天才外科医スティーヴン・ストレンジが両手を失い、ネパールのカマー・タージで魔術を学び、ドルマムゥを「無限の交渉」で退ける——MCUに魔術と次元の概念を持ち込み、後年のマルチバース・サーガの礎を築いた起源作。

基本データ 2016年・スコット・デリクソン監督

マーベル・スタジオ製作、ディズニー配給。『デリバー・アス・フロム・イービル』『フッテージ』のホラー出身スコット・デリクソンが監督と共同脚本を務め、ジョン・スペイツとC・ロバート・カーギルが脚本へ加わった。上映時間115分。MCU通算14作目、フェーズ3第3作にあたる。

物語上の位置 『シビル・ウォー』直後と『ラグナロク』へ橋渡し

本編の主要部は2016年から2017年の現代を舞台にし、アベンジャーズが分裂したばかりの世界線に、地球を多元宇宙と次元の脅威から守る「魔術師の系譜」を導入する。ミッドクレジットでソーと面会し、続く『マイティ・ソー バトルロイヤル』のサンクタム場面へ直結する。

受賞・評価 全世界興収約6億7770万ドルとビジュアル賞ノミネート

全世界興行収入は約6億7770万ドル、米国内興収は約2億3260万ドルを記録した。Rotten Tomatoes批評家評は89%、メタスコア72点、CinemaScoreはA。第89回アカデミー視覚効果賞にノミネートされ、都市が万華鏡のように折り畳まれるミラー次元の映像はMCUを代表するビジュアル達成として記憶された。

この記事の範囲 結末・ドルマムゥ取引・モルド離反・ポストクレジットまで完全解説

カマー・タージ図書館でのカエシリウスの『カリオストロの書』強奪、エンシェント・ワンとの追跡、ストレンジの事故と入門、アストラル投射、ミラー次元、ニューヨーク・サンクタム襲撃、ルシアン殺害、ストレンジ初の死亡経験、レビテーション・マント着用、エンシェント・ワンの死、ロンドン・サンクタム陥落、香港時間巻き戻し、ドルマムゥとの無限ループ交渉、モルド離反、ニューヨーク・サンクタム新任、ミッドクレジットのソー登場、ポストクレジットのモルドによるパングボーン能力剥奪まで、すべてのネタバレを前提に解説する。

目次 35項目 開く

概要

『ドクター・ストレンジ』(Doctor Strange)は、スコット・デリクソンが監督し、ジョン・スペイツ、デリクソン、C・ロバート・カーギルが共同で脚本を執筆したアメリカのスーパーヒーロー映画である。マーベル・スタジオが製作し、ウォルト・ディズニー・スタジオ・モーション・ピクチャーズが配給した。MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)通算14作目、フェーズ3の第3作にあたり、『キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー』と『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』の間に位置する。2016年11月4日に米国で、日本では翌2017年1月27日に劇場公開された。

本作の原作は、1963年7月の『ストレンジ・テールズ』第110号でスタン・リーとスティーヴ・ディッコが創造した魔術師ヒーロー「ドクター・ストレンジ」である。原作コミックは、1960年代の対抗文化と東洋神秘主義への関心を吸い上げ、ディッコの幾何学的なサイケデリック描写によって、米国コミックに「魔術を主題にしたヒーロー」というジャンルを定着させた。映画版はそのディッコ的な視覚の遺産を、現代のCG技術と『インセプション』以降の都市変形描写の語彙に接続することを最大の課題とした。

監督のスコット・デリクソンは『エミリー・ローズ』『フッテージ』『デリバー・アス・フロム・イービル』を撮ってきたホラー出身の作り手で、本作はホラーと幻想美術の双方から都市の歪みと異次元の手触りをMCUへ持ち込むための起用だった。脚本のジョン・スペイツは『プロメテウス』、C・ロバート・カーギルはデリクソンの長年の共作者にあたる。マーベル・スタジオのケヴィン・ファイギは、本作を「魔術の門を開け、フェーズ3後半とフェーズ4以降のマルチバース展開に必要な道具立てを揃える一作」として位置づけ、アガモットの目をその場面ですぐタイム・ストーンと明示しないまま、後の『インフィニティ・ウォー』『エンドゲーム』『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』『マルチバース・オブ・マッドネス』へつなぐ道具として静かに置く設計を取った。

本記事は、結末とミッドクレジット・ポストクレジットの計2本の追加場面を含む全編のネタバレを前提に書かれている。カエシリウスの強盗、ストレンジの事故、カマー・タージの修行、サンクタム陥落、エンシェント・ワンの死、ドルマムゥとの取引、モルド離反、ソーとの面会、パングボーンの能力剥奪まで、すべての要素に踏み込む。物語の驚きを保ちたい読者は、まず本編を観てから戻ってきてほしい。

原題
Doctor Strange
監督
スコット・デリクソン
脚本
ジョン・スペイツ/スコット・デリクソン/C・ロバート・カーギル
原作
マーベル・コミック『ドクター・ストレンジ』(スタン・リー/スティーヴ・ディッコ、1963)
音楽
マイケル・ジアッキーノ
撮影
ベン・デイヴィス
米国公開
2016年11月4日
上映時間
115分
ジャンル
スーパーヒーロー、ダーク・ファンタジー、神秘主義、サイケデリック

あらすじ

以下は結末と二本のクレジット・シーンを含む全編のあらすじである。本作は、傲慢な天才外科医スティーヴン・ストレンジが交通事故で両手の機能を失い、ネパールのカマー・タージで魔術を学び、暗黒次元の支配者ドルマムゥから地球を守る一個の魔術師へと組み替えられる物語である。物語は「失った手を取り戻す再生譚」として始まり、「自分を超えるものを守る献身譚」へと変質して閉じる。

プロローグ——カマー・タージ図書館の襲撃

映画は、ネパール・カトマンズの古い寺院の図書館で始まる。剃り上げた頭と顔の周囲に走る奇妙な紋様を持つ男——カエシリウス(マッツ・ミケルセン)——が、数人の信奉者を率いて図書館に押し入り、奥の祭壇に保管されていた魔導書『カリオストロの書』の一冊を開く。司書ダニエル・ドラム(マーク・アンソニー・ブライトン)が割って入り、入り口の扉を魔術で封じるが、カエシリウスは曲刀を抜きざまにドラムの首を一閃し、その身体を床に倒す。

奪われたのは数葉のページにすぎないが、そこに記されていたのは時間と次元の境界を越える儀式の手順だった。一同が踵を返した瞬間、寺院の屋根の縁にエンシェント・ワン(ティルダ・スウィントン)が静かに現れる。剃り上げた頭と灰色の僧衣をまとった、性別を越えた長身の老師の影が、夜のカトマンズの空に浮かぶ。

