『シビル・ウォー』後に逃亡中のナターシャが、妹ヤレーナと「家族」だった四人と再び向き合い、自分を作ったレッド・ルームに決着をつける——MCUフェーズ4の幕を開いた、ナターシャ・ロマノフ単独主演作。
マーベル・スタジオ製作、ディズニー配給。オーストラリア出身でドラマ作品で評価を得たケイト・ショートランドが、MCU初の女性単独監督として起用された134分のスパイ・アクション。当初2020年5月公開予定だったが、COVID-19の影響で約1年延期され、2021年7月に劇場とDisney+プレミア・アクセスで同日公開された。
ソコヴィア協定違反でアベンジャーズを離脱し、ロス国務長官に追われる身となったナターシャの「逃亡中の数週間」を埋める前日譚。直接の前作は『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』、本作のあとに『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』へつながる。ポストクレジット・シーンのみ『エンドゲーム』の後の現在時系列で描かれる。
劇場とDisney+の同時公開という前例のない形式で公開され、世界興収は約3.79億ドル。配信収入を巡る契約解釈でスカーレット・ヨハンソンとディズニーが法的に対立した一作としても記憶されている。批評はおおむね好評で、フローレンス・ピューのヤレーナ演技は最大の発見として広く称賛された。
1995年オハイオの「偽家族」の冒頭、ノルウェーでのタスクマスター襲撃、ブダペスト再会、ロシア収容所でのアレクセイ救出、メリーナの偽家族再会、空飛ぶレッド・ルームでのドレイコフ戦、タスクマスターの正体、世界中のウィドウ解放、そして『エンドゲーム』後を舞台にしたポストクレジットでのヴァレンティーナによるホークアイ狙撃指示まで、すべてのネタバレを前提に解説する。
目次 34項目 開く
概要
『ブラック・ウィドウ』(Black Widow)は、ケイト・ショートランドが監督し、エリック・ピアソンが脚本を執筆したアメリカのスーパーヒーロー映画である。マーベル・コミックのブラック・ウィドウ/ナターシャ・ロマノフを主役に据えた長編単独映画で、シリーズ通算第24作にあたる。物語内時系列ではあくまで『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016)の直後、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(2018)の前を埋める前日譚として組まれているが、製作・公開そのものはナターシャがすでに『エンドゲーム』で自己犠牲を果たして物語上は亡くなったあとに行われた、特殊な「弔いの一本」である。
米国では2021年7月9日、日本では同年7月8日に公開された。当初は2020年5月1日にフェーズ4の幕開けとして劇場公開される予定だったが、COVID-19の世界的流行により公開が約1年延期され、最終的にディズニーは劇場公開と並行してDisney+の有料追加サービス「プレミア・アクセス」での同時配信に踏み切った。この決定は、長らく「劇場公開を前提とした取り分」を契約していた主演スカーレット・ヨハンソンとディズニーの間に深刻な係争を生み、後にハリウッドの俳優契約のあり方そのものに影響を与えることになる。
ショートランドは、『リリィ、はちみつ色の秘密』『さよなら、アドルフ』『ベルリン・シンドローム』など、若い女性主人公の内面を緊密な距離で撮ることで評価されてきたオーストラリアの作家である。マーベル・スタジオは本作の方向性として、超人の戦いではなく「家族」と「自分を作った者への決着」を中心に置いた、地に足のついたスパイ・アクションを構想し、約六十数人の候補から彼女を選び出した。結果としてできあがった映画は、シリーズの巨大な事件を一切背景に追いやり、ナターシャ自身の人生を縦糸として一本の物語に閉じている。
本記事は、本編の結末、タスクマスターの正体、そしてポストクレジット・シーンまで含むネタバレを前提に書かれている。物語の驚きを保ちたい読者は、本編を一度通して観たうえで戻ってきてほしい。
- 原題
- Black Widow
- 監督
- ケイト・ショートランド
- 脚本
- エリック・ピアソン
- 原作
- マーベル・コミック(スタン・リー/ドン・リコ/ドン・ヘック)
- 音楽
- ローン・バルフ
- 米国公開
- 2021年7月9日
- 上映時間
- 134分
- ジャンル
- スーパーヒーロー、スパイ・アクション、家族ドラマ
あらすじ
以下は結末とポストクレジット・シーンを含む全編のあらすじである。物語は、1995年のオハイオ州で「家族」を演じていた少女時代のナターシャと、2016年の『シビル・ウォー』直後で逃亡者となった大人のナターシャという二つの時間を、一本の縦糸として編んでいく。
1995年・オハイオ州、ある家族の崩壊
舞台はオハイオ州の郊外住宅。1995年の夏の夕方、自転車で走り回る赤毛の少女ナターシャと、幼い金髪の妹ヤレーナが、芝生のスプリンクラーをかいくぐって遊んでいる。母メリーナはキッチンで料理し、父アレクセイは仕事から戻ってくる——一見、典型的なアメリカ郊外の家族の風景である。だがその夜、アレクセイは家族に「もう時間がない」と告げ、家族はそのまま着の身着のままで車に乗り、追手を振り切るためフロリダ州オハイオ州境を抜けて飛行場まで走り出す。
