『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』は、2022年公開のアメリカのスーパーヒーロー映画である。サム・ライミが監督を務め、多元宇宙(マルチバース)を渡る少女アメリカ・チャベスを守るストレンジと、ダークホールドに汚染され彼女の力を狙うワンダ・マキシモフの戦いを描く。マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)第28作かつフェーズ4に属し、シリーズ初の本格的なホラー色を帯びた作品として知られる。
00概要
『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』(Doctor Strange in the Multiverse of Madness)は、サム・ライミが監督、マイケル・ウォルドロンが脚本を手がけたアメリカのスーパーヒーロー映画である。製作はマーベル・スタジオ、配給はウォルト・ディズニー・スタジオ・モーション・ピクチャーズ。MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)通算28作目、フェーズ4の第8作にあたり、マルチバース・サーガの第一段階を形作る重要作の一つだ。米国公開は2022年5月6日、日本ではそれに先立つ5月4日に劇場公開された。
本作は、ベネディクト・カンバーバッチが二度目の主演を務める『ドクター・ストレンジ』(2016)の単独続編であると同時に、エリザベス・オルセン演じるワンダ・マキシモフ/スカーレット・ウィッチの物語をDisney+ドラマ『ワンダヴィジョン』(2021)から正面で引き継ぐ続編でもある。ストレンジは『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』『エンドゲーム』『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』を経て、サンクタムから多元宇宙の管理人として銀河を見守る立場にあった。一方のワンダは、ヘックスを解除しウェストビューを去ったあと、人里離れた山中の農家で禁断の魔導書『ダークホールド』と独り対峙していた。この二人の地点を一本に結んだのが本作である。
監督のサム・ライミは『死霊のはらわた』三部作と、ソニー版『スパイダーマン』三部作(2002–2007)の作り手であり、2013年の『オズ はじまりの戦い』以来、約10年ぶりの長編メガホンとなった。マーベル・スタジオは前任のスコット・デリクソンと「クリエイティブな差異」を理由に別離したのちにライミを起用し、ホラー演出、ダッチアングル、1人称POVの強引な速度、死霊が画面外から這い寄る恐怖の作法を、MCUに本格導入することを認めた。脚本のマイケル・ウォルドロンはDisney+ドラマ『ロキ』第1シーズンのヘッドライター出身で、TVA(タイム・ヴァリアンス・オーソリティ)と多元宇宙の概念をMCUに持ち込んだ当人でもある。
本記事は、シュッツアルター宇宙の冒頭、クリスティーンの結婚式、ワンダの正体露見、カマー・タージ襲撃、Earth-838のイルミナティ皆殺し、ドリームウォーキングと屍体の操作、ヴェスパティリアン山頂でのワンダ自滅、ストレンジの第三の眼開眼、そして二本のポストクレジットまで、結末を含めたすべてのネタバレを前提に書いている。物語の驚きを保ちたい読者は、まず本編を観てから戻ってきてほしい。
主要データ
- 原題
- Doctor Strange in the Multiverse of Madness
- 監督
- サム・ライミ
- 脚本
- マイケル・ウォルドロン
- 原作
- マーベル・コミック『ドクター・ストレンジ』
- 音楽
- ダニー・エルフマン
- 撮影
- ジョン・マシソン
- 米国公開
- 2022年5月6日
- 上映時間
- 126分
- ジャンル
- スーパーヒーロー、ダーク・ファンタジー、ホラー、マルチバース
01あらすじ
以下は、結末と二本のポストクレジット・シーンを含む全編のあらすじである。宇宙のあいだを渡り歩く能力を持つ少女アメリカ・チャベスをめぐり、ドクター・ストレンジは多元宇宙を逃れながら、敵として完全に牙をむいたワンダ・マキシモフ/スカーレット・ウィッチと対峙していく。
シュッツアルター宇宙の冒頭
映画は、見たこともない別宇宙の、蒼く歪んだ風景から幕を開ける。長い髪を結んだストレンジ——後にディフェンダー・ストレンジと呼ばれる別宇宙の変異体である——が、ポニーテール姿の十代の少女アメリカ・チャベスとともに、半透明の足場が宙に浮かぶ崩れかけた空間を駆け抜けていく。背後から迫るのは、巨大な単眼の悪魔。その触手が、星形のオーブを掴もうと伸びてくる。
悪魔が狙うのは、アメリカが胸に宿した力だ。恐怖を引き金に、無作為に多元宇宙の扉を開いてしまう、星形の青いエネルギーである。アメリカを守りきれないと悟ったディフェンダー・ストレンジは、彼女の力ごと自分に移そうと短刀を抜く。「君を救うには君の力を奪うしかない」——そう告げて襲い掛かろうとした瞬間、アメリカは恐怖のあまり偶然開いた扉から、彼を別の宇宙へと飛ばしてしまう。ディフェンダー・ストレンジは悪魔の触手に貫かれて絶命し、アメリカの星形のオーブだけが、どこか別の世界へと落ちていく。