カエシリウスらは逃走に転じ、エンシェント・ワンは追跡する。彼らが選んだ戦場が、本作の最大の発明である「ミラー次元」だった——現実と寸分違わぬ姿を写し取りながら、現実世界へは一切の物理的影響を残さない、鏡像のような別空間である。カトマンズの石畳の街路が、エンシェント・ワンとカエシリウスの手の動きに合わせて折り畳まれ、垂直の壁になり、巻物のように丸まり、噴水のように建物が崩れ落ちる。エッシャー的な多重視点の都市変形のなかでカエシリウスは逃げ切り、ページは失われたまま、エンシェント・ワンだけが現実のカマー・タージへ戻る。観客はこの数分間で、本作の魔術の文法——空間そのものが武器であり地形である——を体に叩き込まれる。

天才外科医スティーヴン・ストレンジ

場面は数週間後のニューヨーク。マンハッタン・メトロ総合病院の最上階の手術室で、神経外科医のスティーヴン・ストレンジ博士(ベネディクト・カンバーバッチ)が、銃弾で前頭葉に侵入された患者の脳手術を執刀している。BGMはチャック・マンジョーネ、彼の音楽データベースの曲目を秘書のビリー(マイケル・スターバーグ演ずるニコデモス・ウェスト博士の同僚)と暗誦で当て合いながら手術を進めるカット——天才の余裕と、それを誇示する自己愛が同じ画面の中で展開される。

別室では、研修医時代の元恋人で救命救急医のクリスティーン・パーマー(レイチェル・マクアダムス)が、ニコデモス・ウェスト博士の患者の臓器摘出を阻止しようとしているストレンジに、別件の患者を診てほしいと声を掛ける。脳に銃弾が打ち込まれて運ばれてきた患者を、ウェストは「すでに脳死だ、臓器を取れ」と判断するが、ストレンジは銃弾の位置とCT画像から「延髄を撃ち抜いていない、まだ救える」と覆し、自ら執刀して救命する。彼は腕も判断も本物だが、症例を自分の評判で選り好みする冷たさも本物である。クリスティーンは、彼が「同僚を貶めることでしか自分を保てない人だ」と一言で言い切る。

夜、彼は自分のロフトで時計のコレクションを磨きながら、新たな症例の選別をハンズフリーで部下に指示している。やがてランボルギーニ・ワンチーロのエンジン音を響かせて、雨の州際高速道路を北上する——別件の講演に向かうための長距離運転だった。後部座席で手元のタブレットを操り、ハンドルを膝で押さえた瞬間、対向車線から張り出した道路工事の警告板を避けようとして、車は崖から雨の渓谷へ転落する。映像は、彼の手のひらが車体の歪んだ金属に挟まれて潰れていく一連のカットを、痛々しいほど克明に映し出す。

事故からの回復——絶望と最後の望み

ストレンジは救出され、クリスティーンが当直する同じ救命救急センターへ搬送される。麻酔から目覚めた彼が真っ先に確認するのは、自分の両手である。両手の神経束は重度の損傷を受け、十一本の鋼線(K-wire)で骨が固定され、皮膚の上に長い縫合の連なりが残る。手は震え、コップを持ち上げることさえ覚束ない。神経外科医として、彼は「この手は二度とメスを握れない」という診断を、誰よりも正確に自分で下せてしまう。

ストレンジは自分の貯えのすべてを最先端の実験的治療に投じる。神経幹細胞移植、組織移植、坐骨神経の移行——ニコデモス・ウェストや旧友の医師たちに、世界中の論文を読み込んだ上で具体的な術式を指定し、「自分が執刀しろ」と迫る。誰もが匙を投げる。クリスティーンは彼を支えようとするが、彼は怒りと自己嫌悪を彼女に投げつけ、最終的に二人の関係も切り捨ててしまう。

貯蓄が底をついた頃、彼はリハビリ施設で一人の男に出会う。下半身不随で生涯車椅子の予定だったジョナサン・パングボーン(ベンジャミン・ブラット)が、健常者として歩いている——むしろストレンジに「歩く方法を、ある場所で教わった」と語る。「カマー・タージ」「ネパール、カトマンズ」「行ったって何も得られないかもしれない、だが探す価値はある」。最後の貯えで航空券を買い、ストレンジはカトマンズへ飛ぶ。

カマー・タージとエンシェント・ワン——「お前の心を開け」

カトマンズの裏路地で迷子になったストレンジは、強盗に襲われかけたところを一人の魔術師に救われる。屈強な体躯の魔術師バロン・モルド(チウェテル・イジョフォー)は、ストレンジを目立たない木製の扉の前まで案内する。扉の向こうに広がっていたのは、外見からは想像もつかない広大な石造りの中庭——カマー・タージである。

扉を抜けたストレンジが対面するのは、剃り上げた頭と灰色の僧衣をまとった、性別を越えた静謐な老師——エンシェント・ワン。彼女は紅茶を勧めながら、ストレンジの両手の傷痕を見つめ、「あなたは自分を物質の世界の中心だと思っている。だがあなたが思うほど、それは中心ではない」と告げる。ストレンジは反論する。「私は物質と精神の関係を学んできた医師だ。神経細胞と化学物質、それだけがすべてだ」。

エンシェント・ワンは肯定も否定もせず、ストレンジの胸を指先で軽く突く。次の瞬間、ストレンジの魂は身体から弾き出され、半透明のアストラル体としてカマー・タージの天井近くに浮いている。さらに彼女は彼を量子の海の中へ、無数のフラクタルな螺旋の中へ、巨大な眼が見つめる暗黒の次元の中へと、目映いほどの色彩と幾何学の連鎖で送り出す。意識が肉体に戻った瞬間、ストレンジは床に膝を突き、震える両手で「もう一度——もう一度見せてくれ」と懇願する。本作の主人公が、自分の理解の外側にある世界の存在を、肉体で受け入れた一場面である。

修行——スリング・リング、ミラー次元、図書館

ストレンジはカマー・タージに住み込み、モルドの指導のもとで魔術師としての訓練を始める。最初に渡されるのが、両手の指関節にはめ込む金属の輪「スリング・リング」で、これを使って空間に円形のポータルを切り開き、地球上のあらゆる場所へ瞬時に移動する技術を学ぶ。当初は両手の震えで火花一つも飛ばせなかったストレンジは、しかし「世界中の医学論文を写真記憶で頭に入れた男」の暗記能力で、サンスクリットと魔術言語の体系を異常な速さで吸収していく。

図書館では、車椅子の司書ウォン(ベネディクト・ウォン)が彼を迎える。図書館に並ぶのは『カリオストロの書』をはじめとする魔導書で、ある書架は鎖でつながれ、別の書架には「立入禁止区域」の札が下がる。立入禁止区域の中央には、台座の上にアガモットの目——黄金の枠に納まった緑の宝石——が静かに置かれている。ストレンジは禁止された書架にこっそり手を伸ばし、複製の書物を借り出しては、夜ごと独学で時間を巻き戻す術と、ミラー次元への入り方を読み込み始める。