彼らは家族ではなかった。アレクセイ・ショスタコフはソ連時代の超人兵士「レッド・ガーディアン」、メリーナ・ヴォストコフはレッド・ルーム所属のブラック・ウィドウ、そしてナターシャとヤレーナは、米国に潜入する任務の「カムフラージュ用」として工作員ジェネラル・ドレイコフが指定した、血の繋がらない二人の幼児だった。SHIELDのエージェント(後年に明かされる若き日のニック・フューリー直属の班)が家を急襲する直前、家族はメリーナの操縦する小型機でぎりぎり離陸する。背中を撃たれて出血しながら操縦桿を握るメリーナの顔、わけが分からないまま「私たちはどこへ行くの?」と泣くナターシャ、姉の手を握る幼いヤレーナ——OP明けの怒涛のような数分間が、本作のすべての感情の出発点になる。
彼らはキューバへ亡命し、そこでドレイコフが直接出迎える。ナターシャとヤレーナはその場で母から引き剥がされ、アレクセイは「英雄として迎えられ」、メリーナは別任務へ送り返される。そしてニルヴァーナ「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」の悲しいピアノ・カバー(マリア・Jによる歌唱)に乗せて、各地のレッド・ルームへ連行される少女たちのアーカイブ映像が静かに流れていく。剃り上げられる頭、軍隊式の訓練、不要と判断された少女が射殺される瞬間まで——本作は冒頭十数分で「これはナターシャがそこから来た場所の話である」と明確に宣言する。
ノルウェー潜伏とタスクマスター襲撃
舞台は2016年へ飛ぶ。『シビル・ウォー』の空港戦闘で味方を逃がした「咎」によってソコヴィア協定違反の指名手配を受けたナターシャは、元SHIELDの調達役メイソンの手配で偽造書類とトレーラー・ハウスを受け取り、ノルウェーの辺境の海辺へ身を隠す。ロス国務長官の人工衛星追跡をかわすため、所持していた荷物は最小限。長年の盟友であるスティーブ・ロジャースも今は別の逃亡先にいる。
そんなナターシャのもとに、行方知れずだったブダペスト経由の小さな荷物が届く。中身は、見覚えのない五本の小瓶——透明な液体の入ったヴィアル。直後、彼女のトレーラー・ハウスは仮面の襲撃者の射撃で破壊される。襲撃者は、ナターシャ自身の戦い方を即座にコピーし、トニー・スタークの飛行癖や、なんとホークアイの射撃姿勢まで再現してくる。襲撃者の名はタスクマスター——他者の動きを映像解析と義体システムで完全に再生する暗殺者である。
ナターシャはバイクと崖からの滑空でかろうじてタスクマスターを引き離し、ヴィアルを携えてブダペストへ向かう。「ブダペストに何があったのか」は、シリーズで何度もホークアイと交わしてきた謎の会話の鍵であり、観客にとってもようやく明かされる場所である。
ブダペスト、姉妹の再会
ブダペストの古いアパートに踏み込んだナターシャを、隠れていた人物が逆襲する。激しい近接戦闘の末、ナイフと首絞めの応酬の中で互いに正体に気づく——銃口の先にいるのは、二十数年ぶりに会う妹ヤレーナ・ベロワだった。ヤレーナは、レッド・ルームに育てられたまま「ウィドウ」として現役の暗殺者を続けており、直近の任務で別のウィドウから「赤いガス」を浴び、初めて自分が脳内化学的にドレイコフへの服従を強制されていた事実に気づいた。送られてきたヴィアルは、その「赤いガス」の対抗薬——他のウィドウたちにも投与すれば、洗脳から解放できる解毒剤である。
アパートには、地球規模で運用される未知の上空拠点「レッド・ルーム」の座標が記されている。ヤレーナはナターシャに、ドレイコフはもう何年も前に死んだのではなく、空中要塞のレッド・ルームから無数のウィドウたちに任務を出し続けていると説明する。ナターシャはかつて、ジェネラル・ドレイコフを暗殺する任務で彼の幼い娘アントニアごと建物を爆破したと信じ、その「子供を殺した罪」を引きずってアベンジャーズに身を投じた——だが、ドレイコフは生きている。
ブダペストのアパートにタスクマスターと、ウクライナのオレグ・モカードが率いる狙撃部隊が突入し、追走劇が始まる。屋根、階段、地下駐車場、最後はドナウ川沿いの石畳を駆け抜けるカーチェイス。ナターシャとヤレーナは互いの戦闘技術を即座に共有しながら、瀕死の崖っぷちで自由を勝ち取り、地下鉄で姿を消す。逃走の途中、ナターシャは「ホークアイがソコヴィア協定後ファームで自宅軟禁中である」と独白し、本作と『エンドゲーム』のあいだの物語的橋渡しも穏やかに張られる。
シベリアの刑務所——レッド・ガーディアン奪還
次にナターシャとヤレーナが向かうのは、シベリアのレッド・ルームの管轄下にある重警備刑務所。そこに収監されているのは、かつての「父親」アレクセイ・ショスタコフ——ソ連時代の超人兵士「レッド・ガーディアン」、キャプテン・アメリカと同等の血清強化を施された英雄である(と本人は信じている)。アレクセイは囚人の集団闘技で力を誇示しながら、二人の「娘」の到着に気づき、感極まる。
ヤレーナとナターシャは大規模な脱獄を仕掛ける。塔の砲台を奪い、看守の隊を制圧し、脱走囚を解き放った混乱に紛れて、ナターシャは雪原に降りるヘリコプターでアレクセイを引き上げる。雪と炎の中、増設の塔がすべて崩れる中、二人の娘が放った揺れる縄を、足をふらつかせるアレクセイがやっとの思いでつかむ——本作のアクションの中で最も比喩的に強い「家族の再会」の場面である。
アレクセイは「俺がドレイコフのもとへ連れて行ってやる」と豪語するが、実際には何十年もかつての配置から外れていて、レッド・ルームの居場所は知らない。彼が知っているのは、ただ一人——『母』だったメリーナ・ヴォストコフの現住所だけだった。三人はメリーナの住むサンクト・ペテルブルク郊外の養豚場へ車を走らせる。
養豚場の偽家族——「ディナー」のテーブル
