『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』は、2022年公開の劇場版『名探偵コナン』シリーズ第25作である。佐藤美和子と高木渉の結婚式の朝、ハロウィンに沸く渋谷で花嫁姿の女性が誘拐され、三年前の渋谷連続爆破事件の犯人プラーミャが再来する。降谷零ら警察学校組の友情と喪を軸に、新たな黒の組織のメンバー・ピンガが事件を束ねる。シリーズでも警察学校組を前面に据えた作品として位置づけられる。
00概要
『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』(めいたんていコナン ハロウィンのはなよめ)は、青山剛昌の漫画『名探偵コナン』を原作とする日本のアニメ映画である。2022年4月15日、東宝の配給で公開された。劇場版シリーズ第25作にあたる。監督は満仲勧。劇場版『名探偵コナン』を手がけるのは本作が初めてだ。脚本はシリーズに新たに加わった大倉崇裕、音楽は菅野祐悟が担当した。アニメーション制作はトムス・エンタテインメント。上映時間は約110分である。
本作は、劇場版『名探偵コナン』シリーズで初めて警察組織側の人物を真正面から描いた長編である。中心に据えられるのは、公安刑事・降谷零(安室透)と、その警察学校時代の同期である松田陣平、萩原研二、伊達航、諸伏景光(スコッチ)。物語の核には大胆な構成がある。原作・テレビアニメ本編で長く読み継がれてきた「警察学校編」と「公安編」、そして警視庁捜査一課の佐藤美和子と高木渉の結婚。互いに距離のあるこの三本の線が、やがて一つの場所で交差していく。
公開時の国内興行収入は、最終的に約97.8億円に達した。劇場版『名探偵コナン』シリーズの歴代2位を更新する大ヒットである。主題歌にはBUMP OF CHICKENが書き下ろした「クロノスタシス」が起用された。警察学校組の喪と、前に進もうとする覚悟を凝縮した一曲として、シリーズ屈指の存在感を放つ。映像と音楽が響き合い、本作はシリーズの中でも長く語り継がれる一本となった。
本記事は、結末、犯人、動機、ピンガと黒の組織の動き、ベルモットの介入、警察学校組の過去、そして晴海エリアでのクライマックスまで、全編の内容に踏み込む。物語の重要な驚きを保ちたいなら、まず本編を鑑賞してから戻ってきてほしい。
主要データ
- 原題
- 名探偵コナン ハロウィンの花嫁
- シリーズ
- 劇場版『名探偵コナン』第25作
- 監督
- 満仲勧
- 脚本
- 大倉崇裕
- 音楽
- 菅野祐悟
- 主題歌
- BUMP OF CHICKEN「クロノスタシス」
- 日本公開
- 2022年4月15日
- 上映時間
- 約110分
- 主舞台
- 東京(渋谷・警視庁・晴海エリアなど)
- ジャンル
- ミステリー、サスペンス、アクション、警察ドラマ
01あらすじ
ここから先は結末までを含む全編のあらすじである。物語は、警察学校時代の降谷零とその仲間たちの記憶から幕を開ける。やがて舞台は現在へと移り、渋谷で起きたハロウィンの花嫁誘拐事件へとつながっていく。警視庁捜査一課の佐藤と高木の結婚式、三年前の渋谷連続爆破事件を引き起こした犯人プラーミャの再来、そして警察学校組がかつて直面した事件の再燃。黒の組織の新メンバー・ピンガが暗躍し、さらにベルモットも介入する。物語は晴海エリアでのクライマックスへと向かい、すべての因縁に決着がつく。その流れを時系列で追っていきたい。
プロローグ
物語は、現在から十数年さかのぼった警察学校の風景で幕を開ける。同期として顔を合わせた五人の若者——降谷零、松田陣平、萩原研二、伊達航、諸伏景光(スコッチ)。教場で机を並べて課題に取り組み、訓練場の外周を走り、夜には安居酒屋で軽口を叩き合う。どこにでもある警察学校の日々だ。性格も来歴もまるで違う五人だが、教場でともに過ごす一年のうちに、いつしか互いを名前で呼び合うほど打ち解けていく。
プロローグは長くない。短く、それでいて鮮明に、五人の表情、声、立ち姿が観客の胸へ刻みつけられる。アニメ本編で長く描かれてきた『警察学校編』の空気を、初見の観客にも一瞬で伝える——オープニングはそんな導入として設計されている。五人のうち、今も第一線で勤務に就くのは公安刑事・降谷零ただ一人。その事実が静かに胸へ落ちたところで、画面は十数年後の渋谷へと切り替わる。
渋谷の街は、ハロウィンの夜を控えて色めき立っている。スクランブル交差点を行き交うコスチュームの人波、街路に掲げられたかぼちゃのランタン、商業ビルの大型ビジョンに流れるイベント情報。その喧騒のただ中に物語を据え、警察学校組の静かな過去と、今の東京の華やかなざわめきとを、冒頭の数分で鮮やかに対比させる。本作はそんな構図を取っている。
佐藤美和子と高木渉
物語の現在軸は、警視庁捜査一課の佐藤美和子と高木渉、二人の結婚式から動き出す。式場へ向かう朝、佐藤は花嫁衣裳に身を包み、高木は緊張に表情を硬くしている。白鳥任三郎、千葉和伸、目暮十三警部——捜査一課の同僚たちも式に駆けつけ、披露宴会場の警備とゲスト対応に追われていく。江戸川コナンと毛利蘭、毛利小五郎、阿笠博士、灰原哀、そして少年探偵団の面々も招かれ、会場は人いきれと祝福に包まれている。
ところが式の直前、控え室で事件が起きる。仮装した何者かが式場に忍び込み、高木渉に近づいて凶器を突きつけたのだ。混乱のさなか、ハロウィンの仮装に身を包んだ犯人はもみ合いの末に高木へ致命的な一撃を加えようとし、その場に居合わせた人物が身代わりとなって突き出される——事件は、こうして警視庁という組織のごく身近な場所から幕を開ける。新婦の佐藤美和子もまた、式場の混乱に乗じて犯人の手にかかりそうになるが、間一髪のところで救い出される。