アメリカが落ちた先は、Earth-616——本編のメイン宇宙となる、ストレンジたちの世界だ。場所はニューヨーク・マンハッタンの大通り。死んだはずのストレンジが、自分の宇宙とは違う服装と髪型で目の前に立っている。その混乱を、本作はオープニング・ナレーションに頼ることなく、夢の語法で観客の体へとそっと滑り込ませる。
クリスティーンの結婚式と一体目の悪魔
物語は数日後の朝、Earth-616のストレンジが見る夢から幕を開ける。長髪のディフェンダー・ストレンジとアメリカが悪魔から逃げ惑う光景が、断片となって彼の意識に流れ込んでくる。目覚めたストレンジはタキシードに身を包み、元恋人クリスティーン・パーマーの結婚式へと向かう。彼女が結ばれたのは同僚の医師チャーリーだった。「あなたは自分の幸せに踏み込めない人だから」——そう静かに告げられ、ストレンジは別れを受け入れる。MCUにおいてストレンジが、本当に「失った人」と言葉を交わす初めての場面である。
披露宴のさなか、街路でビルが裂け、目に見えない巨大な怪物が一台のタクシーを引きちぎる。ストレンジは正装のまま路上へ飛び出し、マントを召喚して戦いに身を投じる。怪物の正体は、シュッツアルター宇宙からやってきた悪魔——単眼の触手生物ガルガントスだった。狙うのは、逃げ惑う一人の少女アメリカ・チャベスである。やがて空中に開いたポータルからウォン(ベネディクト・ウォン)が降り立ち、二人で怪物を退け、街路を割ったアメリカの身柄を保護する。
混乱しながらも、アメリカは自らの素性を語り始める。自分は複数の宇宙を渡り歩いてきたこと、追手は黒魔術に操られた悪魔の使い魔であること、そして夢に現れたディフェンダー・ストレンジは、別の宇宙に実在したストレンジ自身であること。「夢とは、別の自分が生きた現実を覗く窓だ」——MCUが描くマルチバース観が、ここで本作の中軸として宣言される。
ワンダ訪問とスカーレット・ウィッチの正…
黒魔術に長け、悪魔召喚にも通じた魔術師に、ストレンジは一人だけ心当たりがあった。ウェストビューの一件のあと、人里離れた山中のリンゴ畑にひっそりと身を隠していたワンダ・マキシモフである。アメリカをカマー・タージにかくまわせる一方で、ストレンジはたった一人でワンダのもとを訪ねる。エプロン姿でリンゴをむいていた彼女は、双子の息子ビリーとトミーを夢のなかでしか抱けない苦しみを抱えながらも、ストレンジを家へと招き入れた。
おだやかに言葉を交わすうち、ストレンジは床に転がる小さな靴と、ビリーとトミーを描いた絵に、ふと違和感を覚える。決定的な一言が放たれたのは、彼が「悪魔召喚はしていないんだな」と念を押した直後だった——ワンダは静かに、それでいて少しも動じることなく「あの子はカマー・タージにかくまわれているのね」と口にする。ストレンジは、その場所を一度も明かしてなどいなかったというのに。
ここでワンダは仮面をかなぐり捨て、スカーレット・ウィッチとして正面から立ちはだかる。アメリカが多元宇宙を自在に渡れるのなら、その力を奪い取り、ビリーとトミーの存在する別の宇宙へ自分を送り込めばいい——『ワンダヴィジョン』の終盤で『ダークホールド』を手にした彼女は、世界を書き換えるその魔導書の力に取り憑かれ、すでに「母親としての権利」を取り戻すためなら手段を選ばぬ域に達していた。ストレンジはとっさに防御の陣を張るが、彼女のテレキネシスは桁が違う。ワンダの一撃でリンゴ畑の家は崩れ落ち、ストレンジはマントをはためかせ、カマー・タージへ警告を送るべく外へと飛び出していった。
カマー・タージの戦い
カマー・タージでは、ウォンが防衛態勢の構築にあたっていた。世界各地の聖域からマスターたちが召喚され、施設全体にヴィシャンティの守りの陣が幾重にも張りめぐらされる。ストレンジはアメリカに、悪魔召喚と多元宇宙の横断を記した禁書『ダークホールド』の存在を語り、ワンダがその力に取り憑かれているのではないかと、ここで初めて口にする。
ワンダがカマー・タージに現れる場面が、本作のホラー演出の出発点だ。門前に立った彼女は、最初に対峙した魔術師たちに直接手を下すのではない。心を読み、夢を見せ、相手の魔力を逆流させて自滅へと追い込む。テレキネシスで寺院の屋根を割り、スカーレットの紋で心臓を締めつけ、魔法符を爆ぜさせ、やがてヴィシャンティの守りそのものを一撃で破る——画面はもはやマーベル映画というより、サム・ライミ的な死霊絵巻に近い。
押し切られそうになったストレンジは、伝説の禁書『ヴィシャンティの書』に手を伸ばす。だがワンダが先回りして本そのものを破壊し、その選択肢を奪い去る。追い詰められたストレンジは、アメリカとともにカマー・タージの「鏡の次元」を抜けて別の宇宙へ逃れようとするが、その瞬間、アメリカ自身の力で——制御を失った彼女のパニックによって——望まぬまま別宇宙へと放り出される。残されたウォンは、ワンダに膝をつかされ、ダークホールドを祀る神殿、ヴェスパティリアン山頂への案内を強要されて連れ去られていく。
Earth-838到着とイルミナティ召喚
ストレンジとアメリカが落下した先は、Earth-838。マンハッタンによく似た大都市だが、信号機の配色も交通法規も微妙に異なり、ピザは球体で供され、街路樹は赤く色づいている。「マルチバースは本物だ」を画面の手触りで観客に納得させる、ライミ的な細部の積み重ねが続く。
二人がたどり着いたのは、この世界のクリスティーン・パーマーが勤めるバクスター財団のような研究機関だった。Earth-616のストレンジが恋を貫けなかったのとは対照的に、ここのクリスティーンはストレンジ・スプリーム——本作冒頭で命を落とした別宇宙のストレンジ——のかつての婚約者である。彼女に導かれるかたちで、ストレンジは「イルミナティ」の集議室へ連行されていく。