メリーナの「養豚場」は、表向きは廃ソフホーズで、内側ではドレイコフの委託でブタの脳にフェロモン抑止剤と従順性の生体研究を続けている、レッド・ルームの研究施設だった。メリーナは久しぶりの「家族」を、感情のないままディナーへ招き入れる。ロシア式の長いテーブルに、麻痺するほど辛い肉料理、ボトル一本のウォッカ、そして二十数年溜め込まれた言葉。
アレクセイが「俺はキャプテン・アメリカと戦った、年代的にもう不可能だがそれは置いておこう」と過去を盛りに盛って自慢する隣で、ヤレーナはずっと愛着を持ち続けていた「自分が編んだベスト」(ハンガリーで殺した暗殺者から拾った戦術用ベスト)の話をする。ナターシャは「あなたがた全員が私たちを利用したと知っている、それなのにあの三年間が偽物だったとは私はどうしても思えない」と告げ、メリーナは初めて目を伏せる。家族と任務、本物と偽物、母性と恥が、テーブルの上で同時に問われる十数分間が本作の精神的中心である。
話のさなか、メリーナは静かに合図し、四人が囲んだテーブルの真下からドレイコフの兵団が四人とも捕縛する。表向きはアレクセイたちを「裏切り者として送り返す」、その実、メリーナ自身もドレイコフのもとに召喚されたうえで、四人ともレッド・ルームへ運ばれる手はずだった。
母の選択——空飛ぶ要塞へ
輸送機内、ナターシャとメリーナは身柄拘束のまま静かに会話する。メリーナは「私はあなたを救えなかった、それを今までずっと正当化するために、ブタの神経を切る研究を続けてきた」と独白し、ナターシャは「あなたは今からでも、まだ何かを変えられる」と応じる。「変える」という言葉を、メリーナはここで初めて自分の動詞として引き受ける。
輸送機が雲を抜けて到達した「レッド・ルーム」は、地球の高度成層圏に浮かぶ全長一キロ近い空中要塞だった。エンジン推進と気球の混成構造で、ドレイコフはそこから世界中のウィドウたちに任務を出し続けている。要塞内の中央広間では数十人のウィドウが整列し、彼女たちは外見ばかりはレッド・カーペットの女優のように整えられているが、皆「ドレイコフの呼気フェロモン」によって、彼に決して逆らえない化学的な縛りを受けている。
メリーナは表面上はドレイコフへ降伏しつつ、密かにナターシャと衣裳と顔つきまで入れ替わる。レッド・ルームへ運ばれた「ナターシャ」は実はメリーナ自身であり、「メリーナ」のフリをして処分室へ送られた本物のナターシャは、上部構造の指揮室まで自力で到達する。
アレクセイは個別に身柄を切り離されてレッド・ルームの拷問室へ。彼はそこで、初めて「レッド・ガーディアン」の本当の役割——キャプテン・アメリカと張り合うどころか、ソ連解体後はずっとドレイコフの売名広報の道具に過ぎなかった事実——を、皮肉そうな看守の口から告げられ、初めて自分が信じてきた人生に深く傷を負う。
ドレイコフ戦と「鼻を折る」決断
ナターシャはついに最上層の指揮室へ踏み込み、ドレイコフと対面する。だがいくら銃や刃を構えても、ドレイコフのフェロモン制御が脳幹レベルで彼女の運動神経を遮断し、引き金が引けない。彼が呼吸を吹きかけるだけで、世界のどのウィドウも、彼に対しては手を上げられない。
ナターシャは、ドレイコフがかつての爆発で生き残った代償として、顔面の神経損傷を抱えていることをヤレーナの情報から知っていた。彼は嗅覚を完全に遮断するわけにいかず、そのフェロモンの作用は、対象側の鼻腔と神経が「通常通り機能していること」を必要とする。彼女は身を屈め、机の角に思い切り顔面をぶつけて、自らの鼻骨を折る。激痛と血の中で初めてフェロモンの呪縛が外れ、ナターシャはドレイコフの机と書類の山を蹴り倒し、彼の顔面に拳を叩き込む。
「あなたは、私を作った人だ。だから、私が壊す」。短い宣言のあと、ドレイコフは「タスクマスターを呼べ」と命じる。鎧の中から現れたタスクマスターの顔をナターシャが剥がしたとき、その下にあったのは——若き日のナターシャがブダペストで爆殺したと信じていた、ドレイコフの娘アントニアの、左半面が損傷したままの顔だった。ナターシャの長年の罪悪感は事実ではなかった。アントニアは生き延び、父親の手で完全な思考的人形に作り替えられていたのだ。
要塞崩落——空からの脱出
ヤレーナはメリーナのN-1機で要塞へ突入し、機体ごとブリッジへ激突させて推進部に致命的な損傷を与える。メリーナは要塞のシステム室に潜り込み、ウィドウたち全員へ自動配給される「赤いガス」の解毒剤——届けたい姉が運んできてくれていたヴィアル——を、空調を逆流させて全室に散布する。世界中の現役ウィドウたちはここで一斉に化学的縛りから解かれ、自分の意思を取り戻す。
崩落する要塞の中、ナターシャはドレイコフを脱出ポッドの軌道へ追い込み、ジェット推進の燃焼で焼き殺すという結末を選び取る。要塞は分解しながら大気圏へ落下し、雲のなかで巨大な金属の花のように散る。ヤレーナの機が縁を切り、ナターシャは要塞の崩れる構造を高度数千メートルから飛び下り、地表へ向けて落下しながら、解放されたウィドウたちのパラシュート展開と、世界各地で目を覚ます同胞たちの一斉アクションを目で追う。
タスクマスター/アントニアにナターシャは「あなたはもう私を追わなくていい、私たちが連れて帰る」と告げる。アントニアは戸惑いながら、解放された他のウィドウたちと共に地上へ降りる。雪原の地表で立ち上がった四人は、もう「家族のフリ」を演じない、ただの四人の人間として再び集う。
2週間後と、二つのクレジット・シーン
数週間後、ノルウェー海岸の崖の上。ナターシャは髪を明るく染め直し、新しい身分証と、ロス長官の専用車を手配人メイソン経由で「借りた」キャラバンを受け取る。「世界のウィドウを全員、それぞれの家族へ返した」とメイソンに報告し、「次はあの家族のところへ行く」と告げる。彼女が向かう先は、自宅軟禁中のクリント・バートン——「ホークアイ」のいる農場である。これでナターシャは『インフィニティ・ウォー』冒頭で自然に彼の隣に立つ準備を整え、本編は閉じる。