事件は警視庁全体を大きく揺さぶる。佐藤と高木は捜査一課の中核を長く担ってきた二人であり、その結婚式を襲った凶行は、私的な祝いの場を引き裂いただけではない。警視庁にとっても象徴的な襲撃にほかならない。捜査一課と公安はそれぞれの流儀で犯人の影を追い、ハロウィンに沸く渋谷の街路には、警察組織の捜査線が幾重にも張り巡らされていく。
ハロウィン渋谷
式場での事件の余波が冷めやらぬうちに、別の事件が動き出す。ハロウィンの渋谷、スクランブル交差点のただ中で花嫁衣裳の女性が突然倒れ、群衆の目の前で何者かに連れ去られそうになる。たまたま蘭たちと渋谷を歩いていた江戸川コナンは、その異変にいち早く気づく。仮装の人波を縫って動く小さな影、そして街路の大型ビジョンを彩る派手な広告映像。両者が画面の上で交互に重なり、本作でもっとも視覚的に華やかな数分間を生み出す。
コナンが現場で見つけるのは、白いウエディングドレスをまとった見知らぬ女性と、ハロウィンの仮装に紛れた犯人の影だ。女性は警察学校時代のある人物と深く繋がる関係者だと、のちに明かされる。犯人は群衆を盾に逃げを図り、コナンはキック力増強シューズとサッカーボールでその前進を阻む。スクランブル交差点の信号、街路樹、人混み、商業ビジョンの光——本作の渋谷描写は、作画密度がシリーズ全体でも飛び抜けて高い。観客は劇場のスクリーンのなかで、まさに「今の東京」へ放り込まれる感覚を味わうことになる。
現場に駆けつけるのは、公安刑事・降谷零、私服での名は安室透である。彼が姿を現した瞬間、本作はシリーズの大きな線を一気に呼び込む。警察学校編、『ゼロの執行人』で示された公安の論理、そしてベルモットや黒の組織の影。降谷は群衆に紛れた犯人を冷静に見定めるが、ハロウィンの渋谷という状況のなかで、決定的な逮捕には踏み切れない。本作の犯人が単なる暴漢ではなく、もっと深い場所から立ち上がってきた影であること——観客はここでそれを察し始める。
プラーミャ
事件の核心にいるのは、三年前の渋谷連続爆破事件の犯人「プラーミャ」である。プラーミャとはロシア語で『炎』を意味する通り名で、当時、渋谷を中心に複数の爆破を引き起こし、警視庁を翻弄した連続爆弾犯だ。本作で描かれる現在の事件も、その捜査の延長線上にある。佐藤と高木の結婚式での襲撃、渋谷での花嫁奪取——いずれも三年前の事件の関係者を狙った犯行ではないか。捜査の早い段階から、そうした見立てが浮かび上がっていく。
プラーミャ再来の報せは、警視庁のなかで特別な重みを帯びる。三年前の事件で、警察学校組の松田陣平が爆発物処理の最中に殉職した。その事実が、現役の刑事たちの胸に長く残り続けているからだ。爆発の現場で松田が向き合い続けた起爆装置。最後に降谷零へ残した、数秒間の通信。そして警察学校時代の一枚の写真——本作はそうした記憶を断片的な回想として差し挟み、現在の捜査に重ねていく。
現在の事件の被害者は、いずれも三年前の渋谷連続爆破事件の捜査と処理にかかわった者たちだ。プラーミャは三年の沈黙を破って戻り、当時の関係者を一人ずつ標的にしていく。佐藤美和子と高木渉の結婚式が襲われたのも、二人がそれぞれ三年前の事件で重要な役割を担っていたからにほかならない。ハロウィンの渋谷というカラフルな舞台と、警察学校組が長く伏せてきた喪。本作のサスペンスは、その二つのあいだで二重の張力を生み出していく。
降谷零と江戸川コナン
本作は降谷零(安室透)と江戸川コナン、二人の主役を並走させる構成だ。公安刑事である降谷は、三年前のプラーミャ事件の決着を自らの責任として受け止めている。警察学校時代の同期、松田陣平の殉職は、今も癒えぬ傷として彼の中に残る。事件を見つめるその目には、組織の論理と個人の喪失が、息苦しいほど重なり合う。
コナンは、降谷の動きと自らの推理の線が交わる地点で、降谷を補佐する役回りを引き受ける。黒の組織のバーボン、公安の降谷零、私服姿で喫茶店を営む安室透——その正体を知る数少ない一人として、降谷が抱える幾重もの立場を理解したうえで動く。本作で二人が言葉を交わす場面は短い。だが、互いに「言わなくていいことは言わない」種類の信頼で成り立っており、シリーズ全体でも珍しい大人どうしの距離感が画面に刻まれている。
毛利蘭、毛利小五郎、阿笠博士、灰原哀、そして少年探偵団は、披露宴会場と渋谷の喧騒のあいだを行き来しながら、それぞれの役回りで本作を支える。蘭は佐藤美和子の親友として、結婚式での襲撃に強く動揺しつつ、自分にできることを冷静に探そうとする。小五郎は祝宴と捜査本部を往復し、軽口の裏で要所を押さえる。灰原は事件の縁に黒の組織の影が立っていることをいち早く察し、コナンの肘を引いて警戒を強く促す。
ピンガ
事件の影で、もう一つの線が動き出す。黒の組織の新メンバー「ピンガ」だ。ピンガは原作で長く伏線が張られてきたコードネーム「ラム」の側近として現れ、本作で初めてスクリーンに姿を見せる。プラーミャの再来を組織の利益のために利用しようと、独自に渋谷と東京湾岸を行き来し、警察と公安の捜査線をかき乱していく。
そのピンガに、ベルモットは警戒の目を向ける。長く工藤新一とその周辺を見つめてきた彼女にとって、新参のピンガが組織の中で性急に動くさまは、決して好ましいものではない。表向きは協力する顔を見せながら、クライマックスに向けて自らの判断で動く準備を整えていく。一方のジンは遠景からその動きを見守り、組織上層部の指示を待つ位置にとどまる。