Earth-838のイルミナティは、その宇宙のスーパーヒーロー界を裏で監督する秘密結社であり、ストレンジ・スプリームの暴走によって自分たちの宇宙が一度ほぼ滅びかけた過去を背負っている。集議室に召喚されるメンバーは以下の通り。テレパスのチャールズ・エグゼビア教授/プロフェッサーX(パトリック・スチュワート、X-MEN『TVシリーズ:アニメ版』のテーマと共に登場)、英国の超人キャプテン・カーター/ペギー・カーター(ヘイリー・アトウェル、『ホワット・イフ…?』からの実写化)、マリア・ランボー版キャプテン・マーベル(ラシャーナ・リンチ、母娘逆転の別宇宙設定)、インヒューマンズの王ブラック・ボルト(アンソン・マウント、ABC実写版からの再起用)、ファンタスティック・フォーのリード・リチャーズ/ミスター・ファンタスティック(ジョン・クラシンスキー、ファン待望のキャスト)、そしてカール・モルド——Earth-616とは違い、こちらでは魔術師たちの長として君臨し、ストレンジ・スプリームを処刑したと自負する人物(キウェテル・イジョフォー)。
ワンダ来訪とイルミナティの皆殺し
ストレンジが「アメリカを奪おうとしている」と疑われ拘束された直後、ワンダは自らは動かず、意識だけを別宇宙へ伸ばす「ドリームウォーキング」を発動する。標的となったのは、Earth-838のもうひとりのワンダ・マキシモフ——息子ビリーとトミーとともに穏やかな日々を送る、Earth-838のワンダだ。その身体を乗っ取ったワンダは、バクスター財団の地下から地上へ、足音ひとつ立てずに上昇してくる。
ここから、本作で最も語り継がれる五分間が幕を開ける。ブラック・ボルトは「お前を消す」と口を開きかけるが、ワンダはその口そのものを消し去る。行き場を失った超音波が脳内で逆流し、彼の頭蓋は内側から破裂する。キャプテン・マーベル(マリア)は、ワンダが生み出した巨大な彫像の下敷きとなる。キャプテン・カーターは自慢のヴィブラニウム製シールドを手に挑むが、ワンダはそのシールドを掴むと上下に分割し、彼女を縦に真っ二つに斬り裂く。リード・リチャーズは、伸縮自在の身体を糸状に引き伸ばされ、繊維のようにほどけて絶命する。プロフェッサーXは精神世界へと逃れてワンダの意識に侵入し、Earth-838のワンダを内側から呼び覚まそうと試みる。だが、スカーレット・ウィッチ本人に首を背後から一捻りで折られ、こと切れる。
イルミナティのほぼ全員が、たった一人の魔女に、文字どおり一瞬で殺される。MCUの観客が長年「最強格」と認めてきた英雄たちの集合体が、何の段取りもなく、たちまち床に転がる死体と化すのだ。スカーレット・ウィッチの脅威の水準を観客の身体に直接刻みつけるこの数分こそ、本作がホラー映画として機能する最大の理由である。
脱出したストレンジ、アメリカ、そしてEarth-838のクリスティーンは、地下水路と鏡の次元を抜け、イルミナティの基地から逃れる。それと同時に、ストレンジの中ではある計算が動き出していた——「ヴィシャンティの書」がEarth-616で焼かれてしまった以上、ワンダに勝つ道はただひとつ、別宇宙のストレンジが遺した遺物に賭けるしかない。
ドリームウォーキングと屍からの操作
アメリカの恐怖が、彼女の力を不安定にする。ワンダの追撃と「自分の力を奪おうとする者」への原初的な不信のはざまで、彼女は意図せず扉を開いてしまう。そのたびにストレンジたちは、崩壊しかけた廃絶宇宙へ次々と放り出される。建物が逆さまに崩れ落ち、ピアノの鍵盤が銃弾と化し、自分自身が文字や絵へと変質していく——「インカージョン直前の宇宙」を駆け抜ける一連の場面は、本作で最も視覚的に贅沢な数分間だ。
最後にたどり着くのは、ストレンジ・スプリーム——アメリカを殺そうとしたあの長髪のストレンジが、ヴェスパティリアン山頂で本来の地球へ戻る前に身を寄せていた、もう一つの暗いサンクタムである。その地で『ダークホールド』の写本を参照しながら、Earth-616のストレンジは、サンクタム地下に安置されたストレンジ・スプリームの屍体と対面する。彼が選んだのは、ヴィシャンティの書を諦め、自らの死体へ意識を移し、屍として現実世界へ戻り、その身体で戦うという道。禁術『ドリームウォーキング』である。
ドリームウォーキングとは、別宇宙の自分の身体——屍体でも構わない——に意識を投影して操る魔術であり、文字通り使い手の魂を冥府へ近づけていく。屍体と化したストレンジは、頬骨が割れ、肌は腐り、額に第三の眼を宿した怪物のような姿で、ヴェスパティリアン山頂のダークホールド神殿へ降臨する。冥府からの地獄の亡霊(damned souls)をマント代わりに従えるその佇まいは、サム・ライミの『死霊のはらわた』の主役アッシュ・ウィリアムスの遠い親戚を思わせる。MCUがこれまで一度として見せてこなかった、暗黒の魔術師像だ。
ヴェスパティリアン山頂
山頂のダークホールド神殿で、ワンダはアメリカを生贄に捧げる儀式を始めていた。屍体のまま魂をドリームウォーキングで送り込んだストレンジが舞い降り、地獄の亡霊たちを鎖のように操ってワンダへ叩きつける。ワンダは『ダークホールド』から呼び出した生贄の魔女たちでこれに応戦。ストレンジは亡霊の鎖を解き放ち、その隙にアメリカを抱え上げる。
