オクタヴィア・フォン・ゼッケンドルフは、美樹さやかが魔女化した「人魚の魔女」である。性質は恋慕。演奏会場を思わせる結界で、車輪と剣を用いて侵入者を攻撃する。TVシリーズ第8話の終わりに誕生し、第9話で佐倉杏子と対峙する。『叛逆の物語』では、円環の理に導かれたさやかが自らの魔女形態を呼び出し、ほむらを救う側の力として使う。
人魚の魔女と恋慕の性質
オクタヴィアは、騎士の鎧と人魚を組み合わせたような巨体を持つ。下半身は尾の代わりに車輪へつながり、片腕には剣を持つ。さやかの魔法少女姿、上条恭介への思い、音楽への憧れが、一体の造形へ重ねられている。
性質は恋慕であり、過去に心を動かされた音を追いながら、未来へ進めない。願いによって恭介の腕は治ったが、その奇跡はさやか自身の幸福を保証しなかった。実現した願いと届かなかった感情の差が、魔女の反復する演奏会として表れる。

人魚のモチーフは、声や身体と引き換えに恋へ向かう物語を連想させる。しかし、特定の童話との対応だけで設定を決めるべきではない。剣、車輪、楽譜、観客席など、さやかの複数の経験が同時に結界へ残っている。
さやかが魔女化するまで
さやかは恭介の腕を治すために契約し、魔法少女となる。願いは実現し、恭介は演奏へ戻るが、さやかは自分の気持ちを告げられない。魔法少女の身体が人間と同じではないと知り、恋愛を望む資格まで失ったと考えてしまう。
同時に、魔女と戦う自分は見返りを求めてはならないという理想を強める。仁美への嫉妬、恭介への期待、戦う苦痛を認めれば、正義のために願った自分が崩れると感じる。感情を否定するほど、周囲へ助けを求める道が閉じていく。

戦闘では痛覚を遮断し、損傷を無視して敵へ向かう。強く見える一方、ソウルジェムの濁りと自己否定は進む。第8話でまどかを拒絶した後、駅で人間への失望を深め、最後の涙がソウルジェムへ落ちた瞬間に魔女化する。
第8話終盤の誕生
さやかのソウルジェムは濁り切り、グリーフシードへ変化する。キュゥべえは、この変化こそ魔法少女が魔女になる仕組みだとまどかへ説明する。魔女が外部から現れる怪物ではなく、希望を抱いた少女の終点であることが確定する場面である。
変化の直前、さやかは自分が何のために戦っていたのか分からなくなる。恭介を治した願い、正義の味方であろうとした決意、傷つけたくなかった友人への思いが、どれも本人を支えられない。単一の失恋ではなく、複数の自己像が同時に壊れた結果である。

オクタヴィアの登場は、ソウルジェムとグリーフシードの名称が示していた関係を視覚化する。宝石の濁りが心の比喩に留まらず、存在の変化へ直結するため、以後の契約の意味が完全に変わる。
結界と演奏会のモチーフ
オクタヴィアの結界は、巨大な演奏会場を思わせる。客席と舞台、楽譜、楽器を演奏する使い魔が配置され、魔女は音楽の中心にいる。恭介がヴァイオリンを演奏する姿へ向けられた憧れが、閉じた空間の中で永遠に反復される。
演奏は誰かと喜びを共有するためではなく、魔女のためだけに続く。人間だったさやかが望んだのは、恭介が再び音楽を奏でる未来だった。しかし結界では、音楽が外の世界へ届かず、観客も自由な個人として存在しない。

車輪は前へ進む道具でありながら、結界内では同じ場所を巡る攻撃に使われる。未来へ向けた願いが、過去の感情を反復する力へ変わったことを示す。映像と音楽が、魔女の性質を説明文より先に伝える。
使い魔ホルガーとクラリッサ
主要な使い魔ホルガーは、楽団として演奏を続ける役割を持つ。彼らの音楽は魔女のために存在し、結界へ入った者を包囲する。恭介の演奏を支える聴衆になれなかったさやかの思いが、魔女へ従う楽団へ変形している。
別の時間軸では、クラリッサと呼ばれる使い魔が踊る姿も示される。時間軸によって恭介が演奏する楽器や結界の意匠に違いがあり、同じ魔女でも細部が完全には一致しない。ほむらの反復が、人物の選択だけでなく結果の表現も変える。
『叛逆の物語』では、他の魔女の使い魔も協力してほむらを救う。使い魔の所属と役割は固定された敵軍ではなく、円環の理から来た人物たちの意思に従って再配置される。外見だけで現在の陣営を判断できない。