とはいえ、黒の組織が本作の事件すべての中心にいるわけではない。プラーミャの再来は、あくまで警察学校時代の事件の延長線上にある問題であり、組織はそれを横から利用しようとしているにすぎない。警察組織側の長い喪(プラーミャと警察学校組)と、黒の組織側の新たな謀(ピンガとベルモット)。その二つが、東京というひとつの都市の上で偶然交差する。シリーズの中でも珍しい二層構造が、本作の構図を成している。
松田陣平の記憶
事件の捜査が進むなか、降谷零の脳裏には、警察学校時代の松田陣平の記憶が幾度となくよみがえる。松田は警察学校のころから、教官の指示に素直に従うとは言い難い、生意気で頭の切れる若者として知られていた。降谷とは反発しあいながらも互いを認めあう間柄で、警察学校時代から長く連れ立って居酒屋に通った仲でもある。卒業後は警視庁の爆発物処理班に配属され、現場で命のやり取りを引き受け続ける立場に身を置いた。
三年前のプラーミャ事件、その最後の現場で、松田は時限式の爆発物と対峙し、撤去のために最後まで現場に残った。彼が降谷零の携帯電話に吹き込んだ数秒の通信——軽口めいた短い言葉と、彼らしい笑い方——は、本作のなかで幾度も再生される、もっとも痛切なカットの一つだ。爆発の瞬間、画面はあえて過剰な描写を避け、降谷の手のなかで途切れる通信の音と、その表情の変化だけで重みを観客に伝える。
松田の死は、降谷個人の喪であると同時に、警察学校組全体にとっての長い喪でもある。萩原研二、伊達航、諸伏景光(スコッチ)——彼らもまたそれぞれの場所で殉職しているという現実が、本作の捜査線の背後で常に降谷の足を引っ張る。本作で降谷が見せる執念は、単なる職務上の冷徹さではない。生き残ってしまった者が背負い続ける問い、その形そのものとして描かれている。
高木渉の身体に仕掛けられた爆弾
事件は、結婚式の場で高木渉に仕掛けられた攻撃の意味が判明し、新たな段階に入る。プラーミャが今回用いたのは、被害者の身体のすぐそばで時限式の爆発物を起動させるという、非情で精緻な手口だ。本人も周囲も気づかないうちに、高木渉の身体には爆発物が仕掛けられていた。残された時間は少なく、その間に処理を終えなければならない。
捜査本部は、爆発物の構造と起動条件の解析を急ぐ。降谷零はかつての松田の働きを思い起こしながら、自分の知る限りの起爆条件と回避手順を捜査本部に伝える。一方、コナンは犯人の手口と性格を独自に読み解き、阿笠博士の発明品を組み合わせて、佐藤美和子と高木渉に残された時間を最大限に引き延ばす一手を打っていく。
佐藤美和子は、高木の処置が続くあいだ、警視庁捜査一課の刑事として現場に残る道を選ぶ。その表情は、花嫁としての祝福と、警察組織の一員としての職務のあいだで揺れ動き、最後は冷たいほど整った職務の側に立つ。本作の佐藤美和子は、シリーズ全体を通してもっとも凛とした立ち姿の一つだ。高木に向けるわずか数秒の視線が、観客の胸に長く残る——そんな場面になっている。
プラーミャの正体
本作の犯人、現在の連続事件を引き起こしているプラーミャは、三年前の渋谷連続爆破事件にも関わっていた人物である。表向きは事件の被害者、あるいは捜査の周辺に居合わせた者として顔を出しながら、その内側では当時の決着に強い不満を抱え、長い歳月をかけて再襲撃の計画を練り上げてきた——シリーズの中でも珍しく、長期にわたる執着と私的な動機を真正面から描いた犯人像である。
プラーミャの動機は、警察組織のある人物へ向けられた個人的な怨恨だ。三年前の事件で背負った喪失に、警察組織は十分に応えなかった——少なくとも犯人自身はそう確信している。佐藤美和子と高木渉の結婚式を狙ったのは、その怨恨が象徴的に爆発した瞬間であり、警察側の幸福の場をあえて選ぶことで、自らの喪失の重さを世間に突きつけようとしたのである。
コナンは犯人の手口と過去の現場の細部を結びつけ、プラーミャの正体に辿り着く。降谷零はその推理を受け、公安の動きを切り替える。クライマックスは、犯人の人物像が単純な狂気ではなく、長い喪失の延長線上に生まれた歪みであることを、観客にも降谷にも同時に突きつける構成だ。そこに、追う側と追われる側のあいだの不思議な相似形が浮かび上がってくる。
晴海の決着
クライマックスの舞台となるのは、東京湾の臨海エリア——晴海・豊洲方面に橋と未完成の構造物が並ぶ一帯だ。プラーミャは爆発物を準備し、海と橋の上で最後の決着をつけようとする。それは、警察学校組の喪を引きずってきた者の、長い弔いの果てにある一手でもある。コナンと降谷零は、阿笠博士の発明品とコナンの推理、そして降谷自身が長年積み重ねてきた鍛錬を組み合わせ、犯人の動きを正面から止めにいく。
終盤のアクション演出は、シリーズの中でも飛び抜けてスケールが大きい。橋の上での車両アクション、海上での爆発物処理、警視庁・公安・自衛隊の連携をうかがわせる連絡網——劇場版『名探偵コナン』が長く磨いてきたアクションの文法が、ここに集約されている。真剣な表情で運転席に座る降谷零、助手席から短く指示を飛ばすコナン。わずか数十秒のこの場面は、長年のファンが待ち望んだ二人のコンビネーションの集大成として記憶されるだろう。
ピンガとベルモットは、海と橋の手前で本作の事件と交差する。ベルモットはピンガの動きを最後まで観察し、組織の論理と自らの判断を秤にかけたうえで、ピンガに対してきわどい一手を打つ。ラストで黒の組織の側に起こる事態は、シリーズ全体の長い線の中でも大きな意味を持つ動きだ。原作読者やテレビアニメの視聴者にとっては、本作以降の展開を意識しながら受け取るべき場面である。
エピローグ