本作の特徴的な点として、ミッドクレジットを設けず、ポストクレジット・シーンを一本だけ、しかも『エンドゲーム』のあと——つまりナターシャがすでに死んだあとの時間軸に置いている。雪のオハイオの墓地で、ヤレーナがナターシャの墓前に立っている。そこへ高級SUVで現れる、シャネル風スーツの白髪混じりの中年女性——ヴァレンティーナ・アレグラ・デ・フォンテーヌ伯爵夫人(ジュリア・ルイス=ドレイファス)。
ヴァレンティーナはヤレーナに「あなたの次のターゲットだ」と一枚の写真を渡す。クリント・バートン——ホークアイ。「あなたのお姉さんを殺した男だ」と、明らかに真実を歪めた挑発でヤレーナを煽る。ヤレーナは無表情のまま写真を握りしめ、姉の墓を最後に振り返って雪のなかへ消える。Disney+のドラマ『ホークアイ』(2021)へ直接接続する仕掛けで、本作はマルチバース・サーガの伏線網の一端を、家族劇の余韻のすぐ脇に置いてみせる。
登場要素
本作は超能力者やコズミックな勢力をほぼ排し、ブラック・ウィドウ・プログラムとそれに関わる人物・道具・概念に絞って構築されている。以下は主要な人物・場所・道具・組織の整理である。
主要人物
- ナターシャ・ロマノフ/ブラック・ウィドウ(スカーレット・ヨハンソン)
- ヤレーナ・ベロワ(フローレンス・ピュー)
- アレクセイ・ショスタコフ/レッド・ガーディアン(デヴィッド・ハーバー)
- メリーナ・ヴォストコフ(レイチェル・ワイズ)
ヴィラン
- ジェネラル・ドレイコフ(レイ・ウィンストン)
- タスクマスター/アントニア・ドレイコフ(オルガ・キュリレンコ)
サポート
- リック・メイソン/調達役(O・T・ファグベンル)
- サディアス・E・ロス国務長官(ウィリアム・ハート)
- ヴァレンティーナ・アレグラ・デ・フォンテーヌ伯爵夫人(ジュリア・ルイス=ドレイファス)※ポストクレジット
- オレグ・モカード(オーレ・ミカル・ロネスダル)
組織
- レッド・ルーム
- ブラック・ウィドウ・プログラム
- ソコヴィア協定下のアベンジャーズ(背景)
- SHIELD(言及)
- ロシア連邦軍/旧ソ連諜報機関
- 米国国務長官府
- (ポストクレジット)米国側の非公式な新組織
場所
- オハイオ州・郊外住宅(1995)
- キューバ・ハバナ(1995)
- ノルウェー海岸の隠れ家
- ハンガリー・ブダペスト
- シベリア・極東の重警備刑務所
- サンクト・ペテルブルク郊外の養豚場
- レッド・ルーム(空中要塞)
- (ポストクレジット)アメリカの墓地
アイテム・技術
- 赤いガス(ウィドウへの服従誘導剤)
- 解毒剤の透明なヴィアル
- タスクマスター用の動作解析ヘッドギア
- ドレイコフのフェロモン呼気装置
- レッド・ガーディアンの盾とコスチューム
- ウィドウ・スティング電撃
- ウィドウ・バイト
- ヤレーナの戦術ベスト(「ポケットがいっぱい」)
能力・概念
- 強化暗殺者の身体能力
- 心理的トリガー条件付け
- 他者の戦闘パターンの即時模倣
- フェロモンによる神経的服従
- 上空滞空型の浮遊要塞
- 脱洗脳のための化学的解放
- 偽家族として組成された潜入チーム
ポストクレジット要素
- ヤレーナがナターシャの墓を訪ねる
- ヴァレンティーナ伯爵夫人の初登場
- 次のターゲットとしてクリント・バートン/ホークアイの写真
主要登場人物
本作の人物構成は、姉と妹、父と母、敵と娘という三組の「偽の家族関係」が、二つの時間軸で互いに鏡映しになる構造で組まれている。ヒーローと敵という単純な対立ではなく、それぞれの登場人物が「自分を作った者と、もう一度向き合う」という同じ主題を、別の角度から担っている。
ナターシャ・ロマノフ/ブラック・ウィドウ(スカーレット・ヨハンソン)
『アイアンマン2』(2010)でSHIELDのナタリー・ラッシュマンとして登場して以来、約10年ぶりにナターシャ単独主演となった。本作の彼女は、いつものMCUの「最年長の元工作員、班の良心」ではなく、もっと若くて、傷つきやすく、まだ「自分が誰なのか」を確かめている過渡期の人物として描かれる。仲間と離れ、装備も落とし、ホテルでもなくトレーラー・ハウスに身を隠す姿は、シリーズで観てきたナターシャの「歴史以前」を埋めるためのデザインである。
鼻を折って自らフェロモン制御を断つ場面は、本作のナターシャを象徴する身体行為である。武器でも超能力でもなく、痛みを引き受ける選択によって、彼女は自分の身体を「ドレイコフのものから自分のものへ」取り戻す。アベンジャーズになる前のナターシャがすでに、痛みを引き受けて自由を選び取る人物であったと提示するこの一場面は、後年のヴォーミアでの自己犠牲とまっすぐ繋がる。
演じたスカーレット・ヨハンソンは本作の製作総指揮も兼任し、企画初期からエリック・ピアソンらと脚本会議に同席している。ナターシャの結末を『エンドゲーム』で迎えてからこの単独作を撮るという、ヒーロー映画ではきわめて珍しい順序のなかで、彼女自身が「キャラクターの離別の儀式」をスクリーン上で行う立場に立った一作である。
ヤレーナ・ベロワ(フローレンス・ピュー)
1995年に幼児としてオハイオの「家族」へ配置され、その後ナターシャと離別したまま、レッド・ルームで現役のウィドウとして育った妹。本作のもう一つの主人公であり、観客の多くにとって最大の発見となった人物である。彼女の戦闘技術はナターシャと並ぶか上回り、皮肉や毒舌のセンスはアメリカ仕込みの姉とはまったく違う、自分のものだ。