モルドは魔術の規律を絶対視する人物として描かれ、ストレンジに「自然の法則」と「禁じられた術」の境界を繰り返し説く。エンシェント・ワンは、教える内容と禁じる内容の境界線そのものに、後から思えば矛盾を抱えている。ストレンジが独学で『カリオストロの書』のページを読み込み、ミラー次元の中で時計の針を巻き戻す練習を始めると、ウォンは「お前が何を読んでいるかは知っている。死にたいなら止めはしないが、私の図書館の本は持っていくな」と冷たく釘を刺す。

ニューヨーク・サンクタム襲撃——初めての殺人

数ヶ月後、カエシリウスの一団が地球を守る三つのサンクタム(ロンドン、ニューヨーク、香港)のうち、ロンドン・サンクタムを襲撃して、その守り手であるソル・ラマ師(オジョ・タピア)を惨殺する。三つのサンクタムは「グローブ」と呼ばれる結界を構築して、暗黒次元の侵食から地球を守っている。一つが落ちれば、結界に穴が空く。

次の標的はニューヨーク・サンクタムだった。ストレンジが図書館で偶然開いたポータルから、九十番西街と血の通りの交わる丘の上の屋敷——歴代のサンクタムを守る魔術師の屋敷へ転送される。屋敷の入口でカエシリウスの先鋒たちと鉢合わせし、ストレンジは反射的に魔術盾で身を守る一方、屋敷の重そうな赤いマント——「レビテーションのマント」——が独立した意志で彼の肩へ飛び乗り、敵を絞め上げ、武器を奪い、彼を引きずって闘わせる。経験不足の弟子であるはずのストレンジは、マントに半ば操られながら、屋敷内の幾何学的な階段と狭い廊下を縦横に転がる戦闘へ突入する。

戦いの最中、ストレンジは盾の縁で敵の腹を意図せず深く刺す。床に倒れた敵——ルシアン(スコット・アドキンス)——が血を吐いて事切れる瞬間、ストレンジの顔から血の気が引く。医師として一生をかけて「人を救う」側にいた男が、自分の意思とは別の力で「人を殺した」側に置かれる、決定的な転回点である。

戦闘の余波でストレンジ自身も致命傷を負い、自らポータルを開いて元の救命救急センターのクリスティーンの傍へ転送される。両手を組み、アストラル体として自分の手術台の外側に立ったストレンジは、クリスティーンに「電気除細動器の出力を上げろ」と指示し、自分の心停止した肉体を電気で叩き起こす。さらに、もう一人の敵がアストラル体としてストレンジを追ってきており、霊体同士の格闘戦が病院の処置室の天井で展開される——医学と魔術の交差点が一場面で立ち上がる、本作屈指の場面である。

エンシェント・ワンの秘密と死

ニューヨーク・サンクタムを守り抜いたストレンジは、エンシェント・ワンとモルドの加勢を受ける。カエシリウスはサンクタムから逃走するが、その別れ際に決定的な一言を残す——「お前の師、エンシェント・ワンは、何百年も自分のためにダーク・ディメンションのエネルギーを引き出してきた。長寿のためにな」。

ストレンジは図書館の禁書を読み返し、その告発の真実を確かめる。エンシェント・ワンが地球を守りながら、同じ暗黒の力を自分の延命のために利用してきたという二重性——「正しい目的のためなら危ない手段を使ってよいのか」という、本作の最大の倫理的問いが、師の像そのものを揺るがしながら立ち上がる。

やがてカエシリウスが、ニューヨーク・サンクタムへ再襲撃を仕掛ける。ストレンジ、モルド、エンシェント・ワンの三人で迎え撃つ場面は、ミラー次元の中でマンハッタンの摩天楼群を縦横無尽に折り畳む、本作最大級の戦闘シークエンスとなる。地下鉄が垂直に立ち上がり、ビル群がドミノのように倒れ、街路灯が螺旋を描いて回転する。エンシェント・ワンはカエシリウスを追い詰めるが、最後の隙にカエシリウスの尖った刃で背中を貫かれ、現実世界のサンクタム前の路上へ放り出される。

クリスティーンの救命救急センターに搬送されたエンシェント・ワンは、手術台の上で短い時間だけ自身のアストラル体を雷雲の上にうかべ、ストレンジと並んで世界の屋根の薄明かりを見つめる。「私はずっと、終わりを先延ばしにしてきた。ようやく、終わりを受け入れる」「彼が暗黒次元から長寿を引いてきたとしても、地球は数百年守られた。お前は、私と同じ場所に立つだろう。だが私には越えられなかった一線を、お前は越えなければならない」——彼女は穏やかにそう告げて事切れる。

モルドは、師の二重性を最後まで受け入れられない。彼にとって魔術とは絶対の規律のもとに行使されるべきもので、その師が長年規律を破っていたという事実は、彼自身の存在の根を引き抜く打撃だった。彼の心の中で、「魔術師という存在そのもの」への疑念が、静かに芽生え始める。

ロンドン陥落と香港逆行——「ドルマムゥ、取引に来た」

カエシリウスは生き残った信奉者を率いて、最後のサンクタム——香港——を襲い、グローブの結界に最後の穴を開ける。穴の向こうから、暗黒次元の支配者ドルマムゥの巨大な貌が地球をのぞき込み、その紫色のエネルギーが香港の街路を侵食し始める。ストレンジとモルドがポータルで香港に降り立った時、すでに街は半壊し、ウォンを含む守り手たちは床に倒れ、空には暗黒の渦が広がっている。

ストレンジは、図書館でひそかに学んでおいた最後の禁術——アガモットの目を開き、時間そのものを巻き戻す術——を発動する。緑色のフラクタルの環が彼の胸の前に浮かび、香港の崩壊が逆再生で巻き戻る。割れたガラス片が窓に飛び戻り、倒れた建物が立ち上がり、死んだ守り手たちが息を吹き返す。モルドは「お前は自然の法則を破っている」と激しく拒絶するが、ストレンジは構わず時間の流れを逆向きに進める。

時間が完全に巻き戻り切る前に、ストレンジは自分一人だけが時間の外側へ、暗黒次元の中心——ドルマムゥの本拠——へポータルを開けて飛び込む。観客が事前に与えられていた情報は、暗黒次元では時間そのものが意味を持たず、ドルマムゥは通常の戦闘では決して倒せない、というものだった。

暗黒次元に到着したストレンジは、巨大なドルマムゥの顔の前に降り立ち、両手を組んで告げる。「ドルマムゥ、取引に来た(Dormammu, I've come to bargain.)」。ドルマムゥは咆哮と共にストレンジを一撃で殺す。次の瞬間、ストレンジは再び同じ岩の上に立ち、同じ言葉を告げる。「ドルマムゥ、取引に来た」。ドルマムゥは再びストレンジを叩き潰す。さらにストレンジが現れ、同じ台詞を告げる。