決着をつけるのはストレンジでもウォンでもない。アメリカ自身だ。ストレンジは「君の力を信じろ。君は自分が誰なのかを知っている」と語りかける。そしてワンダから逃げるのではなく、あえてアメリカを彼女のもとへ差し出す——と見せかけて、アメリカの手で「ワンダが本当に望んでいた場所」へとポータルを開かせる。その先にあったのは、別の宇宙に生きるワンダの子供たち、Earth-838のビリーとトミーが暮らす家のリビングだった。
だがそこでワンダが目にしたのは、母親であるはずの「もう一人の自分」が殺された痕跡、すなわちEarth-838のワンダの死であり、母を恐れて泣き叫び、自分から逃げ惑う二人の息子の姿だった。「お母さんじゃない、行って!」と叫ぶビリーとトミーを前に、スカーレット・ウィッチは自分が何になり果てていたのかをついに直視する。Earth-838のクリスティーン、そしてEarth-616のクリスティーンの面影が、彼女に「私の子供じゃない」と言わせる。ワンダはついに崩れ落ちた。
ワンダは最後の力を振り絞り、ヴェスパティリアン山頂のダークホールド神殿そのものを自らもろとも押し潰し、同時に多元宇宙に存在する全ての『ダークホールド』を破壊する。崩れゆく山の中で、ワンダ・マキシモフは——少なくとも本作の幕切れにおいては——瓦礫の下へと消えていく。連れ去られ、ここまで運ばれていたウォンは生還し、彼女に強いられていた儀式から解放された。
Earth-616に戻ったアメリカはカマー・タージで学ぶ生徒となり、ストレンジは戦いの中で禁術ドリームウォーキングと屍体操作に手を染めた代償を額に刻んで帰還する。クリスティーンの結婚式から幕を開けたこの物語は、ストレンジが「自分は人を救えるのか」と問い続ける一本だった。だが彼がたどり着いた答えは、「救うために自らの手が汚れることをも引き受ける」という、これまでのMCUの主役にはなかった種類の覚悟だった。
サードアイの開眼とポストクレジット
本編ラスト、ニューヨークの大通りを歩くストレンジが突然苦悶し、額にもう一つの「眼」を見開く。ダークホールドに触れた魔術師に現れる呪いの徴であり、ストレンジ・スプリームの額にも刻まれていたものと同じだ。ドリームウォーキングと屍体操作を一度でも行った者は、別宇宙のストレンジ・スプリームと同じ末路——多元宇宙そのものを脅かす存在——へと近づきかねない。脚本がそう宣告しているのである。ストレンジは何も言わず、再び歩き出す。
ミッドクレジット・シーンの舞台は、ニューヨークの夜の街角だ。歩くストレンジの前に、紫色のローブをまとった謎の女魔術師クレア(シャーリーズ・セロン)が次元の裂け目を開きながら現れる。「インカージョンを引き起こしたのはあなたよ、ドクター。それを直してもらうわ」と告げ、自らを「クレア」と名乗る。コミックにおいてクレアはドクター・ストレンジの伴侶であり、暗黒次元の女王ドルマムゥの姪に当たる重要人物である。ストレンジは無言でマントをひるがえし、第三の眼を開いた姿でクレアとともに暗黒次元へと歩み去る。
エンドクレジット・シーンは打って変わって短いギャグだ。ライミ作品の常連で、本作にもピザ・ボール屋台の店主役で登場していたブルース・キャンベルが、自分の手に掛けられた呪いを解き、カメラに向かって「終わったよ!(It's over!)」と告げる。そのまま画面はブラックアウト。前半でストレンジに掛けられた呪いを律儀に解いてみせる一発ネタであり、サム・ライミからの遊び心満点の手紙のような場面である。
登場要素
本作に登場し、また言及される主要な人物や組織、概念、場所、道具を分類して紹介する。物語はEarth-616とEarth-838という二つの宇宙にまたがり、廃絶された宇宙を通り抜ける場面も多い。固有名詞はそれぞれの宇宙ごとに押さえておくと、物語の理解が早い。
- ドクター・ストレンジ/スティーヴン・ストレンジ(Earth-616)
- ディフェンダー・ストレンジ(シュッツアルター宇宙のスティーヴン・ストレンジ)
- ストレンジ・スプリーム(Earth-838の屍体)
- ワンダ・マキシモフ/スカーレット・ウィッチ
- アメリカ・チャベス
- ウォン
- クリスティーン・パーマー(Earth-616/Earth-838)
- ニコデマス・ウェスト(病院の元同僚)
- スカーレット・ウィッチ(ダークホールドに支配されたワンダ)
- ガルガントス(シュッツアルター宇宙の単眼悪魔)
- シュッツアルター宇宙の触手獣
- ダークホールドから召喚される生贄魔女
- 地獄の亡霊(damned souls)
- チャーリー(クリスティーンの新郎)
- ピザ・ボール屋台のジョナサン・パングボーン(『ドクター・ストレンジ』からの再登場)
- Earth-838のワンダ・マキシモフ(息子の母としての変異体)
- ビリー・マキシモフ/トミー・マキシモフ(Earth-838の双子)
- クレア(ミッドクレジット)
- ピザ・ボール売りのブルース・キャンベル(エンドクレジット)
- カール・モルド(魔術師最高位)
- プロフェッサーX/チャールズ・エグゼビア
- キャプテン・カーター/ペギー・カーター
- キャプテン・マーベル/マリア・ランボー
- ブラック・ボルト/ブラックアガー・ボルタゴン
- ミスター・ファンタスティック/リード・リチャーズ
- イルミナティ(Earth-838の秘密結社)
- カマー・タージのマスター集会
- X-MEN(Earth-838、言及・暗示)
- ファンタスティック・フォー(Earth-838、暗示)
- アベンジャーズ(Earth-616、回想に登場)