ヤレーナを特徴づけるのは、戦士としての強さよりも、「自分が好きなものを、自分の意思で好きと言える」感情の手触りである。彼女が「ポケットがたくさんあるベスト」を本気で気に入っている描写、姉の「ヒーロー」のポーズを馬鹿にしながら密かに真似ているくだり、シベリアの収容所で殺気立ったまま豚に話しかけるくだりは、コミカルに見えて、レッド・ルームに完全に飲み込まれることを免れたヤレーナの内面を支えている。
本作の興行と批評上の最大の収穫は、フローレンス・ピューのこの演技がほぼ満場一致で称賛され、彼女がMCUの次世代「ブラック・ウィドウ枠」を引き継ぐ位置に立ったことである。Disney+の『ホークアイ』(2021)、『サンダーボルツ*』(2025)と続けてフローレンス・ピューはヤレーナを演じ、ナターシャ亡きあとのMCUの「家族」の中心の一人になっていく。
アレクセイ・ショスタコフ/レッド・ガーディアン(デヴィッド・ハーバー)
ソ連時代の超人兵士「レッド・ガーディアン」。本人の主張ではキャプテン・アメリカと張り合う英雄として戦った世代だが、年表的にもキャラクター上もそれは大幅に「盛られている」自己神話で、実態はソ連解体後ほとんど活躍の場のないまま、ドレイコフの広報用ヒーローとして消費されていた。
本作のアレクセイは、笑いと痛みの両方を一手に担う人物である。窮屈なコスチュームの腹回りを家族にからかわれ、「キャプテン・アメリカを倒した話」を何度も語ろうとして家族全員に止められる。だが彼の自慢話の裏側で、観客にも娘たちにも痛々しいほど明らかになっていくのは、二十数年の「英雄不在の時間」が、この男を内側から空洞化させていたことである。
終盤、レッド・ルームの拷問室で「俺の人生は何だったんだ」と問うアレクセイの姿は、本作の家族劇に静かな重さを与える。最終的に彼は娘たちと並んで戦う場所を選び取り、自分の力で「父親であろうとする」終わり方を引き受ける。デヴィッド・ハーバーの過剰なほどの熱演が、滑稽さと哀しさを画面の上で同居させた。
メリーナ・ヴォストコフ(レイチェル・ワイズ)
前世代のブラック・ウィドウであり、レッド・ルームの生体研究を支える科学者でもあるメリーナは、本作のもっとも複雑な登場人物である。1995年に少女たちの「母」を演じ、その後二十数年、ドレイコフのために豚の脳神経の従順化研究を続けてきた彼女は、表面上は冷たく、感情の見えにくい女性として登場する。
だがディナーの席でメリーナがふと漏らす「あなた方は私の人生で一番、本物に近いものだった」という一節は、彼女が長年、自分の罪を直視しないために職業に逃げ込んできた人間であることを明らかにする。輸送機内でナターシャに諭され、自らの身柄を「ナターシャの代わりに」要塞へ差し出す選択は、母としてではなく、ようやく自分の意思で動く一人の女として彼女が取った最初の判断である。
レイチェル・ワイズの抑制された演技は、アレクセイの過剰な熱量と完全に対をなし、本作の家族関係に大人の重みを与える。母親が母親役を演じる、ということが、レッド・ルームのもとでは何だったのか——その問いに答えようとした人物像である。
ドレイコフとタスクマスター/アントニア
ジェネラル・ドレイコフ(レイ・ウィンストン)は、本作の絶対的な悪役にして、もっとも視覚的には地味な敵である。彼の脅威は派手な能力ではなく、フェロモン呼気と心理条件付けによって世界中の暗殺者を自分のために動かす、まさに「人を作って消費する」官僚的暴力そのものに置かれている。レイ・ウィンストンの低く滲んだ訛りと、決して語気を荒げない振る舞いが、彼を悪役らしい派手さなしに最後まで気持ちの悪い存在に留めた。
タスクマスターは、コミックではトニー・マスターズという男性のキャラクターとして長く描かれてきた。本作はこれをドレイコフの娘アントニアに置き換え、彼女自身が父の手で「失ったすべて」を象徴する装置として作り替えられた存在として再構築している。原作ファンの一部からはこの改変に批判もあったが、本作の家族劇の主題のなかでは、タスクマスターの正体が血の繋がった「もう一人の娘」であることが、ナターシャ自身の長年の罪悪感(「私は子供を殺した」)を直接覆すという仕掛けとして強く機能する。
終盤、解放されたアントニアが姉妹たちと並んで地表に立つ姿は、本作のヴィランの末路としてはきわめて静かであり、「彼女もまた被害者だった」という主題を画面で完結させる。
メイソン、ロス、ヴァレンティーナ——周縁の人物群
リック・メイソン(O・T・ファグベンル)は元SHIELDの調達人で、逃亡中のナターシャの装備・移動・偽造書類を裏で全て面倒見る相棒的存在である。シリーズに公式に登場するのは本作が初めてだが、ナターシャとの関係の親密さや軽口の応酬から、彼女の「アベンジャーズ以前の時間」に存在し続けてきた人物として描かれる。
サディアス・E・ロス国務長官(ウィリアム・ハート)は『シビル・ウォー』からの続投で、本作のラストでナターシャによって専用車を「借り受けられる」滑稽な被害者として顔を出す。本作はウィリアム・ハートのMCU最後の出演作の一つにあたり、彼は2022年に逝去した。
そしてポストクレジットの主役、ヴァレンティーナ・アレグラ・デ・フォンテーヌ伯爵夫人(ジュリア・ルイス=ドレイファス)は、本作で初登場する。次の登場はDisney+の『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』(2021)終盤と『サンダーボルツ*』(2025)へ続き、MCUのフェーズ5以降を裏で動かす「ニック・フューリーの裏面像」として育てられていくキャラクターである。本作のポストクレジットは、その始まりの一手にあたる。
舞台と用語