ストレンジは、アガモットの目で自分自身を「無限に死に続けるループ」の中へ閉じ込めていた。暗黒次元から地球を狙うドルマムゥは、ストレンジを殺すことはできても、ストレンジが再生する短い瞬間に逃げ込んだ「時間のループ」そのものから抜け出すことができない。永遠に殺し続ける退屈と苦痛のなか、ドルマムゥは観客の前で叫ぶ。「もうやめろ!」「お前を解放しよう。私は地球を諦める。お前と、お前の信奉者を連れて、二度と戻らない」。ストレンジは涼しい顔で肯ずく。本作の決着が、力比べでも血の流れる戦闘でもなく、「死を延々と受け入れる交渉」によって付けられる——MCU全体のクライマックスのなかでも、もっとも特異な勝ち方の一つである。

現実世界では、香港のすべてが元通りに立ち上がり、ウォンや守り手たちは何事もなかったように呼吸を取り戻している。カエシリウスと信奉者は約束通りドルマムゥに連れ去られ、紫色の渦が空に吸い込まれて消える。

モルドの離反とニューヨーク・サンクタム新任

決戦の翌朝、カマー・タージの中庭でストレンジが息を整えていると、モルドが現れる。「お前は、エンシェント・ワンが間違っていたと言うのか。彼女は何度も自然の法則を破った。そしてお前も、時間そのものを巻き戻し、ドルマムゥと取引した。代償はどこへ行く」。ストレンジは答えない。モルドは「私が魔術師を辞める日が来た。世界には、魔術師が多すぎる」と告げ、ポータルを開けず、徒歩で寺院の門を出ていく。

ストレンジは、レビテーションのマントを羽織り、アガモットの目を首に下げて、ニューヨーク・サンクタムへ赴任する。エンシェント・ワン亡き今、彼は世界の三つのサンクタムの一つを守る正式な魔術師として立つ。事故から始まった「失った手を取り戻す物語」は、「自分が立つ場所そのものを取り替える物語」へ完全に変質し、彼はもう神経外科医に戻らない。

本編はこの静かな就任のショットで閉じる。ニューヨークの夕景の中、サンクタムの円形窓越しに、ストレンジが世界の境界線を見つめる横顔が映る。

ミッド/ポストクレジット——ソー来訪とモルドの剥奪

ミッドクレジット・シーンでは、ニューヨーク・サンクタムの応接室で、ストレンジが浮遊するティーカップから紅茶を勧めている。向かいに座っているのは、雷神ソー(クリス・ヘムズワース)——『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』以降、地球外で行方を追ってきた弟ロキを連れて、父オーディンを探しにアスガルドから降りてきている。ストレンジは「お前の父を地球に閉じ込めている弟を、いっしょに連れて帰ってほしい」と告げ、地球に長居する神々を歓迎しない魔術師の立ち位置を、軽い茶目っ気を交えながら確定させる。この場面は翌2017年の『マイティ・ソー バトルロイヤル』冒頭で再生され、ソーとストレンジの「ノルウェーの崖でのオーディン探し」へ直結する。

ポストクレジット・シーンは、リハビリ施設のジョナサン・パングボーンを訪ねるモルドの場面である。モルドは無表情でパングボーンの肩に手を置き、「お前は魔術師ではなく、ただ魔術のエネルギーを盗んで歩いていただけだ」と告げ、両手の指でパングボーンの両足から「盗まれた魔法のエネルギー」を引き抜く。パングボーンは床に倒れ、再び両足の自由を失う。「世界に、魔術師は多すぎる」——本作の本編で吐かれた台詞が、ここで一人の市民の身体の上に具体的に降りる。続編の最大の不穏分子としてのモルド像が、ここで初めて画面に提示される。

本作のモルドの離反路線は『マルチバース・オブ・マッドネス』で別宇宙のモルドとして引き継がれることになり、本作のポストクレジットの不穏は、続編まで六年後の劇場で改めて結実する。

登場要素

本作は、MCUに初めて魔術と次元を導入した一作として、これ以降のシリーズで繰り返し参照される語彙と道具を一気に立ち上げた。以下は主要な人物・組織・場所・道具・能力概念の整理である。

主要人物

  • スティーヴン・ストレンジ博士(ベネディクト・カンバーバッチ)
  • エンシェント・ワン(ティルダ・スウィントン)
  • カール・モルド/バロン・モルド(チウェテル・イジョフォー)
  • ウォン(ベネディクト・ウォン)
  • クリスティーン・パーマー(レイチェル・マクアダムス)
  • ニコデモス・ウェスト博士(マイケル・スターバーグ)
  • ジョナサン・パングボーン(ベンジャミン・ブラット)
  • ダニエル・ドラム(マーク・アンソニー・ブライトン)

ヴィラン

  • カエシリウス(マッツ・ミケルセン)——本作のヴィラン、元エンシェント・ワンの弟子
  • ルシアン(スコット・アドキンス)——カエシリウスの右腕的なゼロット、ストレンジが初めて意図せず殺した相手
  • ゼロット(カエシリウスの信奉者たち、暗黒次元の側に立つ脱落魔術師)
  • ドルマムゥ(ベネディクト・カンバーバッチ二役、声・モーション)——暗黒次元の支配者、本作の真の上位敵

サポート

  • ソー(クリス・ヘムズワース、ミッドクレジット出演)
  • アガモットの目(後にタイム・ストーンと判明する道具)
  • 三つのサンクタムの守護者たち(ニューヨーク・ロンドン・香港)

組織

  • カマー・タージ——ネパールに本拠を置く魔術師の修練場
  • 三つのサンクタム・サンクトラム(ニューヨーク・ロンドン・香港)——地球を暗黒次元から守る結界グローブを構築する三拠点
  • マンハッタン・メトロ総合病院(ストレンジが神経外科医として勤めていた病院)

場所

  • ニューヨーク・マンハッタン(メトロ総合病院、ストレンジのロフト、ニューヨーク・サンクタム)
  • ネパール・カトマンズ(カマー・タージ、図書館)
  • ロンドン・サンクタム
  • 香港・サンクタム
  • ミラー次元(鏡像の都市変形空間)
  • ダーク・ディメンション/暗黒次元(ドルマムゥの本拠、時間が成立しない次元)
  • アストラル次元(魂のみが入る次元)
  • 量子の海(修行のためにエンシェント・ワンが見せた幻視)

アイテム・技術

  • スリング・リング——両手の指関節にはめ込んで空間にポータルを開く道具
  • アガモットの目(後にタイム・ストーンの容器と判明)
  • レビテーションのマント(赤い意志を持つマント、ニューヨーク・サンクタムの守護物)
  • 『カリオストロの書』(時間と暗黒次元の儀式を記した魔導書)
  • 魔術師の防具・魔術盾・エルドリッチ・ホイップ(鞭状の武装エネルギー)
  • ヴィシャンティの書、アガモットのオーブ等の補助アーティファクト