- サンクタム・サンクトラム
- ニューヨーク・サンクタム・サンクトラム
- カマー・タージ
- ワンダのリンゴ畑の家(ウェストビュー郊外)
- Earth-838マンハッタン
- Earth-838イルミナティ集議室
- ヴェスパティリアン山頂のダークホールド神殿
- ストレンジ・スプリームの暗いサンクタム
- シュッツアルター宇宙
- インカージョン直前の崩壊宇宙群
- 暗黒次元(ポストクレジット)
- ダークホールド(禁断の魔導書)
- ヴィシャンティの書(焚かれて失われる)
- アガモットの目(破損・喪失)
- 浮揚マント
- サンクタムの魔術陣
- ヴィブラニウム製シールド(キャプテン・カーター)
- ヴェスパティリアン山頂の祭壇
- イルミナティの拘束陣
- カオス・マジック
- ドリームウォーキング
- 屍体操作
- 鏡の次元
- ヴィシャンティの守り
- 宇宙間ポータル(アメリカの力)
- 心眼/第三の眼
- インカージョン(多元宇宙衝突)
- アンカー・リアリティ(Earth-616の役割)
- ミッドクレジット:クレアの登場と暗黒次元への誘導
- エンドクレジット:ブルース・キャンベルの「It's over!」
- サードアイ開眼によるストレンジの呪い
12主要登場人物
本作は登場人物が多いが、物語の軸はストレンジ、ワンダ、アメリカの三者がなす三角形に集約される。Earth-616の人物、Earth-838に存在する同名の別人格、そしてシュッツアルター宇宙の変異体——この三層を意識しておけば、混乱せずに追える。
スティーヴン・ストレンジ
アース616のストレンジは、『インフィニティ・ウォー』と『エンドゲーム』で「1400万605通りの未来からただ一つを選び取った男」として神格化され、『ノー・ウェイ・ホーム』では多元宇宙崩壊の引き金を引いた直後にある。本作で彼が背負うのは、「他人の決断の中で世界を救いながら、自分自身は誰一人救えていない」という静かな自覚だ。冒頭に置かれたクリスティーンの結婚式が、その自覚を象徴している。
アメリカ・チャベスを守る旅の果てに、彼はヴィシャンティの書を諦め、別の宇宙の自分の屍を操って戦うという、これまでのMCUの主役なら決して選ばなかった道を取る。額に第三の眼を開いたその姿は、英雄譚の主人公が「自分もまた過ちを犯す存在だ」と認めた瞬間であり、続くマルチバース・サーガで彼が単なる守護者ではなく、潜在的な脅威の側にも回りうることを暗示している。
ワンダ・マキシモフ/スカーレット・ウィ…
本作のワンダは、『ワンダヴィジョン』終盤でダークホールド(禁断の魔導書)の章をひもといてしまった「すでに堕ちた者」として姿を現す。彼女自身に悪意はない。母としての愛と喪失が彼女を怪物へと変えた——脚本のマイケル・ウォルドロンが繰り返し語ってきた、この線こそ本作の核である。誰を憎むでもなく、誰を嫌うでもない。それでいて息子のためなら、彼女は他人を皆殺しにできる。
Earth-838のビリーとトミーが「お母さんじゃない」と泣いて拒むくだりは、本作で最も静かで、最も決定的なワンダの敗北だ。誰の手にも討たれず、自ら自らに引導を渡す形でしか終われなかった——その一点が、彼女を悪役の枠から悲劇の主人公へと押し上げている。幕切れで消えゆくワンダの姿は、エリザベス・オルセンが演じ続けてきた人物の一つの区切りとして、強い余韻を残した。
関連リンク
アメリカ・チャベス
コミックでは『ヤングアベンジャーズ』『アルティメッツ』の中核を担うアメリカ・チャベスが、本作で実写デビューを飾る。胸の星形のオーブから多元宇宙への扉を開く力を持つが、それが発動するのは恐怖を感じたときだ。力の出し方を制御できず、彼女は「自分が誰かを傷つけてしまうのではないか」という恐れに常に締めつけられている。
中盤、かつてストレンジ・スプリームに力を奪われかけた記憶がよみがえり、彼女は「Earth-616のストレンジも結局は同じことをたくらむのではないか」と疑い続ける。だが終盤、ストレンジは彼女の力を奪うのではなく「君を信じる」と告げる。ワンダを倒すのは、アメリカ自身の決断とポータルの制御にほかならない。デビュー作とは思えないソーチル・ゴメスの感情表現の幅広さが、本作の精神的な核を支えている。
ウォン
『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』『シャン・チー/テン・リングスの伝説』を経て、ウォンはカマー・タージのソーサラー・スプリーム(魔術師の長)という地位を完全に確立し、本作に臨んでいる。ワンダの侵攻に対しては最後まで戦線を支え、やがてダークホールドの神殿へ人質として連行されながらも、自らの役目を最後まで全うする。その冷静さが物語を支えている。
彼の存在は、ストレンジがひとり破滅へと突き進む構図に対し、もうひとつの軸として機能する。「魔術師は自らの組織に答えを返す」というMCUの魔術師観そのものを、ウォンが体現しているのだ。
Earth-838のカール・モルドとイ…
Earth-616のモルドは前作の結末で「魔術師たちのバランスを正すため」に反旗を翻したが、Earth-838のモルドはそこからさらに踏み込み、暴走したストレンジ・スプリームを仲間とともに処刑する側に回った人物だ。今回は秩序を守る立場からストレンジを警戒する者として再登場し、その流れでイルミナティの一員に組み込まれていく。