事件が決着した翌朝、東京の街は何事もなかったかのように動き始める。佐藤美和子と高木渉は、延期されていた結婚式を改めて整える。警視庁捜査一課、少年探偵団、毛利家、そして本作で関わったすべての立場の人物が、それぞれの形で祝福を寄せる。降谷零は私服に着替え、喫茶ポアロのマスターとしての顔で、遠く離れた席から二人の写真撮影を静かに見守る。
BUMP OF CHICKENの主題歌「クロノスタシス」が、ここで流れ始める。秒針が止まって見えるあの一瞬——人が大切な何かを目にしたとき、時間がほんの一拍だけ静止して感じられる錯覚——を歌ったこの曲は、本作のテーマと正面から噛み合う。警察学校時代の五人の写真、松田陣平の笑顔、萩原研二・伊達航・諸伏景光の面影、そして今を生きる降谷零ひとりの背中。生き残った者が抱え続ける時間と、それでも前へ進んでいく時間とを、画面は丁寧に拾い上げていく。
事件は終わった。だが、本作で動いた感情の流れは終わらない。警察学校組の長い喪、佐藤美和子と高木渉の新しい一歩、黒の組織の側で動き出した新たな線——いずれも、ひとつの劇場版に押し込め切るには大きすぎる題材ばかりである。それを本作は、派手な結語ではなく、街と歌と人物の表情の総和として観客に手渡す。
登場要素
本作に登場、または言及される主な要素を、劇場版『名探偵コナン』のおなじみの分類に沿って整理しておきたい。ここに並ぶ固有名詞はあくまで鑑賞の手がかりであり、初見でそのすべてを覚えておく必要はない。
- 江戸川コナン/工藤新一
- 毛利蘭
- 毛利小五郎
- 阿笠博士
- 灰原哀
- 少年探偵団(吉田歩美・小嶋元太・円谷光彦)
- 目暮十三警部
- 白鳥任三郎
- 千葉和伸
- 佐藤美和子
- 高木渉
- 降谷零/安室透/バーボン(公安刑事)
- 松田陣平(警察学校時代の同期・回想)
- 萩原研二(警察学校時代の同期・回想)
- 伊達航(警察学校時代の先輩・回想)
- 諸伏景光/スコッチ(警察学校時代の同期・回想)
- 三年前の渋谷連続爆破事件の関係者たち
- ハロウィン渋谷の市民・コスチュームの群衆
- 結婚式の参列者・式場スタッフ
- プラーミャ(ロシア語で『炎』を意味するコードネームを持つ連続爆破犯)
- 三年前の渋谷連続爆破事件の延長線上で再び動き出した犯人
- 動機は、三年前の事件のなかで負った私的な喪に対する、警察組織への長い怨恨と象徴的な復讐
- 標的は、佐藤美和子・高木渉ら、三年前の事件の捜査・処理に関わった警察関係者
- 犯行手段は、ハロウィンの渋谷を背景にした花嫁誘拐、結婚式場での襲撃、被害者の身体に近接した時限式爆発物
- 最終的な決着は、東京湾岸の橋と海の上で、降谷零と江戸川コナンの連携により迎えられる
- ピンガ(本作で初登場する黒の組織の新メンバー、ラムの側近格として動く)
- ベルモット(ピンガと組織の動きを観察し、独自の判断で介入する)
- ジン(遠景でピンガとベルモットの動きを観察する位置にある)
- 公安側のバーボン=降谷零(組織の中での偽装の立場としても物語に重なる)
- 渋谷スクランブル交差点周辺(ハロウィンの群衆)
- 結婚式場(東京都内の披露宴会場)
- 警視庁(捜査一課・公安)
- 東京湾の臨海エリア(晴海・豊洲方面の橋と構造物)
- 喫茶ポアロ(降谷零=安室透の私服での拠点として)
- 警察学校(プロローグと回想で登場)
- 三年前の渋谷の爆発現場(回想)
- プラーミャが用いる時限式爆発物(身体への近接設置を含む)
- ハロウィンの仮装に紛れた逃走と襲撃
- 渋谷スクランブル交差点と大型ビジョンを背景にした逃走劇
- 阿笠博士発明のキック力増強シューズ、蝶ネクタイ型変声機、腕時計型麻酔銃、伸縮サスペンダー
- 公安の通信機材と捜査用車両
- 三年前の通信音声と現場写真(回想素材)
- 主題歌:BUMP OF CHICKEN「クロノスタシス」(書き下ろし)
- コナン:高山みなみ
- 工藤新一:山口勝平
- 毛利蘭:山崎和佳奈
- 毛利小五郎:小山力也
- 阿笠博士:緒方賢一
- 灰原哀:林原めぐみ
- 降谷零/安室透/バーボン:古谷徹
- 佐藤美和子:湯屋敦子
- 高木渉:高木渉
- 目暮十三警部:茶風林
- 白鳥任三郎:塩屋浩三
- ベルモット:小山茉美
- ジン:堀之紀
- 松田陣平:神奈延年
- 萩原研二:難波圭一
- 伊達航:大塚芳忠
- 諸伏景光:speed-wagon井上和彦
- ピンガおよびゲスト犯人陣(劇場版ゲスト声優陣)
14主要登場人物
本作はレギュラー陣のなかでも、降谷零(安室透)と警察学校組の物語、そして佐藤美和子と高木渉の結婚という二つの大きな線が前面に出る一本である。少年探偵団と毛利家は脇に控え、長く伏線が張られてきた警察組織側の人物関係が、劇場のスケールで一気に正面に押し出される構成が取られている。
降谷零/安室透/バーボン
本作の事実上の主役の一人。公安刑事・降谷零、私服での名は安室透、黒の組織の中での偽装名はバーボン——三つの立場を一身に背負う男だ。三年前の渋谷連続爆破事件、なかでも警察学校時代の同期・松田陣平の殉職を、彼は自らの責任として今なお抱え続けている。ハロウィンの渋谷、結婚式場、そして晴海エリアでの決着へ。冷たく整った職務の表情の奥から、その喪失の痛みが幾度となく滲み出てくる。
古谷徹の演技は、本作で大きく振れる。普段は完璧に整えられた口調を崩さない安室透が、回想の警察学校時代では同期と軽口を交わす若さをのぞかせ、現在のクライマックスでは公安刑事としての冷たい決断をわずか一語に込めてみせる。降谷零という人物の立体感をシリーズで最も豊かに描いた一本として、本作は長く語り継がれている。