能力・概念

  • スリング・リングによる空間ポータル
  • ミラー次元への侵入と都市変形
  • アストラル投射(肉体から魂を切り離す技術)
  • アガモットの目による時間操作(巻き戻し・ループ生成)
  • ダーク・ディメンションからのエネルギー摂取(エンシェント・ワンの延命の秘密)
  • 魔術を「信仰」ではなく「物理現象」として扱うMCUの設定
  • サンクタム・グローブによる地球の結界防御

ポストクレジット要素

  • ミッドクレジット:ストレンジとソーの面会(『マイティ・ソー バトルロイヤル』冒頭へ直結)
  • ポストクレジット:モルドがパングボーンの両足から魔術エネルギーを剥奪——「世界に魔術師は多すぎる」
  • アガモットの目がタイム・ストーンであることが、後年『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』で正式に確定する

主要登場人物

本作の人物配置は、傲慢な天才医師スティーヴン・ストレンジを中心に、彼を肯定も否定もせず鏡として置く老師エンシェント・ワン、彼の対極にして影でもあるモルド、彼の人間性を引き留めるクリスティーン、そして彼に魔術の影を見せる対称軸のヴィランカエシリウス——という五角形の構成を取る。以下、それぞれの位置づけを整理する。

スティーヴン・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)

BBC『SHERLOCK/シャーロック』のホームズ役、『イミテーション・ゲーム』のアラン・チューリング役で世界的な評価を確立していたベネディクト・カンバーバッチが、マーベル・スタジオの長期契約として迎え入れた一作目である。役のオファーから撮影開始までの過密スケジュールにより、本作の撮影日程は彼の舞台『ハムレット』との両立のため一度組み替えられた経緯がある。

ストレンジの人物像は、コミックの「医師から魔術師へ転じた天才」という骨格を踏襲しながら、傲慢さと自己愛をMCU風に現代化したものになっている。冒頭の手術室での余裕、症例選別の冷たさ、リハビリ施設での自暴自棄、カマー・タージでの戸惑い、レビテーションのマントに振り回される滑稽さ、そしてドルマムゥとの永遠の死を引き受ける覚悟——一人の人物が115分の中で何枚もの顔を見せ、その全てがカンバーバッチの抑えた発声と眼差しの中で繋がる。

本作後、彼は『マイティ・ソー バトルロイヤル』『インフィニティ・ウォー』『エンドゲーム』『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』『マルチバース・オブ・マッドネス』へ連続して登場し、MCUにおける「魔術と多次元」の中心人物として定着する。彼が後の『インフィニティ・ウォー』でタイム・ストーンを差し出してサノスに屈服する場面、『エンドゲーム』で勝率1400万分の1のうちの唯一の勝ち筋を示す指の所作——その源流が、本作のドルマムゥ取引で観客に提示された「死を恐れずに延々と取引する戦法」にあることは、シリーズを通しで観た者には明らかである。

人物:ドクター・ストレンジ/スティーヴン・ストレンジ 続編:マルチバース・オブ・マッドネス 次作群:インフィニティ・ウォー

エンシェント・ワン(ティルダ・スウィントン)

ティルダ・スウィントンが演じる、カマー・タージの最高位の魔術師。剃り上げた頭と灰色の僧衣をまとった、性別も民族も特定されない静謐な造形は、原作コミックの「アジア系の老師」というイメージから大胆に離れた解釈で、公開当時から賛否を呼んだ。脚本・監督・スタジオは、コミックの「東洋の老師」という古典的な造形が、現代では「マジカル・アジアン」のステレオタイプに踏み込んでしまう危険を避けるため、性別と民族を取り払い、ケルト系の女性俳優を起用するという判断を取った(後年スコット・デリクソン自身が「結果として中国市場の白人化批判を招いた、もっと別の解決があり得た」と公的に反省を述べている)。

人物像としては、慈愛と冷酷さ、規律と逸脱、永遠と諦観が同居する一人の老師として描かれる。彼女が長年ダーク・ディメンションから延命のエネルギーを引いてきた事実は、「正しい目的のための危ない手段」という本作の倫理問題の核を担う。手術台の上で雷雲の上にアストラル体を浮かべ、終わりを受け入れる場面は、シリーズ全体のなかでも屈指の静謐なシーンとして語り継がれている。

スウィントンは、本作後も『アベンジャーズ/エンドゲーム』に、2012年のニューヨーク決戦の時間軸でアガモットの目をブルース・バナーに手渡す役どころで再登場する。

カール・モルド/バロン・モルド(チウェテル・イジョフォー)

アカデミー主演男優賞ノミネートの『それでも夜は明ける』で知られるチウェテル・イジョフォーが演じる、カマー・タージの古参魔術師。原作コミックの「初代の宿敵」というイメージから、本作では一度はストレンジの導き手・友・戦友として配置され、ラストで「未来の宿敵」へと反転する構成が取られた。

モルドの内面は、規律と秩序への絶対的な信頼に貫かれている。エンシェント・ワンが長年破ってきた自然の法則、ストレンジが終盤で巻き戻した時間、ドルマムゥとの取引——彼にとってその全てが、信じてきた魔術師の倫理を裏切る行為である。彼の離反は、単純な「闇落ち」ではなく、信じていた秩序が崩れる痛みから来る一種の純粋主義への退避として描かれる。

ポストクレジット・シーンで彼が告げる「世界には、魔術師が多すぎる」という台詞は、本作の続編およびTVドラマでの伏線として長く残された。後年『マルチバース・オブ・マッドネス』で別宇宙のモルドが登場することで、本作のキャラ造形は別の形で結実することになる。

ウォン(ベネディクト・ウォン)

ベネディクト・ウォンが演じる、カマー・タージ図書館の司書。原作コミックの「ストレンジの東洋人召使い」というステレオタイプから大幅に書き換えられ、本作では実戦能力と知識を併せ持つ古参魔術師のひとりとして登場する。図書館でストレンジに釘を刺す場面、香港の路上で重傷を負って倒れている場面、結界が解かれた後に立ち上がる場面——画面に出る時間は短いが、シリーズ後半に向けた彼の存在感の確立は、すべて本作で行われている。

本作後、ウォンは『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』『エンドゲーム』『シャン・チー/テン・リングスの伝説』『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』『シー・ハルク:ザ・アトーニー』『マルチバース・オブ・マッドネス』『デッドプール&ウルヴァリン』に登場し、エンシェント・ワン亡きあとのソーサラー・スプリーム(最高魔術師)の地位を引き継いで、MCUにおける魔術師世界の事実上の中心人物として定着していく。

クリスティーン・パーマー(レイチェル・マクアダムス)

レイチェル・マクアダムスが演じる、ストレンジの元恋人・救命救急医。原作コミックの「ナイト・ナース」系列の人物像をベースに、現代のニューヨークの救命救急医として描かれる。本作の彼女は、ストレンジの傲慢さに対する地上的なカウンターとして配置され、事故後の彼を支えようとしつつ、彼の自己嫌悪の矛先を受け止め、最終的に距離を取る側に追い込まれる。