イルミナティの他の面々は、ファンが長年噂してきたカメオの集大成といえる。プロフェッサーX役のパトリック・スチュワートは『X-MEN』(2000)以来の実写復帰、リード・リチャーズ役のジョン・クラシンスキーはファン投票で長らく第一候補に挙げられ続けてきたキャスティングだ。キャプテン・カーター役のヘイリー・アトウェルとブラック・ボルト役のアンソン・マウントは、それぞれDisney+作品と旧テレビ実写からの正史接続にあたり、マリア・ランボー版キャプテン・マーベルを演じるラシャーナ・リンチは『キャプテン・マーベル』の母娘を入れ替えた変異体である。その全員が一つの場面でほぼ同時に命を落とすという結末は、MCUがマルチバースを単なる「使い回し」ではなく「不可逆な結末を与える舞台」として扱うのだと宣言してみせた瞬間でもあった。
クリスティーン・パーマー
前作以来姿を見せなかったクリスティーンが、本作では二人の人物として再び登場する。Earth-616では結婚式の花嫁、Earth-838ではかつてストレンジ・スプリームの婚約者であり、多次元理論を研究する科学者だ。ストレンジが「別の宇宙でなら、君を幸せにできただろうか」と問いかけると、Earth-838のクリスティーンは「どの宇宙でも、あなたは自分の幸せに踏み込めない人だった」と返す。この場面が、本作の感情の核を静かに支えている。
舞台と用語
本作の舞台は、大きく六つの層に分かれる。ストレンジの本拠地であるEarth-616マンハッタン、ネパールのカマー・タージ、ワンダが隠棲するウェストビュー郊外のリンゴ畑、イルミナティが待ち受けるEarth-838マンハッタン、インカージョン直前に崩壊した別宇宙である廃絶宇宙群、そしてヴェスパティリアン山頂にそびえるダークホールド神殿だ。いずれの舞台も、ストレンジが「次に何を救うか」という岐路に立たされる段階に対応している。
用語については、『ダークホールド』『ヴィシャンティの書』『鏡の次元』『ドリームウォーキング』『インカージョン』『アンカー・リアリティ』『カオス・マジック』の七つを押さえれば、物語は十分に追える。なかでも『ダークホールド』は、Disney+のドラマ『エージェント・オブ・シールド』『ランナウェイズ』『ワンダヴィジョン』からMCUへ持ち込まれた魔導書であり、本作で多元宇宙全体から消滅し、ひとつの区切りを迎える。『インカージョン』は、ジョナサン・ヒックマン版『アベンジャーズ/ニュー・アベンジャーズ』で導入された宇宙同士の衝突という概念で、後の『ファンタスティック・フォー: ファースト・ステップ』『アベンジャーズ/ドゥームズデイ』へと直結していく。
20制作
前作のヒット、そしてDisney+の配信ドラマ『ワンダヴィジョン』『ロキ』の流れを受けて、マーベル・スタジオは本作を「マルチバース・サーガに真正面から踏み込む実写映画の第一作」として作り上げた。ここからは、企画の立ち上がりから特撮にいたるまでの主な経緯を順に整理していく。
企画と脚本
プロジェクトは2019年7月、『コミコン・インターナショナル: サンディエゴ』でケヴィン・ファイギが正式に発表した。スコット・デリクソンの続投、そして『ロキ』『ワンダヴィジョン』との直接連動も併せて告げられている。ところが2020年1月、スタジオとデリクソンは「クリエイティブな差異」を理由に決別する。脚本は当初、前作のC・ロバート・カーギルが続投する予定だったが、デリクソンの降板に合わせてカーギルも一度離脱した。新たな監督候補として、マーベル・スタジオが白羽の矢を立てたのがサム・ライミである。
脚本は最終的に、マイケル・ウォルドロンが単独でクレジットを獲得した。Disney+ドラマ『ロキ』第1シーズンでマルチバースとTVAを実写化したヘッドライターである。彼はインタビューで、最初に受けた指示は三点だったと語っている。「ホラーに振っていい」「ストレンジを主人公でありながら疑惑の対象にする」「ワンダを真正面から悪役にする」というものだ。コロナ禍によるリシュート、撮影の中断、追加撮影が幾度も入ったが、本作のテーマはやがて一点へ収束していく。自分の力で人を救うことに固執する人間が、その固執ゆえに他人を殺し始める時、いかに自分を律するか――そこへとたどり着いたのである。
キャスティング
主要キャストは続投し、ベネディクト・カンバーバッチ、エリザベス・オルセン、ベネディクト・ウォン、レイチェル・マクアダムス、キウェテル・イジョフォーが顔をそろえた。新たに加わったのは、アメリカ・チャベス役のソーチル・ゴメス——本作が長編実写デビューとなる——、そして本編ラストとミッドクレジットに登場するクレア役のシャーリーズ・セロンである。
イルミナティのキャストは、公開前まで徹底的に伏せられた。なかでもジョン・クラシンスキーのリード・リチャーズ役は、長年ファン投票で名前が挙がり続けた配役がついに実現したもので、本人もMCU参入を「画面に映るほんの数分のために用意された贈り物」と語っている。パトリック・スチュワートの再演、ヘイリー・アトウェルとアンソン・マウントの実写復帰、『キャプテン・マーベル』と対をなすラシャーナ・リンチの起用——いずれも観客への驚きとして作用するよう緻密に設計されていた。
撮影とロケ地
プリプロダクションは2020年11月に始動した。コロナ禍でスケジュールは大幅に圧縮されたが、本撮影は2020年11月から2021年4月にかけて、英国のロンドン・パインウッド撮影所を拠点に進められた。ニューヨークの街路、Earth-838のマンハッタン、サンクタム・サンクトラム、カマー・タージ、そしてヴェスパティリアン山頂に建つダークホールド神殿——これらのセットは同撮影所に同時並行で組み上げられた。一方、廃絶された宇宙群の場面は、そのほぼ全てをバーチャルプロダクションとブルースクリーンで撮影している。
