公開情報をもとに、Anna Movies独自の日本語記事として構成したものである。