ニューヨーク・サンクタム襲撃で致命傷を負ったストレンジが、自らポータルを開いて彼女の処置室に転送されてくる場面は、本作の医学と魔術の交差点として最も鋭い一場面である。彼女は、彼の身体を電気除細動器で叩き起こす医師として、彼のアストラル体を視野に入れたまま、職務を遂行する。

本作後、クリスティーンは『マルチバース・オブ・マッドネス』で再登場し、Earth-616では別の同僚との結婚式の主役として、Earth-838ではイルミナティ側の科学者として登場する。本作のレイチェル・マクアダムスの控えめな造形が、続編での二役にそのまま乗っている。

カエシリウス(マッツ・ミケルセン)

デンマーク出身のマッツ・ミケルセンが演じる、本作のヴィラン。元はエンシェント・ワンの最も優秀な弟子の一人であり、妻と息子を失った悲しみから「死そのものの撤廃」を求めてダーク・ディメンションに接近した、という背景を持つ。彼にとってドルマムゥとの契約は、人類の支配ではなく「人類を死と時間の束縛から解放する救済」である。

ミケルセンの抑えた発声と落ち着いた目つきが、本作のヴィランを「狂った破壊者」ではなく「説得力のある誤った救済者」へと押し上げている。「お前は今、世界の最初の秩序を握っている――時間という残酷な暴君を、私たちは打ち倒そうとしているのだ」と語る彼の主張は、ストレンジが終盤に握る「時間を逆向きに巻き戻す術」と表裏一体の倫理的な鏡像になっている。

本作のカエシリウスとその信奉者ゼロットは、最終的に約束通りドルマムゥに連れ去られ、暗黒次元の中で永遠の苦痛を負う側に組み込まれる。彼が望んだ「死からの解放」が、最終的に「生からの解放」として与えられる本作の結末は、MCUのヴィラン論の中でも特筆して苦い結着の一つである。

舞台と用語

舞台は2016-2017年の現代ニューヨーク、ネパール・カトマンズのカマー・タージ、ロンドン、香港、そしてミラー次元と暗黒次元・アストラル次元という、MCUに新規に導入された複数の異次元空間にまたがる。中心の用語は「魔術/神秘の術」「スリング・リング」「ミラー次元」「ダーク・ディメンション」「アガモットの目/タイム・ストーン」「サンクタム・サンクトラム」「ソーサラー・スプリーム」の七つに整理できる。

魔術は本作では「信仰」や「超自然」ではなく、「多元宇宙からエネルギーを引き出して物理的に整形する物理現象」として再定義される。スリング・リングはそのエネルギーをポータルとして放出する装置、ミラー次元は現実に影響を残さずに戦うための鏡像空間、ダーク・ディメンションは時間そのものが成立しない一段上の高次元、アストラル次元は魂のみが入る別レイヤー——という階層整理が、本作で初めて画面上に確定する。

アガモットの目は、本作の段階ではエンシェント・ワン以降「使用を禁じられた強力な道具」として導入され、ストレンジが時間を巻き戻すために独学で用いる。本作の終盤までこの宝石が何であるかは明示されないが、後年『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』で正式に「タイム・ストーン」を内包する容器と確定する。MCUのインフィニティ・ストーンを、出自を伏せたまま静かに導入するというファイギ流の長期戦略の典型例である。

サンクタム・サンクトラムは、ニューヨーク・ロンドン・香港の三都市に置かれた魔術師の防御拠点で、三つを頂点に結ぶ結界グローブで地球全体を暗黒次元の侵食から守る。ソーサラー・スプリームは三つのサンクタムを束ねる最高魔術師の称号で、本作中はエンシェント・ワン、本作後は事実上ウォンが引き継ぎ、ストレンジは『マルチバース・オブ・マッドネス』時点でもまだ正式な就任には至らない構造になっている。

用語:MCU 用語:フェーズ 用語:インフィニティ・サーガ 用語:インフィニティ・ストーン 用語:ソーサラー・スプリーム 用語:マルチバース

制作

本作の制作は、MCUに「魔術」というこれまで扱われてこなかった領域を持ち込み、フェーズ3後半と続くマルチバース・サーガの語彙を一気に整える役割を負った。マーベル・スタジオはケヴィン・ファイギの判断で、ホラー出身のスコット・デリクソンを監督に起用し、視覚効果に莫大な予算と時間を割く方針を選んだ。

企画と脚本

マーベル・スタジオは2010年代初頭から『ドクター・ストレンジ』単独作の企画を温め、2013年6月にプロジェクトを正式発表した。当初はギレルモ・デル・トロやニール・ブロムカンプ、マーク・アンドリュースらの監督候補が報じられたが、最終的に2014年6月にスコット・デリクソンが起用された。脚本はジョン・スペイツが最初の稿を書き、デリクソンと長年の共作者C・ロバート・カーギルが大きく書き直して最終形に到達している。

脚本上の最大の判断は、原作コミックの東洋神秘主義のステレオタイプを正面から踏襲せず、エンシェント・ワンの性別と民族を取り払い、魔術を「物理現象」として再定義する設計を取ったことである。スペイツとデリクソンはインタビューで、本作の精神的な参照軸として、原作のスティーヴ・ディッコによるサイケデリックな見開き、クリストファー・ノーラン『インセプション』の都市変形、そしてマーベル・スタジオ社内でジョス・ウェドンが叩き台にした「事故で人生を失った男が別の生き方を学ぶ」という再生譚の骨格を挙げている。

ドルマムゥとの「無限の取引」というクライマックスは、脚本陣が「派手な戦闘でも魔法のビーム合戦でもない、ストレンジの知性そのものが決着を付ける終わり方」を最後まで探した結果である。ファイギも当初は通常のクライマックスを想定していたが、デリクソンとカーギルが提示したこの案を最終的に採用したと後年語っている。

キャスティング

ストレンジ役の最終選定は2014年10月。ベネディクト・カンバーバッチは舞台『ハムレット』との両立のため、当初はスケジュール上不可能とされたが、マーベル・スタジオが本作の主要撮影日程を半年以上後ろにずらすという異例の判断で出演を確保した。

エンシェント・ワン役は当初、女性化することだけが先に決まり、ティルダ・スウィントンが2015年4月に発表された。モルド役のチウェテル・イジョフォー、ウォン役のベネディクト・ウォンも同時期に決定する。クリスティーン・パーマー役は、当初エイミー・アダムスらが報じられたが、最終的に2015年8月にレイチェル・マクアダムスが正式発表された。

カエシリウス役のマッツ・ミケルセンは2015年6月に発表され、本作のためにデンマークから米英の長期撮影に参加した。ジョナサン・パングボーン役のベンジャミン・ブラット、ニコデモス・ウェスト役のマイケル・スターバーグらの脇役陣も、2015年夏までに順次発表されている。