江戸川コナン/工藤新一
本作のコナンは、降谷零と並走するように、冷静に推理を積み上げていく。渋谷スクランブル交差点での犯人との接触、結婚式場での襲撃、高木の身体に仕掛けられた爆発物の解析、そして晴海エリアでのクライマックスへ。降谷の知略と行動を補いながら、互いを認め合う大人どうしの距離感で事件に挑んでいく。
本作は、コナンが派手に推理を披露する種類の作品ではない。むしろ彼は、生き残ってしまった者・降谷零の隣に立ち、必要な一手を黙って差し出す。シリーズ全体を通して、コナンと降谷零のコンビネーションがもっとも濃密に描かれた一本として、本作は記憶されるだろう。
関連リンク
佐藤美和子と高木渉
本作の現在軸を動かすのは、この二人だ。佐藤美和子は警視庁捜査一課に属する凄腕の女性刑事で、高木との結婚をめぐっては長くその時機を先延ばしにしてきた。本作でついに式の日を迎える。ところが、式の冒頭で襲撃が起きる。花嫁としての祝福と、警察組織の一員としての職務――そのあいだで揺れ動いた末、彼女は冷たいほど整然と職務の側に立ち、捜査線へと戻っていく。
高木渉は、式の朝の緊張に表情をこわばらせる新郎として、本作の人間味あふれる中心を担う。その身体に仕掛けられた爆発物の処理は、中盤のサスペンスを引き締める見せ場だ。声を演じる高木渉(声優)の芝居は、長年この人物像とともに重ねられてきたものでもある。佐藤美和子との場面では、相手役として積み上げてきた歳月の厚みがにじむ。
関連リンク
松田陣平・萩原研二・伊達航・諸伏景光
本作のプロローグと中盤の回想で、警察学校時代の四人が繰り返し画面に立ち戻ってくる。松田陣平は爆発物処理班に進み、三年前のプラーミャ事件の現場で殉職した同期である。萩原研二もまた爆発物処理にかかわり、警察学校時代の松田と並んで歩く影として描かれる。伊達航は警察学校の先輩格にあたり、降谷たち五人を見守る立場の人物だ。そして諸伏景光は『スコッチ』のコードネームを持つ同期で、後年、公安と黒の組織のはざまで命を落とした。シリーズの長い線の中でも、特別な位置を占める存在である。
本作はこの四人を、一人の長台詞で説明することはしない。警察学校の教場の片隅、訓練場の外周、安い居酒屋の卓——日常の数カットを積み重ねる中で描いていく。彼ら自身が劇場版に姿を見せるのはわずかな時間にすぎない。だが、降谷零が現在の事件で背負い続ける重さの源泉として、四人の存在は本作の全編に深く染み込んでいる。
毛利蘭/毛利小五郎
毛利蘭は、佐藤美和子の親友として、結婚式での襲撃に強く動揺する。事件の最前線に立つわけではないが、冷静さを保ちながら背後からコナンの行動を支える数カットが、本作に人間味のある厚みを与えている。一方の毛利小五郎は、披露宴の祝宴と捜査本部を行き来し、軽口の裏で要所を押さえる役回りだ。警視庁の刑事たちとの長い付き合いを背景に、確かな安定感を見せる。
本作は、毛利家の二人を物語の中心に据えるタイプの作品ではない。だが、シリーズを長年見守ってきた視聴者が毛利家に寄せてきた感情を、控えめな配分で確実に拾い上げている。二人が画面に立つ数分間は、重い題材を観客が受け止めるための柔らかな余白として機能している。
関連リンク
灰原哀
灰原哀は、黒の組織の影が事件の際にまで忍び寄っていることをいち早く察知し、コナンの行動を強く牽制する役どころだ。新顔であるピンガの存在を彼女がどこまで嗅ぎ取っているのか、本作で明確に描かれるわけではない。だが、その警戒の張りつめ方には、組織を内側から知る者だけがまとう独特の重みがある。画面そのものが、静かに張りつめていく。
少年探偵団とともに、結婚式の華やぎと渋谷の喧騒のあいだを行き来する数カット。重い題材が続く本作にあって、ふと差し込まれる小さな息継ぎの場面として効いている。林原めぐみの演技は、灰原という人物の冷たさと、それでも仲間を守ろうとする芯の太さを、わずかな台詞のなかから的確にすくい上げている。
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ベルモット・ジン・ピンガ
ベルモットは本作で、黒の組織側の影として姿を見せる。新参のピンガには警戒の目を向けており、表向きは協力する顔をのぞかせながら、クライマックスに向けて自らの判断で動く構えを着々と整えていく。その挙動は、シリーズを長年追いかけてきたファンにとって大きな見せ場のひとつだ。
ピンガは本作で初めて画面に立つ黒の組織の新メンバーで、コードネーム『ラム』の側近格として動く。プラーミャの再来を組織の利益に利用しようと画策し、警察組織側の喪と捜査の流れのなかへ、別の文脈の謀をひそかに持ち込んでいく。ジンは遠景でその二人の動きを観察し、組織上層部の指示を待つ位置から本作を見守る。
終盤、ピンガに対してベルモットが繰り出す一手は、シリーズという長い線のなかで重要な意味を帯びる。原作やテレビアニメ本編に親しんだ者にとって、ラストに描かれる黒の組織側の動きは、本作以降の展開へとつながる大きなピースのひとつとして機能している。
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舞台と用語
本作の主要な舞台は、ハロウィンに沸く東京だ。渋谷スクランブル交差点とその周辺、ハロウィンの群衆と街路を彩る大型ビジョン、結婚式場、警視庁、東京湾の臨海エリア(晴海・豊洲方面の橋と未完成の構造物)、そして喫茶ポアロ。いずれもシリーズでこれまで数々の場面の背景として使われてきた場所である。本作はそれらを一本の物語のうえに縦に並べ、東京の今と、警察学校時代の十数年前を重ね合わせていく。