舞台は1995年のオハイオ州とハバナを起点に、2016年のノルウェー、ハンガリー、ロシア・シベリア、サンクト・ペテルブルク郊外、そして地球の成層圏に浮かぶ空中要塞「レッド・ルーム」を巡る、地理的にも極めて広い物語である。各場所はそれぞれ「家族のはじまり」「逃亡者の隠れ家」「姉妹の再会」「父の救出」「母との対面」「敵との決着」という、物語の段階を一つずつ担っている。
中心の用語は二つ。「ブラック・ウィドウ・プログラム」は、レッド・ルームが幼少期から行ってきた女性暗殺者の大量養成計画を指す。子宮摘出、心理条件付け、戦闘訓練、現役期間の延命策まで、彼女たちは「ドレイコフの兵器」として運用された。もう一つの「赤いガス」は、ナターシャの世代以降に追加された化学的服従制御で、対応薬であるヴィアルの一滴で意識を取り戻せる。本作の解放は、いわばこの「赤いガス」への対抗薬を世界中のウィドウへ届ける物語と言い換えられる。
ドレイコフ個人を縛るフェロモン呼気は、嗅覚遮断によって「人を直接殴れない」状態を作るシステムである。ナターシャが自らの鼻を折るのは、神経医学的な意味でも極めて筋の通った解除手段として設計されており、能力バトルではない「身体への投資」が本作のアクションの肝になっている。
制作
本作の制作は、ナターシャ・ロマノフという一つのキャラクターを巡って、約十年にわたるファンの単独主演要望と、マーベル・スタジオの企画優先順位、そしてCOVID-19という外的事象が重なりあった、特殊な経緯をたどる。
企画と脚本
ブラック・ウィドウの単独映画は『アイアンマン2』登場直後の2010年から繰り返し検討されてきたが、マーベル・スタジオが正式に企画を動かしたのは2018年で、ジャック・シェイファーが原案、その後エリック・ピアソンが脚本第一稿を執筆した。シェイファーは後にDisney+ドラマ『ワンダヴィジョン』のショーランナーとなる作家、ピアソンは『ソー:ラグナロク』『ブラック・ウィドウ』『サンダーボルツ*』とフェーズ3後半以降のマーベルで重用されている脚本家である。
脚本の最大の決断は、宇宙的・神話的なスケールを意識的に避け、レッド・ルームと家族劇の「閉じた小さな物語」として本作を組んだことだった。並行してDisney+で展開する『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』『ロキ』『ワンダヴィジョン』などが、宇宙・多元宇宙・国家規模の事件を担当するなかで、本作は「逃亡者一人の数週間と、四人の家族の決着」という最小単位を引き受ける。
キャスティング
ナターシャ役のスカーレット・ヨハンソンは『アイアンマン2』から続投し、本作では製作総指揮も兼任した。ヤレーナ役のフローレンス・ピューは、『ファイティング・ファミリー』『ミッドサマー』『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』の三作で世界的に名を上げた直後にオファーを受け、約400組の候補の中からほぼ満場一致で抜擢されたとされる。
アレクセイ役のデヴィッド・ハーバーは『ストレンジャー・シングス』のホッパー署長役で世界的な人気を獲得した直後の起用で、本作のために大幅な増量とロシア訛りの長期トレーニングを行った。メリーナ役のレイチェル・ワイズは、ヨハンソン本人からの直接の口説きで参加が決まったと公表されている。ドレイコフ役のレイ・ウィンストンとタスクマスター/アントニア役のオルガ・キュリレンコは、特殊な物理性とロシア圏の俳優のリアリティを買われて起用された。
撮影とロケ地
主要撮影は2019年5月から10月にかけて行われ、英国・パインウッド・スタジオを拠点とした。ノルウェー北部の海岸線のシーンはノルウェーで現地ロケが行われた。ブダペストのカーチェイスは実際にハンガリー・ブダペストの旧市街と橋梁周辺で大規模に行われ、撮影部隊は数週間にわたって市内の主要道路を封鎖した。
シベリアの収容所、養豚場、空飛ぶレッド・ルームの内部などはパインウッドおよびその近郊で大規模なセット撮影として組み上げられている。ヘリコプターからの落下、車のロール、雪原での乱戦などは可能な限り実地スタント中心で撮影され、ヨハンソンとピューはともに数か月の格闘・パルクール・武器訓練を経たうえで撮影に臨んだ。
撮影監督ガブリエル・ベリスタンは、極寒地と陽光の強いキューバ、そして青みを抑えた室内灯のロシア郊外を、いずれも視認性を犠牲にせず温度感を映す形で撮り上げた。MCUのスペクタクル映画として珍しく、画面の多くが地に足のついた質感に保たれている。
視覚効果
視覚効果はIndustrial Light & Magic(ILM)、Method Studios、Rise FX、Cinesite、Trixter、Lola VFXら複数のスタジオが分担した。中心はレッド・ルーム空中要塞の構造設計と崩落のシミュレーションで、約一キロ級の構造物が成層圏で分解し、雲を突き抜けて落下する一連の画作りはILMが主に担当している。
タスクマスターのヘッドギア越しの「他者の動き解析」描写は、視認性のためにあえて目線の青色グラフィックを画面前面に表出する方向で設計された。ナターシャがホークアイの射撃姿勢を「読まれる」一瞬の編集と合成が、本作のキャラクター描写としても象徴的に機能している。
音楽と音響
作曲はローン・バルフ。スコットランド出身、ハンス・ジマーのリモート・コントロール・プロダクション出身で、『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』『13時間 ベンガジの秘密の兵士』などで知られる。本作では大編成のオーケストラと、ロシア圏の民族楽器、そしてエレクトロニカを統合し、ナターシャの孤独な低音テーマと、レッド・ルームの非人間的なリズムを同じスコアの中で書き分けた。