撮影とロケ地

主要撮影は2015年11月4日にネパール・カトマンズで開始された。カマー・タージの外景は、カトマンズの古い王宮広場とパシュパティナート寺院周辺、街路の昼夜の場面はカトマンズの実際の路地で撮影された。これはMCUとしては初の本格的なネパール現地ロケで、現地の市場とリキシャの群れの中をベネディクト・カンバーバッチが歩く一連のカットは、街路の本物の質感をそのまま画面に流し込んでいる。

主要セットは英国シェパートン・スタジオとロングクロス・スタジオに組まれ、ニューヨーク・サンクタムの巨大セット、カマー・タージ図書館、暗黒次元の岩盤などが構築された。ニューヨークの街路と病院は、ニューヨーク市と英ロンドンの両方で実景撮影とCG合成のハイブリッドで作られた。香港のクライマックスは香港の中環地区の実景に大規模なCG合成を組み込み、ロンドン・サンクタムの外観はロンドンの実景の路地に合成された。

撮影監督は『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』『キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー』のベン・デイヴィスが担当した。デイヴィスは本作で、ミラー次元の都市変形シーンを撮るため、複数台のカメラを多軸の電動雲台に乗せ、CGとの整合性を取る撮影法を確立した。

視覚効果

視覚効果はInductrial Light & Magic(ILM)、Framestore、Method Studios、Luma Pictures、Lola VFX、Crafty Apes、Rise FXら多数のスタジオが分担した。中心となったFramestoreはカマー・タージとカトマンズの街路変形を担当し、ILMはニューヨーク・サンクタム襲撃のミラー次元シーンを担当した。万華鏡のように折り畳まれる都市描写は、フラクタル数学に基づくジェネレーション・アルゴリズムをカスタム開発し、約3億ポリゴンを動的に変形させる処理が用いられた。

暗黒次元のドルマムゥは、ベネディクト・カンバーバッチがモーションキャプチャと声を担当した(顔は非公表のクレジット)。ドルマムゥの本体は粒子状のフラクタル雲として設計され、Method Studiosが約1年をかけて開発した。本作の最終的なVFXショット数は約1450ショットに達し、第89回アカデミー視覚効果賞にノミネートされた(受賞は『ジャングル・ブック』)。

「ボディ・リダクション」を始めとするデジタル肉体改変技術は本作では使われていないが、ストレンジの両手の傷と震えはLola VFXによるフレーム単位の合成と、カンバーバッチの実演技の二段構えで作られている。

音楽

音楽はマイケル・ジアッキーノが担当した。ジアッキーノはJ・J・エイブラムスのテレビ・映画作品(『LOST』『M:i:III』『スター・ウォーズ』)、ピクサーの『カールじいさんと空飛ぶ家』『インサイド・ヘッド』、シリーズ後の『スパイダーマン:ホームカミング』『ジュラシック・ワールド』などで知られる作曲家で、本作がMCU本編への参加一作目となる。

本作のメインテーマは、ハープシコードと弦楽の絡みに、シタールと声の合唱を重ねた古典クラシックと東洋音色の融合として書かれている。コンサート用の組曲では「The Master of the Mystic End Credits」として、エンドロールの長い旋律が完全な形で聴ける。本作のテーマは『マルチバース・オブ・マッドネス』『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』『シー・ハルク』など以後のストレンジ登場作で何度も引用される、MCU内部の「魔術師の主題」として確立した。

編集と公開準備

編集はワイアット・スミスとサブリナ・プリスコが担当した。本作はミラー次元・暗黒次元・アストラル次元・現実世界という複数の空間レイヤーが頻繁に切り替わる構造のため、編集作業はVFXショットの長期作業と平行して行われた。サンクタム襲撃のシーンは、当初の脚本では別の構成だったが、編集段階でレビテーションのマントとストレンジの「不本意な戦闘」を強調する方向へ組み替えられている。

本作のミッドクレジットとポストクレジットの計2本の追加シーンは、本編とは別に撮影され、ミッドクレジットのソー登場場面は『マイティ・ソー バトルロイヤル』の本編冒頭部に転用されることを前提に設計された。これは『マイティ・ソー バトルロイヤル』を撮るタイカ・ワイティティと、本作のスコット・デリクソンが共同で打ち合わせのうえ撮ったMCU初の「ポストクレジット直通」の事例である。

公開と興行

米国公開は2016年11月4日。日本では翌2017年1月27日に劇場公開された。米国初週末興行収入は約8500万ドルで、フェーズ3の単独作初回としては『シビル・ウォー』に次ぐ堅実な滑り出しを記録した。最終的な米国内興収は約2億3260万ドル、全世界興行収入は約6億7770万ドルに達し、製作費約1億6500万ドルに対して興行的にも明確な成功となった。

批評家評価も高く、Rotten Tomatoesの批評家評は89%、メタスコアは72点、CinemaScoreはAを得た。多くの批評家がカンバーバッチの造形、ミラー次元の映像、ドルマムゥとの取引による異色のクライマックスを評価した。一方で、エンシェント・ワンの白人化に対する文化的批評と、序盤の「天才医師の事故と再起」というプロットの定型性を指摘する声も並走した。

第89回アカデミー賞では視覚効果賞にノミネートされた(受賞は『ジャングル・ブック』)。第43回サターン賞ではファンタジー映画賞にノミネートされ、ベネディクト・カンバーバッチの主演男優賞、ティルダ・スウィントンの助演女優賞、視覚効果賞などでもノミネートを獲得した。

批評・評価・文化的影響

本作の最大の評価点は、MCUに「魔術」という新ジャンルを持ち込み、その視覚言語を一作で確立した点にある。ミラー次元の都市変形は、クリストファー・ノーラン『インセプション』のパリ折り畳みを意識的に踏襲しつつ、フラクタルと鏡像の幾何学にまで踏み込み、ノーラン以後の最も影響力のある「都市が武器になる場面」の一つとして記憶された。後年の『マルチバース・オブ・マッドネス』『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』『シー・ハルク』『デッドプール&ウルヴァリン』が画面上で魔術師の所作を当然のように扱えるのは、本作の語彙の確立があるからである。

ドルマムゥとの「無限の取引」によるクライマックスは、MCUのなかでも特異な決着として広く論じられ、後年「殴り合いではない知性の勝利」の象徴的事例として、シリーズ全体の脚本論で繰り返し引用される位置に立った。『インフィニティ・ウォー』でストレンジが指でサノスに「一つの勝ち筋」を示す所作、『エンドゲーム』でストレンジが時間と引き換えにトニーへ勝利の合図を送る所作——その全ての源流が、本作のドルマムゥ取引の一場面にある。