用語の面では、「警察学校組」「公安」「降谷零/安室透/バーボン」「松田陣平」「萩原研二」「伊達航」「諸伏景光(スコッチ)」「プラーミャ(ロシア語で炎)」「ラム」「ピンガ」「ベルモット」「ジン」「喫茶ポアロ」「警視庁捜査一課」が物語の鍵を握る。これらは原作やテレビアニメ本編で長く読み継がれ、観られてきた背景を踏まえたものだ。とはいえ初見の観客にも分かるよう、必要な情報は画面の上で順を追って示されていく。
23制作
劇場版『名探偵コナン』シリーズは、1997年の『時計じかけの摩天楼』に始まり、年に一本のペースで春興行を担う恒例企画として定着していた。本作はその第25作にあたる。シリーズが四半世紀の節目を迎えるタイミングで、警察組織側の人物——とりわけ降谷零(安室透)と警察学校組——を真正面から描く大型企画として企画・制作された。
企画と脚本
脚本を手がけたのは、推理作家の大倉崇裕である。警察小説やミステリーの著作で広く知られる作家であり、原作とテレビアニメ『名探偵コナン』の脚本陣に新たに加わる形で本作を組み上げた。本作の脚本の特徴は、警察学校組をめぐる長年の伏線を、シリーズ未読の観客にも一本の劇場映画として届く形でまとめあげた構成力にある。
原作者の青山剛昌は、これまで劇場版『名探偵コナン』の各作に監修・キャラクター原案として深く関わってきた。本作では警察学校組や公安、黒の組織の動きを劇場版に大きく持ち込むという、原作本筋に近い題材を扱う。そのため企画段階から特に強く手綱を握っている。原作の本筋を消費しないラインを慎重に引いた上で、劇場版として完結する事件と感情の流れを別途設計する。そうした原作との大人の距離感が、本作の脚本にもよく表れている。
監督と演出
監督の満仲勧は、本作で劇場版『名探偵コナン』シリーズに初めて挑む。テレビアニメ『名探偵コナン』や関連作品で長く演出・絵コンテを手がけてきた人物だ。本作では「警察組織側の喪失と再起」「ハロウィンに沸く渋谷の華やかな画づくり」「臨海エリアでのスケール感あふれるアクション」という、互いに毛色の異なる三つの要素を、110分の劇場版のなかに無理なく同居させてみせた。
彼の演出が光るのは、回想と現在を切り替えるリズムだ。警察学校時代の四人の若い顔つき、整いきった現在の降谷零の横顔、そしてプラーミャの影と渋谷の群衆——画面は、それぞれの場面で観客が受け取るべき情報を、過剰にならない量にさばいて差し出していく。クライマックスを飾る晴海エリアのアクションも見ものだ。派手な見せ場の合間に人物の表情のカットを丁寧に挟み込み、観客の感情が置き去りにならないよう緻密に設計されている。
アニメーション制作
アニメーション制作はトムス・エンタテインメント。テレビシリーズの作画スタッフがそのまま劇場版に集い、密度を高めて挑んでいる。本作の見どころのひとつが、渋谷スクランブル交差点周辺の作画だ。交差点の信号、街路樹、行き交う人混み、商業ビルの大型ビジョン、ハロウィンの仮装の色彩——「今の東京」の喧騒を、劇場のスクリーンでそのまま体感させる密度に仕上げている。
もうひとつの大きな見せ場が、終盤の臨海エリアのアクションシーンである。橋と海の上で繰り広げるカーアクション、爆発物の処理、複数の関係者が別々の場所で同時に動く群像の構造——劇場版『名探偵コナン』が長年磨いてきたアクション作画の文法が、終盤に凝縮されている。CG作画と手描き作画の組み合わせも、視覚的な違和感を抑えつつスケール感だけを引き上げる方向で、丁寧に調整されている。
音楽と主題歌
音楽を手がけたのは菅野祐悟。本作で劇場版『名探偵コナン』に初めて参加した作曲家であり、警察組織側の重い題材と、ハロウィンに沸く渋谷の色鮮やかな映像、その両方を受け止める厚みのあるオーケストレーションを書き上げた。警察学校時代の回想に流れる静かなピアノ、現在の捜査線で鳴る切迫した弦と打楽器、そしてクライマックスの臨海エリアで響く大編成のサウンド——本作の劇伴は、シリーズのなかでも特に立体的に組み上げられている。
主題歌はBUMP OF CHICKENの書き下ろし「クロノスタシス」。長く日本のロックシーンを牽引してきたバンドであり、この主題歌は彼らの活動のなかでも大きな注目を集めた一曲となった。『クロノスタシス』とは、人が大切な何かを見たときに感じる、時間が一拍だけ静止する錯覚を指す言葉。警察学校組の長い喪と、現在の物語が抱えるテーマに、正面から噛み合っている。エンディングで歌い出しが流れ出す瞬間、観客は警察学校組の写真と降谷零の背中を、もう一度静かに胸へ納めることになる。
キャストと声の演出
高山みなみのコナン、山口勝平の新一、山崎和佳奈の蘭、小山力也の小五郎——シリーズおなじみのレギュラー陣に加え、本作で画面の中心を担うのが、古谷徹演じる降谷零(安室透)と、警察学校時代の同期四人を演じる声優陣だ。古谷は本作で、安室透としての軽やかさ、降谷零としての冷たさ、バーボンとして見せる偽りの顔、さらに警察学校時代の若さ——その四つの層を、ひとつの人物像のなかで滑らかに行き来してみせる。
松田陣平の神奈延年、萩原研二の難波圭一、伊達航の大塚芳忠、諸伏景光の井上和彦——テレビアニメ本編で長年積み重ねてきた警察学校組の声が、本作の回想場面で改めて立ち上がる。佐藤美和子の湯屋敦子、高木渉の高木渉(声優)もまた、長く演じ続けてきた相手役どうしの厚みを、結婚式の場面でにじませる。ベルモットの小山茉美、ジンの堀之紀をはじめとする黒の組織側の声優陣も、シリーズの長い積み重ねのなかで本作の意味を支える、重厚な演技で応えている。