第9話:杏子が試みた救出
杏子は、魔女になったさやかにも人間の心が残っている可能性を信じる。まどかを結界へ連れ、声を掛け続ければ戻せるかもしれないと考える。キュゥべえは成功例を知らないが、可能性を明確には否定せず、二人の行動を観察する。
まどかはオクタヴィアへ呼び掛けるが、反応は攻撃として返る。人間の声が届かない事実は、さやかの友情が偽物だったことを意味しない。魔女化が感情の説得だけでは戻せない存在変化であることを示す。
杏子は最後に自分のソウルジェムを砕き、オクタヴィアと相討ちになる。一人で終わらせないという選択は、他者のために願うことを否定していた彼女が、再び誰かのために命を使う行為である。二人の関係は対立から救済の試みへ変わる。

複数の時間軸における違い
第10話で描かれる別の時間軸でも、さやかは魔女化してオクタヴィアとなる。ただし、結界の音楽や色彩、恭介が関わる楽器などに差がある。出来事が似ていても、時間軸の細部まで同じではない。
ほむらは反復を重ねる中で、さやかの魔女化を回避できない経験を積む。現在の時間軸で彼女が冷淡に見えるのは、結果を知っていることと、説明しても信頼されなかった経験が重なっているためである。
オクタヴィアが繰り返し現れることは、さやかの人格が弱いという評価へ直結しない。契約制度の条件が変わらず、本人が同じ情報不足と関係の中へ置かれれば、似た破綻が起こる。時間遡行だけでは制度を変えられない例である。

『叛逆の物語』での再登場
円環の理に導かれたさやかは、まどかとなぎさとともにほむらの結界へ入る。インキュベーターに正体を悟られないよう、まどかの記憶と力の一部を預かる。人間の姿で行動しながら、自分が魔女だった記憶も失っていない。
結界の真相が明らかになると、さやかは水を介してオクタヴィアを呼び出す。人間の身体と魔女形態が同時に行動し、剣と車輪で遮断装置を破壊する。TVシリーズでは本人を飲み込んだ姿が、今度は本人の意思に従う力になる。
杏子の槍を持つ姿も現れ、二人の関係が魔女形態へ刻まれていることが分かる。第9話の相討ちは無かったことにならず、円環の理の中で記憶と結び付き直される。救済は過去の消去ではなく、過去を制御できる状態として描かれる。

円環の理による救済との関係
TVシリーズ最終話では、まどかが過去と未来の魔女を生まれる前に消すと願う。改変後の世界では、さやかは恭介を救う願いを選び、魔力を使い切った末に円環の理へ導かれる。魔女として人を襲う結末からは救われるが、人間として生き続けるわけではない。
『叛逆の物語』は、導かれた後のさやかが人格と記憶を保っていることを示す。オクタヴィアの力を使えるため、魔女化の履歴も完全には失われていない。円環の理が魔法少女の経験を消す制度ではないと分かる。
ほむらの再改変後、さやかは人間として見滝原へ戻るが、円環の理側の記憶を失い始める。仁美への感情を口にできる一方、ほむらの世界へ反発する。個人の生活を取り戻すことと、救済の役割を奪われることが同時に起きている。

オクタヴィアをどう読むか
オクタヴィアを失恋だけの魔女として扱うと、さやかが抱えた制度上の問題が見えなくなる。魂を移された事実、浄化資源の不足、正義への自己要求、友人との情報差、戦闘による消耗が重なって魔女化へ至る。
一方で、恋慕と音楽が中心的なモチーフであることも否定できない。大切なのは、恋愛を原因から外すことではなく、唯一の原因へ縮めないことである。結界はさやかの複数の感情を、一つの閉じた演奏会へまとめている。
TVシリーズと『叛逆の物語』を比べると、同じ姿が絶望と救援の両方を担う。魔女の外見だけで人格を決めず、誰の意思で動いているかを見る必要がある。オクタヴィアは、作品の救済観が変化したことを最も明確に示す存在である。