一方で、エンシェント・ワンの白人化問題は本作の最大の批判点として残り、スコット・デリクソン自身が後年「他の解決があり得た」と公的に反省を述べた経緯がある。原作コミックの東洋神秘主義をどう現代化するかというマーベル・スタジオの課題は、本作の試みと躓きを経て、後の『シャン・チー/テン・リングスの伝説』へとアプローチを更新していくことになる。

舞台裏とトリビア

「ドルマムゥ、取引に来た(Dormammu, I've come to bargain.)」は、本作公開後、英語圏のミーム文化で爆発的に流通し、ループから抜け出せない状況に対するパロディとして繰り返し引用されるようになった。日本語圏でも「無限ループ」を表す比喩として、本作未見の層にもタイトルだけが知られる現象が起きた。

レビテーションのマントは、本作で実機の赤い布をワイヤーで動かす実写演出と、Framestoreの全身CG演出を併用して作られた。マント自身が「キャラクター」として意志を持つ造形は、撮影現場ではカンバーバッチと相方役のマントの即興芝居として作られた箇所が多く、ストレンジに敵を絞めさせる動き、彼の頬を撫でる動き、ストレンジが立ち止まると同じ方向に振り返る動き——その全てが「半ば独立した相棒」として現場で生まれた。

ベネディクト・カンバーバッチは、本作のためにカリフォルニア神秘研究所(CIIS)とロサンゼルスの神経外科専門医のもとで、瞑想と外科手術の双方の所作を約半年学んだ。冒頭の脳手術シーンの手の動きは、現役の神経外科医の指導に基づくほぼ正確な所作になっている。

ベネディクト・ウォンとベネディクト・カンバーバッチの「ダブル・ベネディクト」共演は、本作の現場で長く語り草となり、後年シー・ハルクの法廷シーンに至るまで複数の作品で参照ギャグとして引用されることになる。スタン・リーのカメオは、ニューヨークの市バスの中で『アルダス・ハクスリーの知覚の扉』を読みながら笑い転げる一場面で確認できる。

テーマと解釈

中心にあるのは「傲慢からの転落と、別の生き方の受容」である。冒頭のストレンジは、自分の手と知性だけで人生を切り開いてきた男であり、その手を失った瞬間に世界そのものから放り出される。前半90分は、彼が失った手を取り戻すために走り回る再生譚として展開されるが、終盤で彼が下す決断は、もはや「手を取り戻す」ことではなく、「自分を超えるものを守るために、終わらない苦痛と死を引き受ける」方向に転じる。本作の主題は、肉体の回復ではなく、自我の使い道の組み替えにある。

二つ目の軸は「規律と逸脱の倫理」である。エンシェント・ワンは、地球を守るために長年規律を破ってきた。モルドはその規律を絶対視し、師の二重性を受け入れられず離反する。ストレンジは、終盤で時間そのものを巻き戻し、ドルマムゥと永遠の取引をする——いずれも本来は禁じられた行為である。本作の倫理は、「規律を守れば正しい」でも「目的のためなら何でもよい」でもなく、「規律を破る代償を、自分一人の肩で背負える人間にしか、その破り方は許されない」という、灰色の領域に置かれている。

三つ目の軸は「時間と死の受容」である。カエシリウスは「死そのものの撤廃」を求めて闇に堕ち、エンシェント・ワンは長年の延命の末に静かに死を受け入れ、ストレンジは無限の死のループを自分から引き受けて世界を守る。三人の「死との関係」が、本作の哲学的な背骨を作っている。永遠の命を求める者は飲み込まれ、終わりを受け入れる者だけが先へ進める——古典的なテーゼをMCUの語彙で精密に描き直した一作として、本作は長く参照されることになる。

見る順番(補助)

初見なら、フェーズ3の流れに沿って『キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー』(2016)の次に本作、続けて『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』『スパイダーマン:ホームカミング』『マイティ・ソー バトルロイヤル』へ進む公開順が最も分かりやすい。ミッドクレジットのソー登場が、続く『バトルロイヤル』冒頭にそのまま接続するため、本作とラグナロクは続けて観る価値が大きい。

ストレンジを軸にした作品系列を集中して追いたい場合は、本作 → 『インフィニティ・ウォー』 → 『エンドゲーム』 → 『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』 → 『マルチバース・オブ・マッドネス』の順で、彼の魔術師としての成長と多元宇宙への踏み込みを直線で追える。

  1. 前作『シビル・ウォー』でアベンジャーズが分裂する
  2. 本作ストレンジが魔術師となり、ドルマムゥから地球を守る
  3. 次作『マイティ・ソー バトルロイヤル』でソーとロキを見送る
前作:シビル・ウォー 続編:マルチバース・オブ・マッドネス 次なる結節点:インフィニティ・ウォー ストレンジ再登場:ノー・ウェイ・ホーム ガイド:ドクター・ストレンジとワンダ ガイド:マルチバース ガイド:フェーズ順

よくある質問(補助)

「あらすじだけ知りたい」場合は、傲慢な外科医が事故で両手を失う → ネパールのカマー・タージで魔術を学ぶ → カエシリウスとドルマムゥから地球を守る → ニューヨーク・サンクタムの守護者になる、という四段の流れを押さえれば十分である。「結末・ネタバレを知りたい」場合は、エンシェント・ワンの死、時間の巻き戻し、ドルマムゥとの無限の取引、モルドの離反、ポストクレジットのパングボーン能力剥奪までが核となる。

「評価を知りたい」場合は、MCUに魔術という新ジャンルを持ち込み、ドルマムゥとの取引という異色のクライマックスを成立させた点が評価の中心である。エンシェント・ワンの白人化という批判点も並走しているため、両面を踏まえて読むのが安定する。「見る順番」は本作だけを先に観るより、『シビル・ウォー』の後に本作、続けて『マイティ・ソー バトルロイヤル』へ進むのが最も分かりやすい。

「アガモットの目はインフィニティ・ストーンか」という問いには、本作の段階では明示されないが、後年『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』でタイム・ストーンを内包する容器であることが確定する、と答えるのが正しい。本作はその伏線を、出自を伏せたまま静かに置いている。

参考資料・脚注

作品名、キャラクター名、画像、各種権利はそれぞれの権利者に帰属する。公開年・興行・制作・配信状況・外部評価は変動しうるため、視聴前に公式および各データベースの最新表示を確認されたい。本記事の本文は各種公開情報をもとに、Anna Movies用の独自の日本語文章として構成している。

  1. Marvel公式 ドクター・ストレンジ作品ページ
  2. IMDb: Doctor Strange (2016)
  3. Rotten Tomatoes: Doctor Strange (2016)
  4. Box Office Mojo: Doctor Strange
  5. Marvel Cinematic Universe Wiki: Doctor Strange (film)

関連ページ

ドクター・ストレンジと関係の深い作品、人物、用語、見る順番を確認できる。

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参照・確認先

公式画像、作品名、キャラクター名、権利は各権利者に帰属する。公開年、配信状況、外部評価は変わる場合があるため、視聴前に公式・配信元・作品データベースで確認したい。

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