象徴的な楽曲使用として、オープニングのオハイオ脱出シークエンスから1995年のレッド・ルーム入所アーカイブにかかる、シンガーマリア・Jによるニルヴァーナ「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」の悲しいピアノ・カバーがある。原曲の反抗的なギターを完全に剥ぎ取り、子供のような無防備な歌唱だけを残したこのカバーは、レッド・ルームに送り込まれる無数の少女たちの映像と重なって、本作の倫理的トーンを序盤で決定する。
編集とポストプロダクション
編集はリー・フォルサム・ボイドとマシュー・シュミットが共同で担当した。134分の上映時間のなかで、二つの時間軸とハンガリー・ロシア・ノルウェー・米国の地理を切り替えながら、観客の感情線を切らさない構成は、編集段階での試行錯誤の産物である。
公開直前の2020年3月、COVID-19の感染拡大により公開が無期限延期され、最終的に2021年7月までずれ込んだ。延期期間中に上映時間や場面の細部に微調整が行われ、ポストクレジットに登場するヴァレンティーナ伯爵夫人の場面は、本作を「ナターシャの後日譚」として位置づける装置として最終形に向けて練り直された。
公開と興行
公開戦略は、COVID-19パンデミックによって完全に書き換えられた。当初2020年5月1日に北米劇場でフェーズ4の幕開けとして公開予定だった本作は、感染拡大により2020年中の三度の延期を経て、最終的に2021年7月9日(北米)・7月8日(日本)公開となった。並行してディズニーは、Disney+の有料追加プログラム「プレミア・アクセス」(追加29.99米ドル)での同日配信を発表した。
劇場興行は北米約1.83億ドル、海外約1.96億ドルで、全世界興収は約3.79億ドル(劇場のみの集計)。パンデミック下の興行としては当時の高水準だが、製作費約2億ドル+宣伝費を踏まえると、純粋な劇場興行のみでの黒字化はぎりぎりの線にとどまる結果だった。Disney+プレミア・アクセスでの収益は公開初週末で約6,000万ドルと公表され、公式集計の劇場収入には含まれていない。
この劇場・配信同時公開を巡って、スカーレット・ヨハンソンは「契約上、劇場収入に紐づく出演料の取り分が損なわれた」としてディズニーを提訴し、2021年9月に和解した。本件は、コロナ禍の配信並行公開がハリウッドの俳優契約に与えた具体的な衝撃の代表例として、業界の契約モデルの見直しを促した。
批評面では、ロッテン・トマトの批評家評は約8割の好意的評価で、フローレンス・ピューの演技と家族劇としての着地、ケイト・ショートランドの細やかな演出が広く称賛された。一方で、敵のスケールが控えめである点や、ナターシャ亡き後に単独映画を作る順序の不自然さを指摘する声も同時に存在した。
批評・評価・文化的影響
本作の文化的影響は、興行成績よりも、シリーズ運営と俳優契約の側に強く現れた。第一に、Disney+との同時公開という極端な公開形態を通じて、本作はパンデミック後のスタジオ大作と配信の関係性を再定義するケーススタディとなった。続く『ジャングル・クルーズ』(2021)以降、ディズニーは劇場と配信の並行モデルを部分的に継続したが、2022年以降は再び劇場優先へ揺り戻していく。
第二に、本作はフローレンス・ピューのヤレーナを通じて、MCUにとって貴重な「ナターシャ後の新しいウィドウ像」を確立した。ヤレーナはDisney+の『ホークアイ』、続いて『サンダーボルツ*』へとシームレスに引き継がれ、シリーズの「家族」概念の核心の一人として位置を固める。
第三に、フェーズ4以降のMCUが「家族と継承」を全体の主題に据える起点として、本作は重要な記憶を残した。『シャン・チー/テン・リングスの伝説』、『エターナルズ』、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』、『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』など、フェーズ4の中核作品はそれぞれ「親と子」「兄弟」「先代と後継」の物語を持っており、本作はその先頭を切る位置にいる。
舞台裏とトリビア
オープニングのオハイオ脱出と、レッド・ルーム入所アーカイブに重ねて流れる「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」のピアノ・カバーは、シンガーソングライターのマリア・Jによるレコーディング版である。原曲はニルヴァーナ/カート・コバーンの代表曲(1991)で、本作の物語が「ナターシャと同世代の少女たちが連れ去られた時代」の入口であることを、音楽だけで観客に伝える役割を持っている。
デヴィッド・ハーバーは、レッド・ガーディアンの体型をパロディとして見せるために約14kgの増量を行い、コスチュームの「腹回りがきつい」滑稽さを物理的にも引き受けた。彼の演じる「英雄として老いた男」の哀しみは、増量を含めた身体の準備抜きには成立しなかった。
ブダペストのカーチェイスでは、現地ハンガリー警察の協力のもと、ドナウ川沿いの主要橋梁が複数日にわたって閉鎖された。撮影終盤に出てくるバイク・スタントの大部分は、フローレンス・ピューとスカーレット・ヨハンソンの両者によるスタント部隊との混合撮影として行われている。