アクションとサスペンス演出
本作のアクションは、シリーズ屈指のスケールを誇る。渋谷スクランブル交差点で群衆を縫う逃走劇、結婚式場の控え室での至近距離の攻防、警視庁周辺を舞台にした車両アクション、そして終盤、臨海エリアの橋と海上で繰り広げられる大きな決着——。いずれの場面も、劇場版『名探偵コナン』が長年磨き上げてきた“現代の東京を舞台にしたアクションの文法”の集大成として機能している。
サスペンス演出では、プラーミャの正体を最後まで伏せたまま、被害者の身体に密着して仕掛けられた爆発物の処理を時間との戦いとして描く構成が際立つ。観客は犯人の正体を推理するサスペンスと、目の前で進む爆発物処理のサスペンスを、同時に受け止めることになる。劇中に刻まれる時計の音、回想に流れる通信音声、現場の足音と呼吸——本作の音響演出は、この二重のサスペンスを支えるうえで大きな役割を果たしている。
30公開と興行
本作は2022年4月15日に日本で公開され、春興行の柱として大ヒットを記録した。最終的な国内興行収入は約97.8億円に達し、公開時点で劇場版『名探偵コナン』シリーズ歴代2位の記録となった。コロナ禍以降、国内の劇場興行が完全な平時に戻り切らないなかでの数字だけに、その意義はことのほか大きい。
公開当時、本作の核となったのは「警察学校組と降谷零」「佐藤美和子と高木渉の結婚式」「ハロウィンの渋谷」「プラーミャ再来」、そしてBUMP OF CHICKENの『クロノスタシス』である。いずれも劇場へ何度も足を運びたくなる求心力を備えていた。原作・テレビアニメで長く伏線が張られてきた警察学校編・公安編の人物関係を、劇場のスケールで一気に、真正面から描き切る一作。それだけに、長年のファンほど繰り返し劇場に通う傾向が顕著だった。
海外でも順次公開され、東アジアを中心に高い評価とヒットを得た。劇場版『名探偵コナン』が長い年月をかけて築いてきた海外ファン層に対し、本作は警察組織側の喪と現在進行形の事件を一本の劇場版にまとめ上げる構成で応え、新たな観客層の開拓にも繋がった。本作のヒットは、劇場版『名探偵コナン』が国境を越えて受け入れられ続ける流れを、さらに確かなものにしたといえる。
受賞・選定の場でも本作の存在感は際立ち、アニメ関連の年度賞や音楽賞において、作品本編・主題歌の双方で言及される機会が多かった。BUMP OF CHICKENの「クロノスタシス」は、本作の公開以降も長く聴き継がれる代表曲のひとつとして、広く知られていくこととなる。
31批評・評価・文化的影響
本作の評価軸は大きく三つに分かれる。ひとつは「劇場版『名探偵コナン』としての一作完結性」、ひとつは「警察学校組と降谷零の物語を正面から扱った節目としての価値」、そしてもうひとつは「シリーズの長い線——黒の組織編——のなかでの本作の位置」である。前者はミステリーとアクションの両面で高い水準が評価された。二つ目の軸では、原作とテレビアニメ本編で長く伏線が張られてきた警察学校編・公安編を、劇場版でここまで正面から扱った一本としての評価が確定した。
三つ目の軸を担うのが、本作で初登場した黒の組織の新メンバー・ピンガと、終盤にベルモットが見せる一手である。いずれもシリーズの長い線のなかで重要な意味を持つ。原作読者やテレビアニメ視聴者にとって、本作は以降の展開へ向けた大きなピースのひとつとして記憶されることになった。
本作で確立された「警察学校組と降谷零を劇場版で扱う方法」は、その後のシリーズ全体の方針を方向づけた。後年の『黒鉄の魚影』『100万ドルの五稜星』など、特定の人物関係を中心に据えた作品が組み上げられる際にも、本作が示した距離感——シリーズの伏線を踏まえつつ、初見の観客にも届く形で劇場版を完結させる手付き——が、基準のひとつとして参照され続けている。
文化的な影響としては、BUMP OF CHICKENの『クロノスタシス』が広く聴き継がれていることが大きい。そして本作以降、「警察学校組」「公安」「プラーミャ」といったキーワードが、長年のファンだけでなく一般の観客にとっても、劇場版『名探偵コナン』のもっとも記憶される題材のひとつになった。劇場版『名探偵コナン』が、警察組織側の人物関係を真正面から劇場のスケールで扱える題材として確立した一本——本作はそう位置づけられる。
舞台裏とトリビア
本作は、劇場版『名探偵コナン』シリーズの第25作にあたる節目の一本である。シリーズが四半世紀を迎えるこのタイミングで、警察組織の側に立つ人物——なかでも降谷零(安室透)と警察学校組——を真正面から描く題材を選んだ。そこには、企画陣のはっきりとした意思がうかがえる。
推理作家・大倉崇裕が脚本に新たに加わったことは、本作の制作における大きな転換点だ。長年シリーズの脚本を支えた古内一成(『迷宮の十字路』『瞳の中の暗殺者』など)が2014年に世を去り、その後は新しい書き手が段階的に参加してきた。そうした流れのなかで迎えた大倉の起用は、シリーズの語り口を次の世代へと引き継ぐ重要な一歩となった。
BUMP OF CHICKENの主題歌起用も、本作の話題性を大きく押し上げた。『クロノスタシス』はバンドを代表するシングルのひとつとして長く聴き継がれており、本作に合わせて公開時期を重ねたミュージックビデオは、配信後に大きな再生数を記録した。
興行収入が約97.8億円に達したことは、コロナ禍以降の国内劇場興行のなかでも、とりわけ大きな意味を持つ数字である。アニメの春興行で安定して大型ヒットを生み出すブランドとして、劇場版『名探偵コナン』が完全に定着していること——それを本作の成績はあらためて裏づけた。