2021年中盤には、コロナ感染のリスクと脚本の整合性を確認するため、大規模な追加撮影が複数回にわたって行われた。なかでもイルミナティの登場場面、ストレンジ・スプリームの屍体の場面、さらにエンドクレジットでブルース・キャンベルが姿を見せる場面は、いずれもこの追加撮影の段階で確定したカットだという。ライミ自身がインタビューでそう明かしている。
視覚効果
視覚効果は、インダストリアル・ライト&マジック、Framestore、ソニー・ピクチャーズ・イメージワークス、Luma Pictures、Rise FXをはじめとする複数のスタジオが分担して手がけた。最大の見せ場であるアメリカの宇宙間ポータル、廃絶された宇宙群(崩壊したマンハッタン、紙片でできた宇宙、絵画と化した宇宙)、ヴェスパティリアン山頂の祭壇、地獄の亡霊たちの鎖、屍体ストレンジに開く第三の眼——いずれも画面表現として、MCUのなかでも前例の少ない密度で作り込まれている。
とりわけマーベル映画として異色なのが、サム・ライミがホラー演出を実写ベースで多用した点だ。鏡に映った自分だけが動かない一瞬、屍体の指が画面の外でうごめく影、画面の端から血のように飛んでくる魔法符——CGに頼らず「画面の外にいる何か」を感じさせる演出が、本作の恐怖の温度を生み出している。
音楽と音響
音楽を手がけたのはダニー・エルフマン。サム・ライミ監督の『スパイダーマン』三部作(2002〜2007)でも作曲を担当した盟友であり、本作はライミとエルフマンの再タッグとしても話題を呼んだ。エルフマンは、前作でマイケル・ジアッキーノが確立したストレンジのテーマを受け継ぎつつ、ワンダ・マキシモフのテーマには低音弦と女声合唱を重ねたゴシック調を導入。本作のホラー演出と寸分違わず同期させてみせた。
クライマックスを飾る「魔術師どうしの音楽戦」は、本作で最も実験的な場面だ。ストレンジ・スプリームの記憶を呼び覚ましながら、Earth-616のストレンジは別宇宙の自分自身と楽譜を「武器」として投げ合う。バッハ風のフレーズが弾丸へと変じ、ハープシコードと打楽器が魔術陣へと姿を変える。ライミの『死霊のはらわた』譲りのギャグ精神と、エルフマンのスコアが完全に手を結んだ瞬間である。
編集と公開準備
編集は、サム・ライミ作品の常連であるボブ・ムラウスキー(『スパイダーマン2』『ハート・ロッカー』でアカデミー編集賞を受賞)と、ティア・ノラキタイの二名がクレジットされる。Earth-616とEarth-838、廃絶された宇宙群、回想、夢という三つの層を、観客が見失うことなく緊張を保てるように、テンポを大胆にずらした切り返しが用いられた。
「イルミナティ皆殺し」の段取りは公開直前まで徹底的に伏せられ、出演者にもそれぞれの最期だけが切り分けて渡されたという。ジョン・クラシンスキーの登場と即死、パトリック・スチュワートの再演、そしてキャプテン・カーターの「縦割り」の死。これらは編集と音楽が一気に押し切る数分として、観客の体感時間を圧縮するように設計されている。
27公開と興行
本作は2022年5月6日に米国で、日本では5月4日に劇場公開された。米国初週末の興行収入は約1億8770万ドル、全世界初週末は約4億5000万ドルに達し、コロナ禍を経たMCUの劇場復帰を高らかに告げる成績となった。最終的な興行収入は米国内が約4億1100万ドル、海外が約5億4400万ドル、全世界では約9億5500万ドルに上り、2022年の世界年間興収トップ5に名を連ねた。
Disney+での配信は2022年6月22日に始まった。劇場公開から47日というMCUとしては標準的な期間を経ての配信開始だが、解禁後もホラー色の強さをめぐる議論は続いた。第49回サターン賞では、エリザベス・オルセンが映画部門の助演女優賞に輝いている。
28批評・評価・文化的影響
評価は割れた。批評家の反応はおおむね好意的で、サム・ライミらしいダーク・ファンタジーとしての完成度、エリザベス・オルセンの怪物的な存在感、そしてジョン・クラシンスキーをはじめとするイルミナティのカメオが与えた衝撃には、強い称賛が集まった。一方で議論の火種も残った。『ワンダヴィジョン』終盤からのワンダの心理的な飛躍に対する違和感、上映時間126分に詰め込まれた情報量の多さ、そしてPG-13でありながらホラー描写が強い点。こうした賛否は公開後も収まらなかった。
観客の反応は、CinemaScoreがB+、ロッテン・トマトの観客スコアは約85%。MCUのなかでも好き嫌いがはっきり分かれる一本という位置付けが定着している。本作が一気に押し進めたマルチバースの自由度——別宇宙の英雄を次々と登場させ、そして次々と退場させるという大胆な扱い——は、後のフェーズ5・6を通じて続く議論の発端となった。
舞台裏とトリビア
サム・ライミの起用は、もともとマーベル・スタジオが2014年頃から検討していたと言われる。彼は『死霊のはらわた』からのファン層を強く意識した演出をMCUに持ち込んだ。屍体と化したストレンジが地獄の亡霊を鎖代わりに従えて降臨する場面、第三の眼の開眼、画面外の存在を不意にフレームに引き込む手法など、過去作への目配せは数え切れない。