ポストクレジットでヤレーナを訪ねる「ヴァレンティーナ・アレグラ・デ・フォンテーヌ伯爵夫人」は、長年コミックでニック・フューリーの恋人にして二重スパイとして描かれてきた人物の翻案である。本作と、同年5月配信の『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』最終話を起点に、MCUは彼女を新組織「サンダーボルツ」の召集者として育てていく。
本作はウィリアム・ハートが演じたサディアス・E・ロス国務長官の最終出演作のひとつにあたる。ハートは2022年3月に逝去し、ロスは後年『キャプテン・アメリカ/ブレイブ・ニュー・ワールド』(2025)でハリソン・フォードに引き継がれ、サンダーボルト・ロス大統領として再登場した。
テーマと解釈
中心の主題は、選び取られた家族と、自分を作った者との決着である。ナターシャとヤレーナ、アレクセイとメリーナの四人は血縁ではなく、配置された任務によって作られた偽の家族だった。だが本作は、偽物だからこそ、もう一度自分の意思で選び直せるものとして家族を描く。ディナーの食卓で交わされる感情の整理と、空飛ぶ要塞からの落下を経て、四人は「演じる家族」から「選び取る家族」に変わる。
もう一つの軸は、女性の身体に対する制度的暴力と、それを身体ごと拒否する決断である。レッド・ルームのウィドウたちは子宮摘出と心理条件付けを通じて「人」ではなく「兵器」として運用される。本作の最後にナターシャが自らの鼻を折ってフェロモン縛りを断ち切るのは、自分の身体が他者の制御下にあることを、自分の身体への痛みで撃ち破る象徴的な動作である。本作の暴力描写の手触りは、しばしば残酷だが、最も強い暴力は敵に対してではなく自分自身に対して向けられる。
三つ目の軸は、罪悪感の検証と解放である。ナターシャはこれまでのシリーズで一貫して「私のレッジャー(過去帳簿)は赤で染まっている」と言い続けてきた。その帳簿の中心にあったのは、ドレイコフの娘を殺したという確信であった。本作はその罪悪感が事実ではなかったこと、しかしそれを抱えてきた長年は彼女自身の人格の一部であったこと、その両方を肯定する。ヴォーミアでの自己犠牲が「無垢な英雄の死」ではなく、長く苦い検証の末の選択であったことを、本作は遡って肯定する役割を持っている。
視覚的には、白い雪と血の赤、家庭の温色とレッド・ルームの冷色、家族の食卓と兵器化された並列の少女たち——本作の対比は終始素朴だが、その素朴さがスーパーヒーロー映画としては逆に新しい誠実さを生んでいる。
見る順番(補助)
本作はMCUのなかでも珍しく、製作・公開順と物語内時系列が大きくずれている。製作順で見ればフェーズ4第1作だが、物語内では『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016)直後と『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(2018)の前に挟まる。
初見のおすすめは公開順で、まず『シビル・ウォー』を観て本作を観てから、『インフィニティ・ウォー』『エンドゲーム』へ進むやり方である。ポストクレジットだけは『エンドゲーム』後を舞台にしているので、『エンドゲーム』までを履修したあとに本作のポストクレジットを見直すと、ヤレーナの動機がより腑に落ちる。
Disney+のドラマ『ホークアイ』(2021)は本作のポストクレジットから直接続いており、ヤレーナの物語をさらに深く知りたい場合はこちらを観るとよい。さらに『サンダーボルツ*』(2025)まで進むと、本作で生まれた人物配置の伏線がほぼ全て回収される。
- 前作『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』でナターシャが指名手配される
- 本作ノルウェー潜伏/姉妹再会/レッド・ルーム壊滅
- 次作『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』でナターシャがホークアイ以外の旧仲間と合流
- 後日譚『エンドゲーム』後にヤレーナがホークアイ狙撃を引き受ける(→『ホークアイ』『サンダーボルツ*』)
よくある質問(補助)
「あらすじだけ知りたい」場合は、1995年に偽家族を演じた四人がそれぞれの場所で生き別れ→2016年にナターシャとヤレーナが再会→アレクセイを脱獄させメリーナと合流→空飛ぶレッド・ルームでドレイコフ撃破→ウィドウ世界解放、という流れを押さえれば十分である。「結末・ネタバレを知りたい」場合は、ナターシャが自分の鼻を折ってフェロモン縛りを破る場面、タスクマスターの正体が生き延びていたドレイコフの娘アントニアであること、そしてポストクレジットでヤレーナがクリント・バートン狙撃を引き受けるところまでが核となる。
「評価を知りたい」場合は、批評からはフローレンス・ピューの発見と家族劇としての着地が高く評価され、興行では劇場・Disney+同時公開という前例のない事情と、ヨハンソン×ディズニーの契約係争を抱えた一作であった、と整理できる。「見る順番」では、物語的には『シビル・ウォー』直後、『インフィニティ・ウォー』直前。ポストクレジットだけは『エンドゲーム』後を見越して観ると意味が増す。
参考資料・脚注
作品名、キャラクター名、画像、各種権利はそれぞれの権利者に帰属する。公開年・興行・配信状況・外部評価は変動しうるため、視聴前に公式および各データベースの最新表示を確認されたい。本記事の本文は各種公開情報をもとに、Anna Movies用の独自の日本語文章として構成している。
参照・確認先
公式画像、作品名、キャラクター名、権利は各権利者に帰属する。公開年、配信状況、外部評価は変わる場合があるため、視聴前に公式・配信元・作品データベースで確認したい。