33テーマと解釈
本作が見つめるのは「生き残った者の時間」である。警察学校時代の五人のうち、いまも第一線で勤務に就いているのは降谷零ただ一人——その事実が、全編に静かに染み込んでいる。彼が背負い続ける時間、亡くなった同期たちが置いていった時間、そして現在の事件のなかで動き続ける時間。それらは互いに重なり合いながら、彼の表情の奥でゆっくりと進んでいく。
もうひとつの軸は「祝福と喪」だ。佐藤美和子と高木渉の結婚式という最も明るい祝福の場と、プラーミャによる襲撃という最も暗い喪の場が、わずか一日のなかで続けざまに並べられる。本作はその対比を、観客にとっても登場人物にとっても消化しきれない密度で突きつける。そして最後、二人がもう一度結婚式を整える朝の数分間で、祝福と喪のあいだにようやく新しい均衡が生まれることを示すのだ。
そして本作最大のテーマが「クロノスタシス——一拍だけ止まる時間」である。BUMP OF CHICKENの主題歌のタイトルが指し示すこの現象は、人が大切な何かを目にしたときに感じる、時間が一拍だけ静止する錯覚のことをいう。降谷零が松田陣平の最後の通信を再生する瞬間、佐藤美和子が高木渉に視線を送る瞬間、コナンが降谷の横顔を見つめる瞬間——観客の内側で時間が一拍だけ止まる、いくつもの小さなクロノスタシスが本作には配置されている。
見逃せないのが「組織と個人」というモチーフだ。警察組織、公安、捜査一課、黒の組織——本作で動く人物たちは、いずれも何らかの組織に属しながら、同時に個人としての喪と祝福のあいだに立っている。組織の論理と個人の感情のあいだで、彼らはどう自分の足を運ぶのか。本作の人物造形は、その問いを徹底して描く方向へと整えられている。
34見る順番
劇場版『名探偵コナン』は基本的に一作ごとに完結するが、本作は警察学校組と降谷零(安室透)の物語における節目となる一本である。本作から観ても物語は十分に追えるが、テレビアニメや原作で警察学校編、公安編、黒の組織編の流れを少しでも知っていれば、降谷零の表情の奥にあるものや、警察学校組の四人が背負う重みが何倍にも沁みてくる。
おすすめは、シリーズ第22作『ゼロの執行人』、第24作『緋色の弾丸』、第20作『純黒の悪夢』など、降谷零・赤井秀一・黒の組織が大きく動く近作を踏まえてから本作に進む順番だ。これらと並べて観ると、本作が掲げる「警察組織側の喪」という題材が、劇場版シリーズの中でどこに位置づけられるのかが、より立体的に見えてくる。鑑賞後は、本作で動き始めた黒の組織側のピンガとベルモットの線を意識しつつ、続く『黒鉄の魚影』『100万ドルの五稜星』へと進みたい。本作で植えられた要素がどこまで育ったかを楽しめるはずだ。
警察学校組の物語を中心に追いたいなら、テレビアニメ『警察学校編』、本作、そして関連する原作エピソードを並べるとよい。シリーズが少しずつ五人の関係をどう描き重ねてきたかが見えてくる。本作はそのリストの中で、劇場版が初めて警察学校組を正面から扱った重要な節目である。
35よくある質問
「あらすじだけ知りたい」なら、ハロウィンの渋谷で起きる花嫁誘拐、そして佐藤美和子と高木渉の結婚式を襲った襲撃が、いずれも三年前の渋谷連続爆破事件の犯人プラーミャの再来によるものであり、警察学校時代の松田陣平の殉職と深く結びついている——この流れさえ押さえておけば十分だ。「結末・ネタバレまで知りたい」なら、核となるのは三つ。犯人プラーミャの動機が三年前の事件の延長線上にある私的な怨恨であること、降谷零(安室透)とコナンの連携によって晴海エリアで決着が訪れること、そして終盤、黒の組織側のピンガとベルモットのあいだに大きな動きが起きることである。
「犯人は誰か」。これには、三年前の渋谷連続爆破事件の犯人プラーミャその人の延長線上にある人物であり、表向きは事件の被害者側、あるいは捜査の周辺に居合わせた者として顔を見せていた、と答えることになる。「動機」は、三年前の事件で負った私的な喪に対する、警察組織への長い怨恨であり、その象徴的な復讐だ。「ピンガとは何者か」。これは、黒の組織の新メンバーで、コードネーム『ラム』の側近格として本作で初めて画面に立つ人物である。
「初見でも見られるか」。本作は単体で完結しているため、初見でも問題なく楽しめる。ただし、降谷零(安室透)、警察学校組、黒の組織の関係をテレビアニメや原作で少しでも知っていれば、回想に描かれる警察学校時代の場面、降谷の表情に込められた重み、終盤のベルモットとピンガのやり取りの意味は、まるで違って迫ってくる。「見る順番」としては、近作『ゼロの執行人』『純黒の悪夢』『緋色の弾丸』などを踏まえてから本作に入るのが、もっとも安定する道筋だ。
「主題歌『クロノスタシス』は本作のために書き下ろされたのか」「松田陣平はどの時点で殉職したのか」「ピンガはこれからどう動くのか」。こうした頻出の問いについては、それぞれ本記事の制作、舞台裏、見る順番の各章で詳しく述べている。だが本作がもっとも重く投げかける問いは、むしろ別にある。「降谷零は、生き残ってしまった自分の時間を、これからどう運んでいくのか」——その答えは観客一人ひとりに委ねられ、それこそが本作の最後のピースとなる。
36参考資料・脚注
作品名、画像、登場人物名、その他各種権利は、それぞれの権利者に帰属する。公開年や興行成績、配信状況、外部の評価は変動する場合があるため、視聴の前に公式情報および各データベースの最新の表示を確認されたい。なお本記事の本文は、各種公開情報をもとにAnna Movies独自の日本語記事として構成したものである。