ブルース・キャンベルのカメオは二場面からなる。まず冒頭、ストレンジから「自分の顔を殴り続ける呪い」をかけられるピザ・ボール屋台の店主役。そしてエンドクレジットでは、自分の手を眺めながら「終わったよ!」と告げてみせる。ライミ作品を象徴する俳優の登場であり、サム・ライミ的MCUの記念として、観客のあいだで長く語り継がれている。
ジョン・クラシンスキーが演じたリード・リチャーズ/ミスター・ファンタスティックは、妻のエミリー・ブラントがスー・ストーム役として噂され続けてきた流れの延長線上にある。ファン投票の結果をスタジオが実際に採用した稀有な例だ。本作での出番はわずか数分、しかも即座に命を落とす。その後のキャスト変更、すなわち『ファンタスティック・フォー: ファースト・ステップ』でのペドロ・パスカル起用への地ならしも兼ねていた。
クリスティーン役のレイチェル・マクアダムスは、撮影中盤まで、自分が演じるEarth-838のクリスティーンが多元宇宙学者だと脚本上で明示されないまま演じていたという。現場で脚本が書き直され続けた本作の制作姿勢を物語る逸話として、後年語られている。
30テーマと解釈
物語の中心にあるのは、「他人を救う者は、自分自身をどう律するのか」という問いである。ストレンジは『インフィニティ・ウォー』『エンドゲーム』『ノー・ウェイ・ホーム』を通じて、誰かを救うために自分の感情を抑え込み続けてきた。本作で描かれるクリスティーンの結婚式は、その抑制が彼に何を強いたのか——自分自身の幸せには踏み込めない人間にしかなれなかったという代償——を、否応なく直視させる装置となる。やがてストレンジは自らの屍体すら操って戦うが、それは抑制の対極にある感情の暴発にほかならない。そして第三の眼の呪いは、抑制を超えてしまった者がたどり着く末路を予告している。
もう一つの軸は、母性と所有の倒錯だ。ワンダの行動は、ビリーとトミーへの愛から始まる。だがその愛は、やがて別の宇宙に生きる彼女自身から子供を奪う方向へと向かっていく。スカーレット・ウィッチとは外からやってくる敵の名ではない。「愛」と呼ばれる感情が境界を踏み越えたとき、そこに立ち上がる怪物の名である。Earth-838のビリーとトミーが「お母さんじゃない」と泣いて拒むラストは、所有としての母性に対する、物語からの決定的な反論といえる。
そして本作の三つ目の軸は、マルチバースという概念そのものが抱える倫理である。アメリカ・チャベスは「自分の力を制御できない」と、自身を信じきれずにいる少女として登場する。一方のストレンジ・スプリームは、「他人を救うために他人を殺す」最悪のストレンジとして突きつけられる。その両極のあいだで、Earth-616のストレンジは「君を信じる」と告げ、自らの屍体を操って戦いに臨む。技ではなく心を、能力ではなく覚悟を問う——その点で本作は、MCUフェーズ4のテーマ群(『ワンダヴィジョン』のトラウマ、『シャン・チー』の家族、『エターナルズ』の選択、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の責任)と、まったく同じ系譜に連なっている。
31見る順番
本作を最大限に楽しむなら、最低限の前提として『ドクター・ストレンジ』(2016)、Disney+ドラマ『ワンダヴィジョン』(2021)、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(2021)の三本は観ておきたい。『ドクター・ストレンジ』はストレンジとモルドの関係の土台を、『ワンダヴィジョン』はワンダがダークホールドを手に入れる経緯と双子の意味を、そして『ノー・ウェイ・ホーム』は本作冒頭の時系列の前提を、それぞれ担っている。
さらに深く味わうなら、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』『エンドゲーム』でのストレンジの決断、『ロキ』第1シーズンが描くマルチバースの概念、そして『ホワット・イフ…?』第1シーズン、とりわけキャプテン・カーターとストレンジ・スプリームの回も押さえておきたい。これらを踏まえておけば、本作のカメオと結末が秘めた含意は一段と濃く立ち上がってくるはずだ。
32よくある質問
「あらすじだけ知りたい」なら、ストレンジがアメリカ・チャベスを守りながら多元宇宙を逃走し、ダークホールドに支配されたワンダ・マキシモフを倒すまでの流れを押さえれば十分だ。「結末・ネタバレを知りたい」なら、Earth-838のイルミナティが全員死亡し、ストレンジが屍体を操り、ワンダ自身の手で神殿が崩壊し、第三の眼が開眼し、クレアが登場する――この一連が核となる。
「Disney+のどのドラマを観ておけばよいか」という質問は、本作では特に多い。最低でも『ワンダヴィジョン』、できれば『ロキ』第1シーズンと『ホワット・イフ…?』第1シーズンを観ておきたい。そうすれば、ワンダ、TVA、キャプテン・カーター、ストレンジ・スプリームの背景が一気につながる。「見る順番」については、前作の単独続編として扱えるため、本作だけを先に観てもさほど困らない。だが、ワンダの暴走が背負う重みは、『ワンダヴィジョン』を通したかどうかで完全に変わってくる。
33参考資料・脚注
作品名、キャラクター名、画像、および各種権利は、それぞれの権利者に帰属する。公開年や興行成績、制作・配信の状況、外部からの評価は変動しうるため、視聴前に公式サイトおよび各データベースの最新情報を確認されたい。なお本記事の本文は、各種公開情報をもとにAnna Movies独自の日本語記事として構成したものである。